竹内好の「阿Q正伝」というエッセイ(「文藝読本 魯迅」所収、河出書房新社、1980年)によると、やはり阿Qとは何者か、をめぐって今日まで様々な見解が出て、いまだ決着を見ないようである。要するに阿Qのような人間であってはならない、という意見から、どのように言い訳しようと、阿Qは中国人民の真の姿である、という意見まで侃侃諤諤の主張が飛び交ってきたらしい。「負けるが勝ち」式の必勝法を肯定する人もいるようだが、さすがにそれは少数派らしい。
その点阿Qは、見果てぬ夢を追い求めたドン・キホーテとは大違いである。つまり辱めに耐えるという点ではドン・キホーテに似ていないことはないが、しかし阿Qは常に負け犬的で、あまりに卑屈だということである。かと言って、我々は既に阿Qを乗り越えた、と主張する最近の中国の思想的傾向に対しては、小首を傾げざるを得ない。つまり阿Qが中国農民の本質を具現した人物というのが真実なら、革命の担い手であったという彼の農民性と、その行動(具体的にはその必勝法)とを峻別して、その一方すなわちその必勝法だけを否定するわけにはいかないからである。
別言するなら、阿Qという人間には全否定…
今晩はちょっと頭が回らなくなってきたので、明日、もっと頭脳明晰のときにこの問題を考えます。今日の収穫は、「狂人日記」のスペイン語訳をテキストに使ったスペイン語教室の授業が、先週とは違って聴講生の興味と関心とうまくかみ合い、調和よく授業が進んだこと、そして1976年、魯迅没後40年を記念して出版された二つの雑誌の「魯迅特集号」(「思想」と「ユリイカ」)と「文芸読本 魯迅」(河出書房新社、1980年)の三冊を布表紙の合本にしたことくらいだが、その貧しい成果にともかく満足しよう。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ