悔しや、視空間失認

予報どおり昨夜から午後四時近くまで雪が降った。といっても会津あたりの大雪と比べるなら正に小雪で、道路に降った雪はすぐ溶けてゆく。今日は浮舟で文学講座がある第二土曜。いつもは旧街道を行くのだが、坂道などあまり車が通らないところは雪が溶けていない可能性もあるので、用心して六号線を行った。
 一応用意していった話は一時間ちょっとで終わってしまったので、いつもより少し早目に帰ってきた。途中、グループホーム(これまでは施設などと言ってきたが、たぶん正式にはこう呼ぶんだろう)に寄ったが、今日は駐車場の車に美子を残して一人だけでばっぱさんに会ってきた。おやつに焼きパン(?)が出たらしく、いま少し早く来れば食えたのに、などと言う。このごろは、なかなか頭がはっきりしていて、あまり頓珍漢なことは言わない。しかし自分の飲みかけや食いかけをすすめてくるのには閉口する。親鳥が小鳥に餌をあたえる感覚なのだろう。
 夜になって、『モノディアロゴスⅣ』の編集が終わった、昨年九月十四日までのもので305ページになった。しかし収録するには当たらないものがまだ残っている可能性がある。明日(今日)から、今度はプリントアウトしたものをゆっくり読み直してみるつもり。
 川口から、先日市民会館で行なわれた孫たちの幼稚園音楽会のDVDが送られてきた。美子にあれが翔太だよ、あれが大貴だよ孫の名を呼んで説明するが、どうも映像の中の孫たちをはっきりは識別できないようだ。視空間失認ということなんだろう。残念だが仕方がない。その分爺さんの方でしっかり見ておくから。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください