先日、同人誌『青銅時代』を引き受けてもらえないか、との依頼の手紙に対する返事がS氏から届いた。結論から言えば、やはり引き受けてもらえなかった。十年も続けてきた個人誌のことや、小川国夫の評伝完成のこともあって、とても無理であること、また静岡や藤枝に小川国夫のファンはいるが、伝統ある『青銅時代』を継続するような人材は残念ながら見出せないという二重の意味で申し出はことわらざるを得ない、というものであった。
文面には、同人誌の継承という難題を突然つきつけられた困惑と、それを真剣に考量したあとの誠実な結論がしっかり表現されていた。文中こんなことも書かれていた。
「創刊以来五十年の歴史を刻み、日本の現代文学にその名を留める『青銅時代』の栄光は、それを支えてきた同人の手によって区切りをつけて戴きたいと考えます」
この文章を読んで、がーんと一発食らわされたような感じがした。けっして失礼な文章ではない。だからそのとき心に猛然と起こった一種の怒りのようなものは、S氏に対してではない。自分たちの身の処し方を、あるいは最後の幕引きを、自分たち以外の人に任せようとしたいい加減さ、無責任さにとつぜん腹が立ってきたのである。本当にそうだ、なにを調子のいいことを考えていたんだろう、と思ったのである。
第四十九号の編集後記にこんなことを書いていたのに、この体たらく。
「老いさらばえて醜態をさらしてもいい、継続の意志を持つ同人がいるかぎり続刊したらいいのでは……もちろん以上の言葉に対してはしっかり責任をとるつもりである……それじゃ野垂れ死にではないか、と言われれば、そう、まさに野垂れ死に…」
怒りに任せて決断するのはよろしくないが、しかし事態がこのような展開を見せた以上、私の気持ちは固まった。同人の本拠地を相馬に移しましょう、原稿を生原稿ではなくパソコンなどで電子文字に変換したものを提出してくれるなら、私が割付その他の仕事を引き受けましょう。そして以前『人間学紀要8 最終号』を作ったときのように、できた原稿を地元の印刷屋さんに頼んでコピー印刷と製本をしてもらいましょう。それなら現在の同人費を値上げせずになんとか刊行することができるでしょう。
以上の決断を東京の平沼氏に電話した。他の同人にも異存はないだろう、というか同意せざるを得ないであろう。
夕方、『モノディアロゴスⅣ』のテスト版が出来上がった。今回はこれまでの茶封筒色の表紙ではなく、先日取り寄せた鶯色か桃色の超厚紙を使うことにする。
これまでは■氏や平沼氏が「解説」を引き受けてくださったが、さて今回はどうだろう。一応明日あたり二人に送って考えてもらおう。さてどうなることか。
今日は思わぬ展開で疲れた、でもこれでよかったんだろう。発行所は冥草舎から呑空庵に移るわけだ。健康その他やむをえない事情が出来(しゅったい)するまで、乗りかかった船だ(小さいから舟か)、がんばってみよう。