数日前雪が降ったりして、また寒さがぶり返すのかな、と恐れていたら、今日あたりはかなり気温が上がって、夜の森公園を散歩するときなど、襟元をくすぐる風も心地よく感じられた。予報では明日はさらに暖かくなるそうだ。このままゆっくり春に向かってほしい。
今日も『モノディアロゴスⅣ』を作った。印刷そのもののスピードは、音がかなり大きいが、前の印刷機より早い。しかし自動紙折り機を使わない現在、すべて手折りなので、一冊分を折るのが、つまりB5の紙百五十枚を折るのがたいへんで、途中何回か休まなければならない。で結局、夜までかかって(といってその仕事だけをやったわけではないが)三冊がやっとだった。まっいそぐ仕事ではない、ゆっくりゆっくりやっていこう。
机後ろの本棚の一段は私家本コーナーになっているが、いつのまにか20冊近くになっている。『モノディアロゴス』だけでも、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、と三冊になった。いまの調子だと、昨年九月中旬からのものが相当な量になっているので、夏前に今度はⅤを編集しなければならないだろう。
しかし発表の形式として、このまま際限なく(ではない、書けなくなるときまで)300ページ近くのものをⅥ、Ⅶ…と続けていく方がいいのか、それともこのような形をそろそろ打ち切って、あるまとまったテーマ、たとえば亡父を求めての想像上の旅とか、貞房文庫の本を架空の読者相手に(あるいは孫たちに向けて)系統的に紹介していく形式のものにするか(以前なかば冗談でアリス・イン・ワンダーランドならぬライブラリーと言ったことがある)、一度考え直してみる必要があるのかも知れない。つまり具体的に言えば、Ⅴ巻で『モノディアロゴス』としては打ち止めにするということだ。
でも内容的には大したことは書けないが、この形式で死ぬまで書き続け、たとえそれを読む読者がいなくなったとしても、膨大な(長生きすればの話だが)量の、たとえば全二十巻にも及ぶ『モノディアロゴス』を書き貫くのも、それはそれで面白いかも知れない。
うーん、でもやっぱり全五巻で打ち止めにして、あとはこれまで点線でなぞったまま放置している宿題を、こんどは実線で描くことに向かうべきなんだろうな。ただしこれまでのように、毎日ある分量の文章を書き継ぐことを続けないと、生活そのものが瓦解する恐れがある。だから今度のⅣでも同じテーマの文章が、たとえば「ブライトン再訪」や「弱い神」が(一)から(四)という風に連続しているように、それをさらに延ばしていくという形式なら、何とか行けそうだ。確か森鴎外の史伝物がそのようにして書かれたのではなかったろうか(文豪と比べるなんざー、いい度胸をしている)。今度良く調べてみよう。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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