パパのパパ

十勝の片田舎でクリニックを開業している従弟が、先月に続いて、ひょっこり寄ってくれた。専門は確か整形外科のはずだが、田舎町のことだから、万病とは行かなくてもかなり広範囲の治療を受け持たなければならないのではないか。そんな激務のなか、最近はこのように時おり訪ねてくる。東京の息子さんのところに一昨年孫娘が出来たことがいちばんの理由と思うが、でもその度に、往復七時間もかけてばっぱさんに会いに来てくれる。なんともお礼のいいようがないほどありがたいことだと思う。
 私が東京の大学に通っているころ、何年間かばっぱさんところから原町の高校に通っていたことがある。どういう経緯からだったか実ははっきり覚えていないのだが、その後帯広の高校に戻って卒業し、北大医学部に進んだと思う。両親を相次いで病気で失ったことがその道に進んだ理由か。少年時代、母方のいとこたちの中でもとりわけ仲の良かった従弟だが、その後はほとんど付き合いのないままにきた。しかし五年ほど前、ばっぱさんと頴美を連れて北海道旅行をした頃から、また付き合いが再開した。広い庭(北海道だからできる贅沢)には綿羊、ヤギ、ブタ、など動物たちが放し飼いになっていたり、家庭菜園があったり、いつかまた訪ねて今度は少しゆっくり滞在したいものと思っている。
 その彼が、面白い言葉を教えてくれたのである。お茶を飲んでいるとき、愛が私のことを「おじいちゃん」と呼ぶのを聞いて、自分は孫におじいちゃんとは呼ばせないで「パパのパパ」と言わせているというのだ。なるほどねえ、そこまでは気づかなかった。といって今さら呼び名を変えることも変だろうが。パパのパパ、これだと繋がりがはっきり表現されている。パパやママとおじいちゃんの関係、漠然とは知っているだろうが、ときどきその関係が分からなくなるかも知れない。
 というと、ばっぱさんはパパのパパのママか。おっとこれだと余計混乱するか。私はおじいちゃんでいいや。日増しに言語表現が豊かになっていく孫娘の成長が、殺伐たる日常に潤いを与えてくれている。美子はときおりそんな孫を見て微笑むだけだが、もしこんな状態にならなければ、どれほど孫娘を相手に歌を教えたり話を聞かせたり楽しんでいただろうか、と考えると残念でならない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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