籠城何日目だろう?(いくつか断片的な報告)

三月二十八日午前十一時二十分

* 十和田に行った(あえて避難とは言わない)老母は無事特別養護老人ホームに入所。移動中に愛は熱を出したが、今朝は下がりつつあるという。また今朝十時現在の例の環境放射能測定値は1.01、また下がっている。これまでいつも高かった飯館でも8.99と初めて(?)一桁台になった。どちらの熱も気になるが、正直、今の私にとっては前者の方が気になる。
* テレビの原発関連ニュースは、ほとんど見なくなって久しい。だいいち、現地に来もしない作業服姿の政府高官や不安院(?)の係官、あるいは東電の上級社員登場は、こちらから見ると無駄なパフォーマンスとしか見えない。正に噴飯もの。
* ちょっと前、もしかして自身障害者かも知れないひとりの元気な若者が、福祉会館から来ましたと車でやってきた。近所に困っている方はおりませんか、とのこと。こういう危機にあって、日ごろは目立たず、むしろ弱者の位置にある方々が、不思議な力を漲らせて、他者への思いやりを行動に移している。嬉しいことだ。
* 今日は籠城何日目だろう? それさえ分からないほど異常な時間を過ごしてきたのか? いやそうではなさそうだ。昨日、清泉時代の教え子で全盲学生として初めてスペイン留学を敢行し、帰国後は資生堂に入社、そして現在は盛岡で同じく全盲の夫君と、二人の聡明なお嬢さん(もちろん二人とも晴眼者)と幸福な家庭を営んでいる佐賀(旧姓赤沢)典子さんから、ブログを読んでの感想をもらった。今回の私の一連の決断をしっかり温かく見守っていてくれた。嬉しかった。
 障害を持つことによって(もちろんすべての障害者がそうだとは言わない)得られる、ものごとを深みから観る確かな目。
* 怪我の功名? 適切な言葉が見つからないが、要するに歩行も不自由になってきた認知症の妻が側にいなければ、私はもしかして今回のような決断をしていなかったかも知れない。つまり障害を持っている妻が側にいることによって、不思議な勇気と落ち着きをいつももらっていたということだ。私の言い方を使えば(もう誰か偉い人の言い草をいつの間にか借りたのかも)生の重心が低くなる、小津安二郎の映画のようなローアングルからの視点が確保される、と言えばいいのか。


<同日午後十一時四十分追記>

 午後十一時現在の環境放射能測定値は、事故以来、というより、私がチェックを始めてから、初めて1マイクロシーベルトを割って、0.96となった。
 今日は訪問客もなく、実に静かに過ぎた一日だった。午後、ベッドの枕元近くで倒れていた本棚を直した。地震に備えて止めていた金具が飛ばされていた。釘ではなくネジで固定していたら倒れることは無かったのではないか。
 午前中、十和田から、ばっぱさんの具合が悪くなって病院に連れていった、とのメールが入った。咄嗟に思ったのは、これで病院で死ぬことがあってもそれはそれでいいのではないか。つまり98歳まで生きて、しかもこの一週間あまり、憧れの曾孫と一緒の生活もし、さらには兄の車で大好きなドライブをし(ちょっと長すぎたが)、そして愛する長男のところに身を寄せ、あまつさえ病院で手厚い看護の末に死んだとしても、実に恵まれた最後ではないか、一つも悲しむにはあたらない、と。電話で話しあった姉もまったく同じ考えだった。
 しかしどこまで丈夫なのか明治生まれは。後から来たメールでは、診察の結果、炎症を起こしているだけなので、薬をもらって退院、とあった。八年ほど前の夏、熱中症で倒れて病院に搬送されるばっぱさんに、「がんばれよ!」と声をかけると、担架の上で目をつぶったまま、素っ頓狂な声で「あいよっ!」と大声で応えたときのことを思い出した。こうなれば百歳を目指してもらおう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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籠城何日目だろう?(いくつか断片的な報告) への1件のコメント

  1. 加奈子 のコメント:

     佐々木さんの記事を新聞で拝見してから、毎日『モノディアロゴス』読ませていただいています。そして、インターネット接続していない原町の両親にも「今日はこんなことが書いてあったよ…」と毎日TELしています。
     ばっぱさんと息子さん御一家が安全圏に移られたこと、両親も喜んでおりました…
    また、栄泉堂や山田魚屋さんの情報も「えぇ~そうなのぉ~」と、驚いていました。両親も篭城組なので、原町の情報を仙台経由でこれからも連絡し続けたいと思っています。
     福島へ一時避難していたかかりつけ医の先生も戻られ、実家そばのセブンイレブンも営業を始め、家庭生活だけをとってみれば、仙台の我が家よりずっと快適に過ごしているとのこと…。汚染地域とされている場所を、「兵糧攻めにしないで!!」と願うばかりです。
     佐々木さんと奥様もどうぞお体大切になさってください。

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