福島市や郡山市の小学校の異常な毎日を報じる記事を読んだ。窓を閉め切り、蒸す教室。窓側の方が放射線量が高いので(本当かいな?)、その不公平感を無くすために毎日列替えをしているなどなど。窓を開けても線量はまったく同じだという実験結果が出ているのに、それを信じようとしない親たちへの配慮からそうせざるを得ないらしい。
先日もここで「ちぢこまるの愚」という文章を書いたが、ここまでくるとやはり異常という外はない。不安と不信の底なし沼に足を取られている感じだ。そしてだれもその愚を諌めない。ここまでは安全という例の閾値をだれも知らないからだ。
こんな形で集団生活をさせるなら、放射線ではなくストレスで病気になる子が出てくる恐れがある。ここまで来たなら、いっそ事態が収束するまで、先日提案したように、いくつか選択肢を作って、あとは親の判断にまかせてはどうだろうか。つまり南相馬市とは事情が若干異なるが、毎日学校に子供を通わせたい家庭、教師の定期的巡回指導を条件に家庭学習をさせたい家庭、そのいずれかを選ばせる。もちろんいずれの生徒に関しても、今後長期にわたって定期的に健康状態のチェックを国の責任の元に実施する。万が一将来健康被害が出た場合はB型肝炎などの場合のように、訴訟を起こして初めて国が動くなんてことではなく、当初から無条件に国の全責任の下に子供の健康を守らなければならないのは言うまでもない。
これまた震災直後の時点で書いたことだが、たとえば閾値など基準が分からぬ事態においては、暫定的・限定的ながら、各自ひとまず自分なりの行為基準を打ち立てなければならないときがある。そして一度選んだ状況下にあっては、つとめて自由に、積極的にその環境を生きるよう努めなければならない。あたかも現在自分たちの生活を圧迫しているものが存在しないかのように(鴎外に「かのように」という短編があった)。
要するに、この非常時くらいは、教育というものを学校とか校舎・教室からもう少し広い場所や機会に開放することである。元教師のおじいちゃんやおばあちゃん、元教師でなくても子供の教育に関心のある多くの人を動員して、新しい角度から教育を見直す絶好の機会と捉えることができるのではないか。
その子たちにとって、この新たな経験が、将来必ず深い意味を持つようになるはずだ。それじゃ学級崩壊だと? そう崩壊、それもいい方への崩壊、正しくは開放である。人類の歴史において、現在のような学校制度はたかだか百年ちょっとの歴史しかない。学校がないと無知蒙昧な人間が輩出する? いやそんなことはないよ。元教師の言うことではないかも知れないが、日本のように学校依存型の社会は、均質な人間つまり金太郎飴型人間は作るが、「自分の目で見、自分の頭で考え、そして何よりも自分の心で感じる」人間を作るにはあまり役立たない、というかむしろ足かせになっていることの方が多い。
脱原発ならぬ脱学校のささやかな試みである。
ところで話はとつぜん変わるが、明朝、三泊四日の停泊を無事終えて、オデュッセイア号は台風2号に追いたてられるようにして避難先へと向かう。無事目的港にたどり着くことができるよう祈るばかりでる。愛はもうすぐ3歳、教会幼稚園年少組に入園できるであろうか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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