意外な展開

昨晩いや今未明の文章に、いちばん言いたいことが抜けていました。前段に繋がるかどうか分かりませんが、忘れるといけないので、とりあえず書いておきます。つまり知の独占形態からの脱却を言いたかったのです。元教師からはちょっと言いにくいのですが、たとえば理系の大学など実験施設などが必要な分野ならいざ知らず、現今の文系大学は根柢からその存在理由が変質しているにも関わらず、それを問い直すことをしないまま、ただ闇雲に経営を続けようとしているとしか見えません。つまりかつての大学は、それぞれの分野での優秀な教授連や専門書・文献など知的財産を持っていることなどによって成り立っていた、とりわけ人文系の大学などはそうであったのですが、しかし近年インターネットなどの急激な発達によって、大学や研究機関に集約されていた知的財産がかなりの程度まで開放されたというか分散されるようになりました。
 いま私が大学の先生を続けていたとしたら、たとえばリポートや卒論などの評価は難しかったろうな、と思います。つまりどこからどこまでが学生自身のものなのか、どこからどこまでが他人の論文なのか、判定がむつかしいはずだからです。だからどこかの大学の先生は、論文のオリジナリティーを見分けるソフトを開発したそうですが、それは早晩悪知恵のはたらく学生によって、簡単に乗り越えられてしまうでしょう。ということは、学生の評価基準そのものの再検討が必要だということでしょう。
 ことほどさように、かつては少数者の占有物だったものが、現在では多くの人たちの共有財産になっているというわけです。このこととうまく繋がるかどうかは分かりませんが、ふだんから私は行き過ぎた意匠やプライバシーの守り方に疑問を持っています。以前もどこかで書いた覚えがありますが、たとえば中国のどこかの(上海?)テーマパークでディズニーの意匠が盗用されたとき、だれもが柳眉を逆立てて非難したことがありました。でも自分たちの子供時代、へたくそな模造品のポパイやミッキーマウスでどれほど豊かな夢を育むことができたか忘れています。中国の貧しい(くはない?)子供たちが少々いびつな顔のドナルド・ダッグからどれだけ楽しい夢を紡ぐことか。もしデイズニーおじさんが生きていたとしたら、中国の子供たちのそんな情景を満足げに眺めていたかも知れません。そのディズニーおじさんの遺産を独占して儲けている巨大産業組織を、なぜみんな声を揃えて応援しているのか、私にはさっぱり分かりません。模倣をすることによって暴利をむさぼっているのが、またまた巨大産業組織だとしたら、それに対して規制することは賛成ですが…。
 どちらにしても昨今の意匠問題、プライバシー問題は少し行き過ぎだと思っています。たとえば私なんぞは妻の認知症のことを一向に恥ずかしいこととは思ってませんが、世間にはひたすらそれを隠そうとする風潮があります。病院窓口で自分の名前が呼ばれることに異常なまでに敏感な人たちも出てきました。ほんとうに恥ずかしい病気、たとえば花柳病(とは今は言わないか)なんぞの場合はさすがに遠慮願いたいが、でもそれだって泌尿器科という窓口なんだから、あっ俺痔なの、といった顔をして堂々としていたらいいのに、なんて思っちゃいます。
 と、ここまで日中走り書きしていたのですが、夕方近く、実は思っても見ない嬉しい事件がありました。それは今未明のブログの内容と関係しますので、皆さんに報告しなければなりません。簡単に言えば、大震災以後のこのブログの出版を引き受けてくれる出版社が見つかったということです。 
 以前からスペインの思想家オルテガ繋がりで親しくお付き合い願っているR・N先生に今日の午後、出版を引き受けてくれる出版社を探してるところだとお話ししたところ、それじゃ少し当たってみましょう、と言われました。実はここしばらくのあいだの芳しからぬ事態のこともあって、失礼ですがあまり期待しておりませんでした。ところが夕方、先生から、さきほど或る心当たりの出版社を訪ねたところ、引き受けてくれるとの確答を得たと言うのです。私も知っているR社のことでした。
 捨てる神あれば拾う神あり、というのは本当ですね。まだ直接具体的な話はしてませんが、『わが闘いの日々』以降のもの、つまり五月六日以降から今日までのものも(全部ではないと思いますが)、そして皆さんからのすばらしいコメントもいくつか加えてもらえる可能性が出てきました。有り難いことです。
 しかし今未明に皆さんにご披露した革命宣言でお約束したことは不動(?)です。つまり具体的に言えば仮綴本『わが闘いの日々』の原稿をご希望の方には、喜んで添付して差し上げますし、呑空庵刊行のずべての本についても同様だ、ということです。もちろん今度出版社から出される予定の本は、題名から収録内容まで大幅に変わると思いますので、R出版社のご好意に背くことにはならないからです。そしてめでたく出版されたときには、どうぞ皆さんからもお友だちなどに勧めていただければ幸いです。
 昨夜いや今未明は、いささか悲壮感めいたものを感じながらベッドに入りましたが、今晩は少し早目に、しかもある種の満足感を持って床に就くことができそうです。これもひとえに皆さんからの熱い応援があったからこそです。改めて感謝いたします。そしてお休みなさい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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意外な展開 への4件のフィードバック

  1. 松下 伸 のコメント:

     呑空 先生
     よかったです。
     でも、こういうことを目の当たりにしますと、
     書誌というのは、むしろ体裁の整わないモノの方に、
     著者の本意が示される・・とも
     偽書、真書と、よく論争がありますが、
     何事も体裁第一と考えない方が
     良いのかも。
                            梁塵
                 

  2. 三宅貴夫 のコメント:

    京都からおはようございます。
    いい出版の話です。
    他に類をみない、この「モノディアロゴス」を見過ごす出版社はないでしょう。
    ちょっと気になるのがタイトル「わが闘いの日々」は、某独裁者の「我が闘争」を連想したり、何の闘争、何への闘争なのが分かりません。
    思いは理解できないことはありませんが、広く読まれるためにタイトルを再検討された方がよろしいかと思います。
    私の書いた物のなかで、売らんかなの出版社から昨年出して介護専門職向けの解説書のネーミングルは「介護現場でいまさら聞けない病気の常識」。
    ここまで落とさなくてもよろしいが、との私の勝手な提案です。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    ご提案痛み入ります。ときどき三宅さん、お職業がら末期ガンを告げる医師みたいな口調になるので、籠城生活でやつれた身(これウソです、かえって太っちゃいました)には少しキツイです。
     もちろんあれは題名の後に(仮題)と断わってますように、ファイル分類の目印程度に一時的につけたもので、R社の編集者とじっくり検討するつもりです。ともあれ率直なご意見ありがとうございます。
     あゝそうだ、いいこと思いつきました。ここは皆さんに、いい題名を考えていただきましょうか。最後に採用された提案者には、なにか賞品、もしよかったら呑空庵刊行の私家本一式(たぶん21冊)というのでは食指うごきません?

  4. 田渕英生 のコメント:

    出版決定おめでとうございます!!!

    いただいた本はまだ少ししか目を通せていないものの
    時間をかけて大事に読ませていただきます。

    無断で自分のブログに「モノディアロゴス」のことを
    紹介させていただいていました。ご容赦ください。

    またお会いできるのを楽しみにしております。

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