すべて上っ滑り

昨日は唐突に「近代」を話題にしたりして、戸惑っておられる方もいたのでは、と怖れている。本当はそんなこと(?)を気にせずに、書きたいことを書きたいままに書いていくのがこのブログの流儀なのだが、それにしても昨夜の話はやはり説明を加えなければならないことだと反省している。
 さて「近代」とはもちろん一般に歴史区分で言われている「近代」のことである。つまり西洋史では市民革命・産業革命からロシア革命まで、日本史では明治維新から太平洋戦争の終結までの時代を謂う。そしてそのあと、今私たちが生きている「現代」となるわけだ。しかし昨日の話からもお分かりのように、近代と現代がバトンタッチをして画然と継起したわけではない。たとえば今なお使われている「近代化」などという言葉からも明らかなように、近代は現代までなおも続いていると言わなければならない
 太平洋戦争勃発直後の1942年に、雑誌『中央公論』や『文学界』で小林秀雄や亀井勝一郎などが「近代の超克」というテーマで論じたりしたが、もちろん近代は超克などされずに、現代社会のいたるところに隠然たる力を振るっている。もともと超克などされるはずもないものと言うべきであろう。
 昨日はほんの思いつきで近代の指標をスピード、スマート、サクセスのスリー・エスだなどと言ったが、実はそれはウナムーノが言ったスリー・アール(R)をもじったものであった。つまり彼は、近代をその根柢で動かしている三つの柱をルネッサンス、宗教改革(Reformation)、そして革命(Revolution)とし、そしてそれらを最終的に統括する原理が理性(Reason)であると言った。実はスペインの面白さというか独自性は、それら全てに抵抗した点にあるのだが、ここはスペイン思想史の授業ではないのでこの話はここでやめておく。
 要するにスリー・エスをスリー・アールの一種のバリエーションもしくは到達点としてでっち上げたのだが、それらを統括するものは、といえばさしずめ快適・安楽(comfort)か。でもそうなると言葉遊びが成立しない。
 言葉遊びは成立しないが、これら三つのSと一つのCは、私たちの時代を根柢において動かしているものであることは間違いないであろう。オリンピック競技やオートレースで0コンマ何秒かを競うのは当然としても、私たちの社会はすべてにおいてスピードが求められている。ファーストフードの接客、列車・バスの発着から、本来は沈思熟考さるべき人生の重要な問題の選択や解決までもが「スピード感」を求められている社会
 テレビに登場するタレントたちの「滑舌」のよさはそれはそれで一種の才能ではあろうが、しかしなんと意味のない言葉の速射砲であることか。スピードについて語り出してもこのように話題は尽きないが、スマートやサクセス(これは即効性と言い換えてもいい)についても言いたいことが山ほどある。
 かつては三つのアールにことごとく抵抗したスペインも現代ではどうか。EUの枠組みに唯々諾々と収まってしまって、ウナムーノが生きていたら何と言うだろう。いやこの際スペインのことはどうでもいい。問題は我が愛する日本のことである。
 かつて夏目漱石は『現代日本の開化』の中で、こう言っていた。

「…現代日本の開化は皮相上滑りの開化である…しかしそれが悪いからお止しなさいと云ふのではない。事実已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない…戦争以後一等国になったんだといふ高慢な声は随所に聞くやうである。中々気楽な見方をすれば出来るものだと思ひます。ではどうして此急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。只出来るだけ神経衰弱に罹らない程度に於て、内発的に変化して行くが好からうといふような体裁の好いことを言ふより外に仕方がない…」

 明治44(1911)年に漱石が感じていた嘆かわしい事態は、「開化」を「現代化」あるいは「復興」と言い換えるなら、きっかり百年後の今日もまったく変わることなく、いやむしろさらに深刻の度を増して私たちの前に立ちはだかっている。上っ滑りに滑って行かざるをえない事情があることも一概に否定することはできないかも知れない。しかしたとえそうであっても、せめて神経衰弱にならない程度に、わが国の上っ滑りの事実をともかく見届け、さらに危険な方向へ滑っていかないよう監視する人が途絶えないようにすることを、特に若い世代に伝えていかなければならない。

 ことわるまでもないが、除染などさらに緊急を要する災害対策のことを言っているのではない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

すべて上っ滑り への1件のコメント

  1. mari のコメント:

    Bonjour
    S comme Société

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