原発難民行進曲

以下のものは「麦と兵隊」(昭和13年。作詩・藤田まさと、作曲・大村能章)の替え歌です。メロディーをご存知でない方は、YouTubeで美空ひばりさんなどたくさんの歌手が歌ってますので、どうぞそのメロディーに合わせてお歌い下さい。自分から言うのは変ですが、不覚の涙が出てきます。


  1
    除染除染とだれもが叫ぶ
    除染終われば住みよいか
    思いあぐねて振り返りゃ
    原発夕陽に照り返る
    あゝ無念の浜街道

  2
    ライトを頼りに夜道を行けば
    いとし我がベコ慕い寄る
   「すまん、すまん」と撫でてはみるが
    いつまた会えるか分からない
    涙こらえて 星空仰ぐ 

  3
    今日も晴れ行く相馬の空を
    雲雀悲しく鳴いている
    遠く見ゆるは国見の山か
    山菜取るのはいつの日ぞ
    婆さま(ばさま)すまねえあの世で探せ

  4
    眼(まなぐ)上げれば百尺観音
    今日も静かに笑ってる
    馬鹿な民草(たみくさ)哀れんで
    独り平和を祈ってる
    蓮(はす)の清(すが)しさ美しさ 

  5
    行けど進めど道なお険し
    業の深さよ惨めさよ
    安楽・利便の後のみ追って
    袋小路に迷い込む
    原発難民どこさ行ぐ

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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原発難民行進曲 への1件のコメント

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    私はこの歌のメロディーは知らないのですが、詩をゆっくりと読んでいくだけで、哀しみがじんわり湧いてきます。涙壺が満杯になってしまいました。
    何故何故この国を動かしている人達は、人々の涙に寄り添えないのでしょう…?
    哀しみや困難を抱え、抑え、生きている方々を思うと、悔しくて悲しくてたまりません…。
    福島に住んでいない自分が、その立場に立ってもいない自分が、あれこれ言うのは適当ではない、と思っているのですが、
    でも、何も思わずに生きていったりは…出来ないです。

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