いま美子は笑顔でルームマーチDXで足を動かしている、いや動かしてもらっている。このように膝の屈伸はできるのだが、居間から出て2メートル先にある3段の階段(旧棟と新棟を結びつける)が、ここ数日で大変な難所に変わってしまった。つまり20センチほどの段差がきつくなってきたのだ。ということは、身体機能の問題ではなく、脳から体への意志伝達機能がだめになってきたのであろう。
いままでは、私の言うこと、たとえば「さあ足を上げて」という言葉が伝わらなかったりすると、イライラし、ときに叱りつけたりしていたが、ここ七日ほどの間の急激な悪化に直面して、腹が決った。つまりこれからはどんなときにも顔色一つ変えずに柔らかな表情で、絶えず優しい言葉をかけ続ける、と。なぜならいちばん辛い(であろう)のは、美子その人だからだ。
それはともかく、今日は大忙しの一日となった。まず家の前の車停め(ただの地面だが)の車庫証明のため、その地面の持ち主の承諾書をもらいに、駅前の不動産屋さんに行く。ついでに言うと、50年程前にばっぱさんがこの家を建てたときには周囲は野原で、車などどこにでも停められたが(もっともそのころは車など使わなかったが)、家の前の土地の持ち主の代が替わった途端、駐車代を要求されるようになってしまった。それを聞いてばっぱさんが怒って文句言ってくると言い出したが、代替わりとなれば仕方がないと急いで止めた経緯がある。世知辛いのは世の常。
次いで印鑑証明・被災証明書などをもらいに市役所に。被災証明書は初めてもらうものだが、車庫証明に添えるよう明記されている。出すと手数料が免除になるらしい。だったら文句を言わずに出しておこう。
バリアフリーの工事については昨日、吉田建業さんが下調べに来てくれ、今週半ばあたりから工事を始めてくれるらしい。ならば明日にでも、介護用品を扱っている店でいよいよ車椅子の物色といくか。
こうして少しずつ、新しい事態への準備をしているあいだも、淋しいような、空しいような変な気持ちが続いている。だって今までだったら、こうして美子を家に置いて外出するようなことはなく、いつもシャム双生児みたいにくっついて行動していたからだ。そういえば、ほんの十日前まで、夜の森公園を散歩してたのではなかったか。公園を散歩することはもう出来ないのであろうか。この次行くときは、あの緩やかな坂道を車椅子に乗せて登っていくのだろうか。
こういうことになるのが前もって分かっていたら、もう少し一緒に歩いておけばよかった。田舎に帰ってきた当初、散歩は並んではいたが手を繋ぐなどは滅相もなかった。それがいつの頃からかは手を繋ぎ、そして最後は両手で引っ張りながらの散歩になってしまった。いやそれでもいい。もう一度両手を引っ張ってあの坂道を登っていきたい。
当たり前の行為がどれだけ貴重でありがたいものか、それが分かるのはいつも欠落してからだ。
こうしていささか気の滅入る一日となったが、嬉しいことももちろんあった。菅さんがヴィオラの川口さんと組んだドュオ・スフィアの二枚目のCD『歌への旅立ち』と一緒に、前から約束してくれていた『嗚呼、八木沢峠』がついに完成し、そのCDも送られてきたことだ。2分15秒ほどの短いピアノ曲だが、どこかスペイン風の旋律も入っていて、あの八木沢峠を爽やかに吹きぬける風の音も聞こえてくるような美しい曲である。若い孝と美子が何度あの峠を越えたことか。そのうち、お望みなら誰もが聞けるような仕組みを作ってもらおうか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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もちろん著作権の方は大丈夫ですが、手元にあるCDをどうS君に送ればいいのですか? CDそのまま郵送するのか、それともパソコンで送る方法があるのか。メールで結構ですから教えてください。
皆さん、ご紹介します。私が2002年に南相馬に帰ってきて、高校生たちと何か面白いことをしようかな、と思ったとき、真っ先に近づいてきたのがS君、当時はまだ高校生。その後東京に働きに出て、今は確か建築関係の会社で働いているはず。南相馬からの避難者支援を八王子を中心に大きく展開して、マスコミでも紹介されました。いつか南相馬に帰り、地元の発展のために働いてもらえることを期待してます。このホームページやブログのお世話をいつもしてもらっています。皆さん、どうぞよろしく。