若い映画監督

★上のフィルモグラフィーはクリックすると大きくなります。それでも小さすぎたら(私のように老眼で)、右下にある100%のプラス記号を押すと150%大まで大きくすることが出来ます。老爺心まで。 

数日前のこと、年配の男の人の声で、ドイツから来たドキュメンタリーを作るミゾグチという者ですが、お訪ねしてもよろしいですか、との電話。もちろんいいですと答えると、では福島に入ったらご連絡します、ということだった。その翌日だったか、今度は朝日の浜田さんから、ドイツから若い映画監督が私にぜひ会いたいと言ってきているので電話番号を教えていいですか、との電話。もちろんどうぞ、と返事をしたが、23歳の若いドイツ人? あれ、二人も別々の監督がご来駕? しかし後の方のドイツ人からはその後なんとも連絡がなかった。
 そして昨日の十時、先の年配の方の予告どおり十時ぴったりに玄関からのチャイムが鳴った。出てみると一人の在ドイツの日本人が、そして予想に反してその後にジーパン姿の若いお嬢さんがかなり重そうなリュックを背負って立っている。とりあえず美濃口さんという方(ミゾグチではなくミノグチだった)とその連れのお嬢さんを、震災以後にわかに国際的(?)になった二階居間に招じ入れた。
 改めての挨拶で分かったのは、なんと監督はそのお嬢さんの方だった! そして年配の紳士はそのお父さん。つまり紳士の奥さんがドイツ人だったというわけ。その時、お嬢さんから渡されたフィルモグラフィーが上にアップしたものである。それを見ると処女作は彼女が16歳のとき。若い、若すぎる!しかも何度も国際的な映画祭に出品、そのうちのいくつかは受賞までしている。偉い、偉すぎる!
 さっそく取材が始まった。父上の発する質問に答えるという形でのインタビューだが、特に意識したわけではないがNHKのときとは別の角度からすらすらと(?)答えが自然に出てきた。美濃口さんの誘導が上手だったからであろう。その間、監督がカメラを回す。ひとしきりのインタビューが終わったとき、監督がなにやらドイツ語で父上に話している。つまり私の日常光景を撮影したいという。これまでの取材のように公園での散歩は無理。それでは、と台所に行き簡単な料理を作ることにした。その間、父上は居間に美子と残り、私と監督は下の台所へ。さて何を作る? 
 自分で言うのも変だが、まるでカメラを意識しないで、冷凍のブロッコリーや南瓜、それに豚肉を混ぜてフライパンに入れIPに着火。さらにその上に適当に(適量とは違う)醤油と砂糖を加えて…その場面(?)を切り上る際、美味しそうな匂い、と監督に褒められる。
 二階に戻ると、監督はまた何やら父上にささやかれる。今度は、買い物に行ってほしいと言う。いいっすよ、どうせ行かなきゃならないんすから。今度もまた父上を残して、車でスーパーへ。買い物客に混じって売場を物色。夕食のためのおかずをいくつか。ここでもカメラを意識しないで、まるでおばちゃんのように自然に(?)ふるまう。すると監督、駐車場に向かいながらすかさず褒めてくださる。まるでプロの俳優みたいに、カメラが回っていても自然にふるまってる、と。でしょ!
 家に帰ると、これから津波被害の海岸や除染の現場などを映しに行くというので、もっと美濃口パパとも話したかったが残念、お別れのときとなった。監督はまた重いリュックを背負う。いいですね、お父さんと一緒の取材旅行、と言うと、監督は「時々はね」と小さく答える。時々はね、というのは、ときにはパパと一緒の旅は面倒くさい(?)という意味かな。それはそれで微笑ましいし羨ましい。
 以上が昨日のこと。そして今日は吉田建業さんと相方の高田さんが朝八時からバリアフリーの工事開始、そしてその後、この工事をめぐっての行政とのひと悶着があったのだが、それはまた明日書く。
 そのひと悶着、つまり久し振りの瞬間湯沸かし器フル稼動の後だったか前だったかもう忘れたが、玄関のチャイムが鳴って出てみると、何と昨日の美濃口さん父娘が立っているではないか! 昨日お渡しするのを忘れたので届けに来たとパパが言う。そして監督が渡してくれたのは、彼女の監督作品『兄と妹の心』のDVDと美子のためのお菓子の袋だった。まあなんと優しい心遣い。いつかまたお会いしたいですね。すると美濃口パパ(といっても私より一回り若い)が言う、たぶんまた来るでしょう、と。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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若い映画監督 への3件のフィードバック

  1. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    エトワールさん
     私が問題として感じているのは、仕組みを知る知らないの問題ではなく、福祉行政のあり方そのもの、つまり書類優先ではなく人間優先、もっと正確には弱者(病人やお年より)優先であるべきということです。さらに言えば、病状の悪化など予想できない場合が多く、事前申請制度などを理由に申請を却下などすべきではないということです。貴女の言い方だと、私はもっと事前に調べておくべきだったということになりますが、家内の歩行困難は書類審査のスピードをはるかに越えるものでした。あなたの意見は一般論としては正しいですし、私もそれには大賛成ですが、今の私に対してはいささか的外れというか、余計な忠告です。そのおつもりではなかったかも知れませんが、ことの流れからはそう受け取らざるを得ません。悪しからず。
     それから良い序でですからこの際申し上げますが、たとえば悪徳業者など悪意のある人間から不当な追跡を受けている人などは別にして、ネット上で匿名で発言する風潮に対して、以前から好ましいものではないと考えています。もちろんたとえば私のように富士貞房などのペンネームあるいはハンドルネームなど簡単に本人が特定できる場合は別です。最近の行き過ぎたプライバシー絶対視の傾向についても同じように考えています。これまでも折にふれてこの問題について論じてきましたが、お時間があるときにでもぜひ読んでいただければ幸いです。よろしく。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    エトワールさん、貴女の誠実な、そして深い思索の跡が明瞭に現われている文章を嬉しく読ませていただきました。朝から汚い話で申し訳ありませんが、昨日、家内が三日間溜めていたものが出たのはいいのですが、薬のせいか処理の困る状態になっていて、しかしこの間も自戒し決心したように、笑顔でやさしい言葉で励ましながら作業(?)を続けていたところでした。しかも立っていることが出来ずにカーペットにへたり込んでしまい、それを起こすのがまた至難の業、でもようやく椅子に坐らせ、後始末の拭き掃除などで大糞闘した後でしたので、ついその反動(?)できつい言葉を連ねました。こちらこそ失礼しました。
     また匿名の影に隠れて好き勝手なことを言う風潮に対してはまったく批判的ですが、しかし貴女の場合のように、実名で書く以上に個性が明らかなペンネームやハンドルネームの使い方に異存あろうはずもありません。いつかエトワールという名前が実名以上に貴女の独自性・個性を意味する名前になりますように。
     埴谷雄高の雄高が小高に発しているように、エトワールさんの実名が、あるいは旧姓が、何か、私なりに推定してますが、もちろんそれは枝葉末節の詮索。ともかく私にとっていまやエトワールという名前は既に実名以上の実質と重さを持ち始めているということです。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    エトワールさん
     そうですかプラド(Prado)美術館所蔵のゴヤ展に行かれたのですか、羨ましいですね。ところで細かいことを言うようですがプラドという言葉のアクセントは「プラ」の「ラ」のところにあります。ですからもし長音記号を入れるとすれば、プラドーではなくプラードです、念の為。
     それからエトワールさんのコメントに対する熱い思いはよく分かりましたが、一言付け加えさせていただくと、コメントはあくまでコメントの立ち位置を守る方がよろしいのでは、と思います。その点、よく登場する澤井兄のコメントは境界線すれすれのところまで来ることがありますが、でもその一線を越えることは絶対にありません。そして母屋に対する節度は徹底していて、たとえば毎度のように母屋の主人に対して褒め言葉や感謝の言葉を書かれていますが、私がそれを当然のように受け取っていると思われたら心外です。言うなればそれらの言葉は、境界線ぎりぎりのところでご自分が越境していないかどうかを確かめるための測鉛のようなものと思っています。
     そしてもう一つ、母屋へだけでなく他のコメンテイターへの良い意味での気配り・思いやりが必要です。つまり自説・持説の言いっぱなしではないということです。ウナムーノがなぜ書簡体を好んだかといえば、それはたとえ未知の相手に対してであっても「語りかける」ことが好きであったためです。つまり思想は虚空に向かってではなく、既知であれ未知であれ、それを受け取り反応する相手に向かって発せられるべきものであるということです。
     ところで話は戻りますが、今回来ているのはゴヤの「マヤ」でも裸ではなく「着衣のマヤ」の方だと思いますが、それに関しては拙著『スペイン文化入門』に書いていますので、いつかぜひお読み下さい。また親しい友人の大高保二郎早大教授の優れた論考もとても面白いですよ。

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