売文業再宣言

毎日少しずつ、まるでヤドカリ、いや違うアリンコのように、二階の机周辺の雑具を下の机(といっても以前買っておいたパソコン用の小さな机だが)の周辺に運んでいる。明日は美子の好きなテレサ・テンやサム・テイラーのサックスのCDが聞けるように、小さなプレイヤーと少し大きめのスピーカー二つを運ぶつもりである。
 でも相変わらずなにかうそうそした感じが拭い切れないでいる。それがばっぱさんの死のせいなのかどうか。いやそんな感じは、昨年の3.11以後ずっと付きまとっているような感じもする。いつかこの靄のようなものが晴れてすっきりする日が来るのであろうか。
 それでも連日、美子の昼寝とか、美子を愛たちの部屋に預けたときを見計らって、二階の寒い廊下(つまり書斎)で『モノディアロゴスⅥ』の印刷・製本を続けている。昨日からは中村氏の「解説」を加えた第二版(といって初版はわずか数冊止まり)となった。
 そんな折、以前書いた「宣言(宣伝)文」とその解説を新しい読者の皆さんにもお見せしたほうがいいのでは、と思いついた。それには読者の一人(以前もご紹介したことのあるN. Oさん)の次のようなメールを読んだからである。つまりこのブログは、コメントなどを通じて温かで個性的な皆さんに支えられ励まされてここまできたが、同時に静かに、しかし熱心に応援してくださっているたくさんの方々にも支えられていることを忘れることはできない。つまり両方の方々それぞれの流儀でこのブログを支えてくださったことを、ここで改めて感謝申し上げたいのである。

佐々木孝、美子様
 モノディアロゴスⅥ、早速読ませていただきました。とても不思議な気持を味わっております。インターネットで読んでいたものと活字になった本は別のものということは、以前にも感じていました。でも今回はさらにその感を強くします。
 最近のコメント欄の賑わい。個性的、知性的な才能豊かな皆様達。其の素晴らしさに感嘆し、気になって必ず読む自分がいるのですが、誤解を恐れず言わせていただくなら、時に、それに精神的に疲れてしまう自分がいるのも事実です。
 一人静かに本を読み進めていくうち、作者と一対一で向かい合うことが出来る魂の喜びをしみじみと感じ、ことばが隅々までしみいります。
 『ブログに集う皆様の交流』を楽しみに拝見しつつ、作者と自分との真摯な対峙も大事にして行きたいといったところでしょうか。
 市販本の作製過程はよくは存じませんが、編集も作者自らなさった本には、何らかの作者のメッセージがあるのでは…と、順番が違うところに無理矢理意味をこじつけて楽しんでおります。稚拙な読者をお笑いください。
 インターネットと活字の違いを遥かに越えた『本になったモノディアロゴス』の魅力を、折にふれて存分に楽しませていただきます。有り難うございました。
 明日の寒波は格別厳しいとのこと、お身体大切にお元気で。  N. O

 
 さて四年前ほどのことになるが、以下のような文章を書いた。自ら「解説」まで書いているので、それをそのままご紹介する。読んでいただければ幸いである。

 
  売文業開始宣言!(お気に召さねば御代無用!)

 このたび『モノディアロゴスⅡ』私家版製作にあたり、筆者として一大決心するにいたりました(といってわずか数分前にふと思いついたことですが)。それは以後、当「呑空庵」で製作する私家本は、すべて原則的に(という言い方に矛盾がありますが)実費(つまり材料費+手間賃少々)をいただくことにするということです。
 本当は呑空庵などと格好をつけることなく、たとえば堺利彦、大杉栄らの売文社のように堂々と「売文」を表に出すべきでしょうし、あるいはオルテガの個人誌『エル・エスペクタドール』のように予約制で読者を募るべきでしょうが、そのための度胸と才覚が共に欠ける小生にはそのいずれにも踏み切ることかなわず、ここにしめやかに、もとい!おずおずと、売文業開始宣言をするにいたりました。
 先ほどはつい見栄を張って、堺利彦だのオルテガだの大物を引き合いに出しましたが、実際は街頭でダンボールの看板を立てて自作の詩集を売る貧乏詩人といったところでしょう。ただ外見は貧しく哀れに見えるかも知れませんが、少なくとも内面は闇雲な自信と矜持を持つ詩人でありたいと願っております。
 そんな勇気と衝動の遠い原因に、もしかするといままで以上に日々密着して生活しなければならなくなった認知症の妻の存在や、前三世紀楚の詩人屈原に端を発するという旧暦端午の節句(六月八日)に元気に誕生してくれた孫娘・愛の存在があるのかも知れません。つまり、このままおめおめ老いさらばえてはいられねえ、とのひらき直り、くそ度胸かも知れません。
 以上、なんとも奇妙な宣言(カミングアウトではありません)をここで終わらせていただきます。どうぞ今後ともよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

     二〇〇八年六月十二日

    呑空庵庵主  富士貞房 またの名を 佐々木 孝

 (未来の)愛読者の皆様へ

[解説]
 私家本を実費で頒けることは、実はすでに一部実行してきたことである。それなのに今回改めてそう宣言するのは、宣言文をお読みいただければある程度分かることだが、おのれの執筆活動を、退職者・年金生活者の余技とみなされることはなんとしても避けたい、むしろ終生現役の物書きとして攻撃的に(?)生きたいという願いが込められている。いや自分の書いたものを「売る」ことの恥ずかしさ、難しさ、そして厳しさに潔く挑戦したいと思ったからである。
 今回敢えて名乗りを上げるにいたった理由には、さらに二つのことが引き金となった。一つは、つまり三番目の理由は、今月初めにネットで見つけた自動紙折り機(ドイツ・ダーレ社、五万四千九百八十円)の購入である。袋綴じ印刷で本を作る際のネックの一つは、印刷された紙を正確に二つ折りにすることであるが、これまではもちろん両手で折っていた。しかしこれが意外に疲れる。手だけでなく老眼にとってもかなりキツイ仕事である。もしかすると鶴の恩返しの機(はた)織りよりもっと疲れるかも知れない。今回その苦労が解消され、いくぶんかの余裕ができたわけである。ただし機械はしょせん機械、ちょっとした具合でびみょうなズレが生じるので、ときどき機械の調整が必要である。
 苦労話は際限がないので次の、つまり四番目の理由に進む。それは先日島尾伸三氏からいただいた『禁産趣味者宣言』という奇妙な、そしていささか危険な本である。各種・各国の漫画の切り抜きのコラージュ(彼の言葉では凝裸儒)の隙間というか余白に飛び飛びに発せられる言葉が実に反社会的で非生産的でアブナイのだ。もちろん彼ならびに彼の家族のユニークな生き方など真似できるものではない。真似をしたいのは、そこだけは父・敏雄氏と似ていなくもない彼の、とりあえずは社会とか人生そのものとの闘いの姿勢、つまり当たって砕けろ、ではなく、砕けて当たるその姿勢である。
 いや、話をずーっと約めて言えば、自著を「海老で鯛を釣る」のその「海老」にするのではなく(そう狙わなくても結果的にそうなる場合が多いので)、掛け値なしの「御代」を謹んで頂戴することにしよう、ということである。

*「解説」の一箇所だけ訂正しなければならない。それは自動紙折り機ダーレ君は、やはり静電気その他ちょっとした具合で、かなりアバウトにしか折ってくれず、かなり早い段階から一枚一枚手折りになっていることである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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