大どんでん返し

先ず真っ先に頭に浮かんだ言葉は「青天の霹靂」だった。次に思ったのは、長く生きていればこういうこともあらーな、だった。だからといって長く生きることは嫌だ(?)などとは金輪際思わぬ。こんな不如意なことがあっても、生きていることは素晴らしい、とはさすがに今は思わないが、少なくとも生きていることは面白い、とは思っている。多少の負け惜しみは混じっているが。
 要するに、長い長い友情(と信じていたもの)が、一瞬の間にがらがらと音を立てて崩壊したのである。相手はパソコンとは無縁の人だから読まれる心配はない、という理由からだけではないが、私自身の気持ちの整理のためにも、できるだけ事実だけを追ってみる。
 今日の午後、或る友人から一通の封書を受け取った。いつものようにワープロで打たれたぎっしり3枚の手紙で、毎回励まされたり力づけられたり、これまで嫌な思いなど一切持つことなどなかった親友からの手紙である。読み始めて一瞬目を疑った。思っても見ない、考えてもみないことが書かれてあったのだ。
 簡単に言えば、私が彼を上から目線で見ている、「畏友」という言葉も内実を伴わない通り一遍の表現で、「文才のある人」という褒め言葉も、それこそ高所から下を見るような傲慢な表現でしかない…以下、いくつか小さな事実誤認を指摘し、自分のことを適切に評価していない、といった内容である。
 手紙で問い合わせるのももどかしく、ともかく彼の真意を知りたくて自宅に電話した。すると最近の日課だが、隣町に借りたマンションに出かけていて、留守だという。それではお帰りになったらお電話くださるようお伝えくださいと言って電話を切った。
 五時過ぎに彼から電話が来た。手紙に関しての電話であろうと予期していた風なので、単刀直入に聞いてみた。あなたが指摘しているような気持ちは当方にはまったくなく、たとえば「文才云々」の言い方も、今では認知症になってしまった家人を証人に立てるわけにはいかないが、昔から口癖のように言ってきたのは「彼は僕より文才のある人」であって、決して高みから偉そうに評価する言葉ではないこと…
 すると彼は思いもかけぬことを言い出した。つまり私に対して不愉快な感情を持ちだしたそものものきっかけは、以前私が、彼からの手紙をほとんどすべて保存しているが、もしかして君は僕の手紙を保存していないだろうか、と聞いたことがしこりになったというのだ。ええっ、どうして? それがプレッシャーになったって? こちらは、まるで軽い気持ちで聞いただけなのに。
 ともあれ、彼を紹介した私の文章がそれほどまでに彼を不愉快にしたのなら、もちろんそれをブログからも私家本からも削除するからと約して、一旦は電話を切った。しかし後から、そのとき彼が漏らした言葉がけっして聞き捨てにしてはならない言葉であったことに遅まきながら気づいたのである。つまりこれまでいろんな機会に書いてくれた彼の「解説」は、いわば一種の外交辞令で、けっして「本音」ではなかった、という告白である。
 私はその都度、心からの感謝の念をもって彼の「解説」を読み、そして読者にも紹介させてもらってきたのだが、それが心にもない賛辞、いやお世辞だとしたら、たとえそれが私家本であれこのまま掲載することは許されることではない。
 夕食の後、再度彼に電話して、彼に対するこれまでの尊敬の念や感謝の念は掛け値なしのものであったが、しかし私に対する彼の評価や感想が本音でなかったと言われた以上、以後の出版などから彼の「解説」はすべて削除せざるを得ない、残念至極だけどそうさせてもらう。お互い老い先短いが、もう相見えることはないだろう、健康には注意してそれぞれの道を進もう。
 ただ最後にこれだけは言わせてほしい。君は自分の書いたものは本心からのものではないと言ったが、君自身のためにも言いたい、どうぞものを書く以上、これからは二枚舌は使わないでほしい
 最後のあたりはこちらから一方的に言って電話を切った。お互い、歳のせいか、衝突を避けたり間を設けるなどの柔軟性が欠けてきた故の破綻だとは思うが、しかしこうなるのも致し方ないとは思っている。
 ここにきて、こんなどんでん返しが待っているとは、まったく想定外のことだった。人生、この先もどんなことが起こるかまったく予測が付かない。だからこそ面白い、なんてやっぱ今はそんなこと言う元気などありませなんだ。(そういえば、彼はそんな「軽口」にも嫌気がさしていたらしい。でもなーこれって私の個性、これを否定されちゃっちゃー、わたし身の置き所ありましぇーん)。


【息子追記】最晩年の父の最大の理解者のお一人である立野正裕先生からいただいたお言葉を掲載し、父を永久に称え、その霊を慰めたい(2021年3月4日記)。

先生が「青天の霹靂」と思わず漏らされたこと、それがほんとうのお気持ちだったことに疑いの余地はありません。解説などで先生に賛辞をおくったことが本音でなかったとは、笑止です。そういうことを口にすること自体が自らを貶めていると気がつかない。偽善が内攻してしまっているのです。わたしの恩師の一人は職業編集者だった人で、その経験から常々こう言っていました。「仕事を一緒にした著者から、あんまり世辞を言わないでくれと照れくさそうに言われることがある。そういうときはこう言い返す。確かに世辞だが、世辞の秘訣はほんとうのことを言うことですよ、と。すると、その著者に次はもっといい仕事をしてもらえる。」ものを書く人間との付き合いに必要なことは、自分をごまかしてまで心にもないことを言わないことですね。自己嫌悪が内攻して、やがて相手に対する反感と憎悪となって言葉のはしばしににじみ出てくるものです。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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