或るマニフェスト

美子はいま、すぐ側のベッドで、まるで大きな子犬(?)のように安らかな寝息を立てて(いやそれは聞こえぬが)昼寝をしている。だがいつもより手足が冷たいので、昨年だったか山梨のミチルさんからもらったムトンのミトン(この語呂合わせが面白くて昨年の一月十六日に同名の文章を書いている)を両手にはめさせた。実はこんなことを書くと川口の娘が心配するだろうが、無事に過ぎたことなので白状する。実は今朝方四時ごろ、隣りに寝ていた美子の息遣いがおかしくなって、一時は救急車を呼ぼうかと思ったのである。
 でもそれはいわゆる呼吸困難というものではなかった。つまり吸気は普通なのだが呼気が異常に荒く、呼びかけても返事をしなかったのだ。何か怖い夢を見ただけでもなさそうだし、熱も脈拍もたぶん正常だったろう。それは三十分ほど続き、やがて静かになった。吐瀉などに備えて枕を高くしてやったが、ありがたいことに以後は朝までぐっすり寝てくれた。でもやはり心配になって、朝食後(普通どおり食べてくれた)主治医の石原医師に電話してみた。実はその時点でも今日が祝日であることをすっかり失念していた。
 しかしありがたいことに、石原さんはすぐ来てくれ、血圧・脈拍など聴診器を当てて念入りに調べてくださったが特に異常なし。それでもなにかあったら直ぐ連絡するように、との頼もしい指示を残して帰っていかれた。
 冒頭、「まるで大きな子犬のように」と矛盾した言い方をしたのは、美子は苦しいとも痛いとも言えないからで、側にいるだけしか出来ない私にはそれが実に切なく思える。
 いや書き出すまで、美子にまつわるこの出来事を話すつもりはなかった。しかし本当に書きたかったことは、この小さな「事件」とあながち無関係でもないな、と感じたのでつい書いてしまった。要するに、私にとって「いずれ時機を見て」あるいは「もっと効果的な好機を見計らって」などという小細工など弄する(?)余裕などないということだ。つまり好機であろうとなかろうと、常に今を好機と心得て生きてきたし、これからはなおさらそうしたいと強く思っているのだ。
 なーんてずいぶん思わせぶりなことを書いてしまったが、話はすこぶる簡単である。すなわち昨日、昨年も一度拙宅を訪ねて来た青年と話し合っているとき、とつぜん数年前(はや正確な年は覚えていない)に書いた或るマニフェストのことを思い出したのだ。それは大震災前に起稿したものだが、まさに今、その本当の意味というか意義が鮮明になったと思ったのである。
 その青年は(時機が来れば正式にご紹介するが)、一読してその趣旨に諸手を挙げて賛成し、僕もこの企てに加わらせてください、と申し出た。彼はいずれ地元に帰り、地元の高校の教師になるであろう人だから、これで長い間願っていた地元の若者たちとの太いパイプが出来ることになる。
 彼は前回帰省したときに、出身校の生徒たちが震災後何を考え何を願っているかの話し合いを撮った貴重なビデオを見せてくれた。なるほど、彼らはそれなりにいろいろ悩み模索しているのだ。彼らにはただそれを吸い上げ、あるまとまったメッセージにする機会や手段に恵まれていないだけなんだ、と分かった。そう、我が後輩たちも捨てたもんでない、のだ。
 前置きが異常に長くなった。さっそくその問題のマニフェストをそのまま以下にご紹介する。


メディオス・クラブ・マニフェスト


[1]本会の目的

本会は、私たちが住む郷土の自然の豊かさ美しさを再認識し、私たちの偉大な先達たちの業績を初めとする種々の歴史遺産を新たな視点から見直すことによって、私たちの郷土を、夢を育み希望をかなえるにふさわしい環境として次世代に譲り渡すことを目的とします。そしてそのために有効な伝達・表現手段(語学やインターネットなど)の学習・習得を通じて、世界のさまざまな文化にも目を向け、自分たちの郷土を広く世界に開かれた独自な文化発信地とすることを目指します。(※本会の名称メディオス/ medios とは、スペイン語で「手段・方策」と同時に広く「生活環境」を意味します。インターネットなど新時代のメディアを可能な限り駆使して、知的刺激に満ちた住みやすい生活環境を創り出したいとの願いがこめられています。) 


[2] 本会の活動

本会の目的達成のため次のような活動をします。

  1. 会員は個人あるいはグループ単位で南相馬の歴史や文化に関する実地検証をし、種々の情報を収集し、研究し、最終的にはそれらデータを整理し保管する。(※もちろんこれまで蓄積されてきた既存の研究成果や見解を尊重し利用することにやぶさかではないが、本会独自の視点とアプロ-チを大事にしたい。)
  2. 1.の成果を発表したり討議したりする機会を随時設け、また外国語(当面はスペイン語)の講座やインターネットの講習会(時機を見て)、さらには集会や対外的な交流の際に花を添える演奏活動(当面はフォルクローレ)などを行なう。
    ※会の活動・運営に当たってはインターネットを最大限活用しなければならず、そのためメンバーの中にコンピュータの専門家もしくは熟練者が、会員の技術的進歩のため逐次協力できるよう配慮する。
  3. 本会の活動の成果を定期的なメッセージや情報として発信する。将来的には、インターネットに公式サイトを立ち上げたり「会報」の発行を考えていく。
  4. 本会の目的に添った、もしくは賛同する内外の個人・団体とのネットを構築する。


[3]本会の組織・会員の資格

本会会員はすべて同等の権利を有し同等の義務を負うが、会の相談役としての会長、会の運営・活動を円滑に進めるための事務局、それを統括する事務局長を設ける(※事務局運営の細則は別に定める)。
 会の最高意志決定は年一度行われる総会でなされる。(※総会運営の細則は別に定める)。
 会員の資格は、本会が目指す目的に賛同し共に活動すること。
 ※理想とするのは、あらゆる世代の人たちとの幅広い連帯です。また会員は必ずしも南相馬市や相双地区居住者に限りません。なぜならその理想追求に当たって国内外のすべての善意の人たちとの協力関係を必要とするからです。


[4]会費・寄付行為など

本会運営のため会員から定額の会費を徴収し、また随時有志からの寄付を受け付ける。(※会費の額ならびにその運用、すなわち予算・決算方法については今後の検討を俟つ。)


[5] その他

個々の会員の信教・言論の自由を尊重するため、会そのものはいかなる政治団体、宗教団体、あるいは営利団体とも関係を持たず、またその宣伝や直接活動を引き受けない。


【解説】メディオス・クラブとは

 メディオス・クラブも人間の集まりですから、もちろんある程度のまとまりが必要です。しかし私たちは、組織というものがどうしても持ってしまう束縛や硬直化を出来うる限り排除したい、いやむしろいよいよ自由に個性的に生きたいと願う人たちのゆるやかな連帯です。
 クラブの根底にある思想はただ一つ、すなわち私たちの郷土を、ひいては「くに」と「ちきゅう」の「生」を脅かすすべてのもの、とりわけ環境破壊や戦争など、人間らしい生活を不可能にするすべてのものに「否」の姿勢を貫くことです。
 また私たちが「おしきせ」のものではない真の「ふるさと創生」を考えるとき、どうしても南相馬がその一部である「東北地方」というものを意識せざるを得ませんが、その意味でわが郷土が生んだ先人たち、古くは二宮尊徳の素志を継いだ冨田高慶、さらには実業家半谷清寿(一九〇六年刊の著作『将来之東北』あり)や開拓農で思想家でもあった平田良衛などの先人たちに学ばなければなりません。
 また平和の思想に関しては、現憲法の骨格を構想し起草した鈴木安蔵、名作「戦ふ兵隊」の映画監督・亀井文夫の再評価がぜひとも必要です。またじっくり地元に生活しながら広く世界に目を向けた先輩としては音楽学者天野秀延、いやこの地球を越えて宇宙を凝視した羽根田利夫(一九七八年彗星発見)などから多くのヒントを得たいと思います。
 ともあれ私たちが目指しているのは、私たちが住む郷土を「大切に思って見直す」ことです。新たに発見しなければならないものももちろんありますが、しかし私たちの「郷土」再構築のための材料はすでにじゅうぶん手にしていると言わなければなりません。つまり私たちがしなければならないのは、ちょうどばらばらになったジグソーパズルのピースを新たな視点から並べ直すこと、もう少し気取って言うなら、私たちの郷土を形成するすべてのものにロマンを取り戻すこと、本来持っているはずの輝きと魅力を見つけることです。
 その意味で言えば、戦後文学の中核で活躍した埴谷雄高、島尾敏雄、荒正人など郷土にゆかりのある作家たちから想像力の使い方を教えてもらいたいし、現に種々の分野で「もの作り」や創作に励んでいる仲間たちの協力を得て、私たちの住む南相馬を文化の香り高い、そしてしっとりと落ち着いた住みやすい「まち」、子供たちや若者たちが誇りに思える、そして「大切を尽くす」場所にしたいと思います。
『日葡辞書』によれば、「大切」とは「愛」であり「大切を尽くす」とは「この上なく愛する」ことを意味した。

 一人でも多くの賛同者、仲間が集まることを期待しています。ご連絡をお待ちしています。

仮の事務局長  西内 祥久
仮の会長    佐々木 孝

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

或るマニフェスト への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     メディオス・クラブの趣旨に賛同します。日本は大きな岐路に立っています。少子高齢化、1000兆に及ぶ国の借金、無縁社会がもたらす孤独死、孤立化など数え上げれば切がありません。原発再稼働は地震多発国の日本では自然相手に安全性を改善したところで非常に危険です。一人の力では無力ですが会員組織として一つの集団を作ることは大きな力になります。戦後知識優先で人間の徳性を疎かにした教育制度が蔓延してしまいました。しかし、知識を活かすためには徳性を磨かなければ身に付けた知識、技能が活かせないことを古今東西の賢人は口を揃えて言ってます。先生は、それを身を以って示されています。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    澤井兄
     いつも楽しい駄洒落を楽しませてもらっていますが、メディオス・クラブについてのそれは、真面目に考えてくださっている方にはいささか失礼に当たりますので、勝手ながら削らせてもらいました、悪しからず。いつもおっしゃっているように、これしきのイエローカードにたじろぐ兄ではないでしょうから、これからもめげずにどうぞよろしく。

  3. 若松雅迪 のコメント:

    寺田亮さんにお願いして3月11日夜に突然お宅に闖入いたしましたご無礼をお許し下さい。
    お話を伺えて「原発禍に生きる」拝読の上に更に大きな世界を知らされました。お手製の「モノディアロゴス」まで頂戴して恐縮です。
    埴谷雄高島尾敏雄記念文学資料館官報3~9も寺田さんから送っていただきました。佐々木孝先生が、資料館や若松丈太郎さん、寺田亮さんと館と共に、市民の皆様のために継続されていらした様々に触れて心から嬉しく、数年間疎遠だったことを反省させられました。同じ埴谷雄高研究者の俊秀鹿島さんが鈴木安蔵さんのお孫さんとのお話に驚きました。
    遅ればせながらこの会の趣旨に心から賛同し、私にでもできることをしたいと存じます。
    奥様の穏やかなお姿と、お茶とお菓子を出してくださった頴美さんと愛ちゃんの飛び切りの笑顔が最高でした。未来の若人の皆さんと私どもの世代の空?元気老人の絆の象徴です。別便で「若松みき江作品集」「同遺稿・追悼集」をお送りしますが、お暇も少ないでしょうから、お部屋の片隅にでも置いてくだされば幸いです。

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