不思議の国

ロブレードさんから、小説家 J. J. ミーリャス氏がスペインの代表的な日刊紙の週刊版に二回にわたって発表した原発事故後の日本訪問記がPDF形式で送られてきた。一本が大型写真を含む13ページもの長大なリポートである。ネットで読むのは目が疲れるので、調子の悪いプリンターを騙しだましプリントアウトしたが、白状すれば自分に関わる部分だけ読んで、あとはまだしっかり読んでいない。しかし小説家の確かな観察・分析が随所に光っているかに見える。いずれ詳しい、というか正確な感想を述べるつもりだが、今日は私と妻に関わる部分だけをご紹介する。あの二階の汚い居間での夫婦の写真もあるがそれは省略。
 とりあえずタイトルだけでも紹介すると、スペイン語ではこうなっている。

 Vidas al límite, por Juan José Millás
   Japón Primera Etapa    Un país del más allá
   Japón Segunda Etapa    Donde vive nadie

 つまり総タイトルは「ぎりぎりの生(あるいは境界線上の生)」であり、第一部は「はるか向こうの国 [宙に浮いた国]」、そして第二部は「誰も住んでいないところ [あるいはアリスの不思議の国]」とでも訳せようか。私の言葉遣いでは、日本人の私にもそう見えるのが悲しいが、実に重心の高い国、まるでふわふわと中空に浮いているかのような不安定な国、個が全体の中に埋没している国とでも言おうか。最近「かわいい」が国際語になっているとか、NHKまでもがクール日本などと浮き足立ったサブカルチャー隆盛のお先棒をかついでいるのはまだ許せるとして、政府までが漫画文化やアニメブームをまるで日本の国際的評価が上がったかのようなはしゃぎ方をしているのは情けない。落ち着いて考えるまでもなく、それらは…いやこの話はまたいつか続けることにして、以下に、私たち夫婦に関連した部分を、先ずスペイン語で、次にそれのおおよその意味を翻訳したものをご紹介しよう。スペイン語は、皆さんの中にはスペイン語を習得されている方も混じっているから、その人たちのレッスンのつもりからで、そうでない方はもちろん飛ばしてお読みください。

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 Takashi Sasaki, un viejo hispanista japonés,cuya casa se encontraba en el límite de la zona de exclusión, nos contó que a finales de marzo, tras el terremoto, y cuando muchos vecinos, sobre todo los que tenían niños,decidieron en irse al norte, a Ahomori, que estaba libre de contaminación,él decidió permanecer aquí porque su mujer no podía vivir en casas de refugiados. “Hace ocho años”, dice, “empezó a perder la memoria y la motricidad”.
 Su mujer, que sufre un estado de demencia avanzado, se encuentra junto a él mientras hablamos. Sonríe o se pone seria en función de estímulos internos misteriosos, a los que no hay forma de acceder. Mueve continuamente las manos en dirección a su marido,como si le solicitara algo. Él se las acaricia y con eso parece calmarse momentáneamente. Nos dice que de los vecinos que abandonaron la zona en marzo han regresado el 80 %. La radiación aquí no es muy alta, pero este año les han prohibido sembrar.
 “En el caso de los ancianos y enfermos”, dice, “las autoridades actuaron mal, muy mal, se equivocaron. Hubo ancianos que murieron en los centros de refugiados porque no soportaron el cambio y porque no disponían de sus medicinas. Una anciana se suicidió desilusionada de todo. Yo tengo 72 años. ¿Adónde voy a ir con mi mujer además en este estado?
 La de Takashi Sasaki es una casa tradicional japonesa,de madera,toda ella llena de libros. El suelo cruje bajo nuestros pies descalzos cuando vamos de una estancia a otra, asombrados por sus diferentes niveles y por sus misteriosos rincones. Sasaki tradujo a Unamuno al japonés y fue en su dia jesuita. Está en contra de la energía nuclear. “No soy especialista ni conozco los detalles”, añade, “pero es antinatural y no se puede controlar. Tenemos que cerrar esa caja de Pandora. Recuerdo muy bien cuando era joven y comenzó a construirse la central. Todo el pueblo estaba muy excitado por los beneficios económicos. Las centrales están en la costa más bella de Fukushima. Además, la enrgía que se fabrica aquí abstece a Tokio, no a nosotros”.
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 日本の年老いた [!] イスパニスタ(スペイン研究者)の佐々木孝さんの家は警戒区域の境界線近くにある。三月の終わりころ、と彼は語る、大地震のあと、多くの隣人たち、とりわけ子供のいる家庭は北に、たとえば汚染を免れた青森などに避難することを決めたが、夫人が避難所生活などに耐えられないとの理由から、彼は残留を決意した。「妻は八年前から記憶や体の自由を失い始めました。
 進行性の精神障害を患っている夫人は、私たちが話している間も、夫の側を離れない。他人には近づくことのできない不思議な内面の衝動のままに、ある時は微笑み、またある時は真剣な表情に変わる。彼女は夫の方に向かって、まるで何かを求めているかのように絶えず両手を動かしている。夫の方はその両手を優しく撫で、それで彼女はその都度心を静めるかのようだ。彼は言う、三月にこの地区を見捨てた隣人たちの八割はその後戻ってきました、と。ここの放射線量はそれほど高いわけではなく、しかしそれでも今年の作付けは禁止されたままである。
 「老人や病人の扱いに関して」と彼は言う「行政は実に大きなミスを犯した、間違っていた。生活の激変に耐え切れず、また薬の不足が原因で、避難所で死んだ老人たちが何人いたことか。あるお婆さんはすべてに絶望して自殺を選んでしまった。私は72歳、こういう状態の妻を連れてどこに行けと言うんでしょうか?」
 佐々木孝さんが住んでいる家は、木造の純日本風の構えで、家中本だらけである。私たちが靴を脱いで、部屋から部屋へと移動するとき、その段差やその神秘的な片隅に驚く私たちの足元で床が軋む。佐々木さんはウナムーノを翻訳し、若いときに一時イエズス会士であった。核エネルギーには終始反対してきた。「私は専門家でもないし詳しい知識もありませんが」と彼の話は続く、「でもそれは反自然のものであり、制御不可能のものです。私たちはパンドラの箱を閉めなければなりません。私がまだ若いころに原発建設が始まりましたが、今でも思い出すのは、当時、町は原発特需の恩恵を受けて沸き返っていたことです。原発は福島県でもっとも美しい海岸線に建てられました。おまけに、そこで作られたエネルギーは地元にではなく東京に供給されているのです…」


 これは第二部冒頭に続く文章であり、その後、別の話題に移っていく。だから全体の中でこれらの文章がどういう意味を持つかが問題ではある。しかしとりあえずこの部分だけでも、私として適切に紹介されたのでは、と胸を撫で下ろしている。
 つまりハラジュク、オモテサンドウ、アキハバラに代表されるふわふわと浮き足立った現代日本の姿勢(原発事故とまた何というコントラスト!)に対して、まるでピボットのように文字通り重心の低い妻の姿勢(いまは車椅子)が紹介され、収奪と差別の対象の位置に甘んじてきた東北の片田舎に、スペイン文化の至宝ウナムーノを研究する奇天烈な日本人が鎮座まします(こちらは体重オーバーで)のだから…これって自棄(やけ)のやん八の自画自賛?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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不思議の国 への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     「家内がいることで限りなく重心を低くする事が出来る」。先生が『こころの時代』に出演された時に言われた言葉を覚えています。先生にとっては奥様の生活と生命を守る事が最も大切なことだったんでしょう。そしてLIFEの意味には生命と言う意味の他に「人生」と言う意味があって、生命は大事にされているが、人間の「人生」を非常に軽視している事を嘆かれていました。今、日本社会、私たち日本人に必要なことは「ピボット」つまり確かな軸足を持ち、その上で行動していくことのように思います。原発再稼働にしても、国民の顔色を窺って判断しているように思います。目先の利益に一喜一憂し、大衆迎合しなければ選挙に勝てないではなく、確かな「ピボット」を持って、見識に基づいた不動の信念で難局を乗り越えていくしかありません。大多数の住民が避難していく中、先生の取られた判断を私たちも見習わなければならないように思います。

  2. 阿部修義 のコメント:

     『こころの時代』に先生が出演された時の言葉を覚えてます。「家内がいることで限りなく重心を低くすることが出来る」。先生にとって奥様の生活環境を守ることが最も重要な事だったんでしょう。その中で英語のLIFEには生命という他に人生という意味があり、原発事故で生命は守れたが人間の人生を非常に軽視していると嘆かれていました。国の在り方を考えると大切な事は「ピボット」、つまり軸足を地にしっかり付け、見識に基づいた信念を持って難局を乗り越えることだと思います。目先の利権に一喜一憂し、大衆に迎合しなければ選挙に勝てない人を私たちは選んではいけません。原発再稼働にしても国民の顔色を窺って判断しているような印象を私は持っています。大多数の住民が原発事故で避難された中、先生が取られた見識ある判断を私たちも勇気を持って見習うべきだと思います。

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