- 男は女が手近に持っている便利なものである。しかし、一生長持ちするわけでないところが玉に瑕。
- 人間はその生涯の半分をやり方の分からぬことをやりながら過ごす。そして残りの半分を、他の人間たちも同じことをやっているとボヤキながら過ごす。
- 人間は鳥のように飛ぶことも、魚のように水に潜ることも、そしてサルのように地上を歩くことも出来る。だが完璧であるにはただ一つのことが欠けている、つまり口をつぐむこと。
- 人間には、自分は他人と同じくらいましであると思っている人と、自分の方が他人より優れていると思っている人との二種類がある。
- 人間とは、ホテルでは家庭的な温かさないとボヤき、家庭ではホテルのようなサービスがないとボヤく奇妙な存在である。
- 自殺はなにはともあれ間違いである。だが幸いなことにそれは最後の間違いである。
- 可愛い女は時計に似ている。あまりに遅く歩いたり、あまりに早く歩くと注目される。
- 礼装ししゃれのめした男は、夜間、給仕と間違われないために何かしゃべっていなければならない。
突然変な文章をいくつか並べてみたが、実はこれらは古いスペインの『ユーモア辞典』から適当に拾ったまでである。これらよりももっと面白いのがいくつもあったはずだが、いざ紹介しようという段になって見えなくなった。作者はノエル・クララソーという人だが、『キエン・エス・キエン』つまり英語で言えば「フーズ・フー」、要するに人名辞典で調べてみると、1969年版と1979年版とでは最後のソが前者は二つのSとなっており、生年も1906年となっているのに、後者では1900年初頭と急に曖昧になったり、作品も小説から戯曲と多岐に渡っているだけでなく、造園術でもかなりの名人だったらしい。
ともあれabalorio(ビーズ細工)からzapato(靴)までアルファベット順に並べただけの本であるが、最近疲れたときなど、たまたまめくったページを読むことにしている。いわゆる笑い話(chiste)とは違って、腹を抱えるほどの派手さはないが、読んだあとゆっくり噛みしめると、じんわりほろ苦い、あるいは甘酸っぱい味がする。先日話題にしたサローヤンの短編を読んだときのように、人生に、いやもっと正確に言えば人間たちに対する肯定的な感情がじんわり沁み出てくる。
そんな意味では、だいぶ前に取り上げた(2010年12月14日「アンポ柿」)フランスのフィリップ(1874-1909)の、人生の哀歓を温かな筆致で描いた作品も同系列である。しかし本音を言えば、そうした温かな目で人生や人間たちを見ることは、私にとって一つの理想であって、笠智衆みたいな爺さんになりたいと思っても無理なのと同じである。たぶん死ぬまで瞬間湯沸かし器を抱えたまま、怒りや辛口の提言、ときには呪詛をわめいたりつぶやいたりしながら生きていくだろう。となると私が書けそうなのは『ユーモア辞典』ではなくアンブロ-ズ・ビアスの『悪魔の辞典』のようなものなのかも知れない。
先生の「瞬間湯沸かし器」は正義感から来ていると思います。「温かな目で人生や人間たちを見ることは」先生だけでなく、私たち全ての人間の「理想」だと思います。様々な宗教が数千年前から存在し、これからも人間が存在する限り有り続けるのは「理想」を求める人間の本性から来る必然なものなのかもしれません。大切な事は、ありのままの自分を見つめる謙虚さと「理想」に少しでも近づこうとする意志を持つことだと思います。『モノディアロゴス』2002年10月11日「近頃の若い者」の中で先生がこんな事を言われてます。「レイモンド・チャンドラーの言葉が好きだ。『タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない』。タフであればいいと言う時代は過ぎた。本物の優しさの中から少しずつ培われる逞しさこそ望ましい。若者頑張れ!」。先生が自ら言われている「瞬間湯沸かし器」という言葉の奥に「温かな目」が隠れているように私は思います。