午後、東京からのひと組の客人を迎えたほかは、今日も古本蘇生術に没頭していた。と言うのは大げさで、暗い想念を振り払うために、蘇生術以外にもいろいろな雑用をこなしているうちに一日が終わったというのが本当のところである。
ともあれ今日手がけたのは、19世紀から20世紀初頭、ウナムーノの対極の位置から膨大かつ広範囲な批評活動を展開したメネンデス・ペラーヨ〈1856-1912〉という人の代表作『スペイン異端者史』二巻本である。それぞれが1,000ページ越える大著で、これまでところどころ参照したことはあるが読み通したことはない。もちろんこれからも読み通すことなぞ無理であろう。
この本に限らず、これからは貞房文庫にある本だけでも読み通すことは先ず無理なので、たとえば今日のように、ぱらぱらとめくってたまたま開いたページをゆっくりしっかり読むことにしている。速読とは正反対の遅読、それも部分読みである。「一を聞いて十を知る」(論語)あるいは「一を以て万(ばん)を知る」(荀子)の真似事だが、もちろんうまく行くはずもない。
しかし、延々と異端者列伝を書いていくメネンデス・ペラーヨをつき動かしていた暗い情念を何と考えよう。キリスト教誕生直後から、引きも切らぬ異端者たちの群。もしかすると、いや確実に、正統者の群以上の数と力をもって絶えず正統を脅かしてきた彼らの暗い情念は、さて現代では何処に行ったのか。いやそれよりも、正統の牙城を死守してきた正統者の群れにかつてのような勢いはあるのか。
遠く離れたところから眺めた限りでは、かつての勢いはもはやないように思えてならない。今まで気にもしないできたが、ここに来て(何処に来て? つまり人生の最終コース立って)かつて同じ釜の飯を食った人たちのことが急に気になってきた。それで今日、ネットで何人かのかつての先輩や友人たちのことを調べてみた。先日のM師同様、彼らも人生の最終コースを走っているはず。そして何人かの消息をつかむことができた。どう思ったか? それは流石に書きにくい。
いまや宗教の世界もネット時代を迎えている。ブログを書いている人もいた。彼らも今日の私のように、離れていったかつての友人の消息をネットで調べたことがあるかも知れない。片田舎で、しかも原発禍の中で生きているかつての友人をどう見たであろうか。老境に入ってますます混迷の度合いを深めている敗残兵の姿を見て、同情と憐れみの感情に捉えられたかも知れない。確かにそう見えるかも知れないが、私から見れば、彼ら方が燃え尽きている(burn out)ように思えて仕方が無かった。どちらが惨めか、など競争しても始まらない。願わくは、誰もがよき戦いを戦った、という思いで最後を迎えられよう冀(こいねが)うのみである。
先日もあるキリスト者にこんな文句を書き送った。「ミッションスクールとも長い付き合いでしたが、社会の実に良質の(?)方たちが経営したり教えたり学んだりしているところであることは今でも少しも疑っておりません。ただその善意なり温かな心なりに、社会正義という一本の強い芯が通れば、これほど素晴らしい人たちは他にいないのに、とそれだけが不満でした。」
つまり彼らキリスト教徒(などと書くととたんに時代錯誤の匂いが漂うが)は、いまでも私にとっては最良の友であることには変わりがないのである。貶しておいて褒めても有難くはないか?
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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松岡洸司神父について「大学の数々の要職を歴任した威厳ある神父さんになっていた」2012年4月6日「爆弾と銀杏」の中で先生がそう言われていました。先生の後輩で昨年7月に亡くなられたことも書かれてありました。松岡神父は聖職者としての道を歩まれ、先生は環俗されました。『モノディアロゴスⅣ』2010年1月18日「ぽっかり開いた空洞」の最後にこう書かれてありました。「宗教は巨大な空洞である。人が信仰という、人間のもっとも美しい理想の一つでもって、それを絶えず埋めていくかぎり、人間が成し得るもっとも壮麗かつ偉大な夢を描くことができるが、それをたんに守ろうとするとき、実にこっけいな、時にグロテスクな・・・」。先生が「社会正義という一本の強い芯が通れば、これほど素晴らしい人たちは他にはいない」とたった一つの不満を指摘されている根には、「たんに守ろうとする」排他的権威主義が見え隠れしている現実があることが想像できます。松岡神父がどういう方かは私には全く想像できませんが、先生が「なでしこジャパンの川澄選手を男にしたような、とても優しく人懐っこい20台の青年」と言われていますから良い方なんだと思います。来月は先生の『モノディアロゴス』も10年に到達されます。これからも、ますますお元気で執筆活動を続けてください。「人生の応援歌」だと先生が言われていたのを覚えてます。来月は松岡神父の一周忌でもあります。