いまある本だけでも死ぬまでに面倒見切れないのに、今日も一冊の古本が届いた。渋谷定輔の『野良に叫ぶ』(勁草書房、1977年)である。名前だけは知っていた、しかし読むつもりも買うつもりもなかった。それが先日、生きのいいばっぱさんの本の中に、この人(渋谷定輔)との対談が収録されていて、それを読むうち、なんとなく読まなければという気持ちにさせられたのだ。話が後先になったが、ばっぱさんと言ってもこの正月に死んだ家のばっぱさんのことではない。『橋のない川』を書いた住井すゑさんのことであり、本とは『八十歳の宣言』(人文書院、1984年)である。
もちろん正確に言えば、住井のおばあちゃんは奈良の生まれだし、嫁ぎ先の農民作家の夫・犬田卯(しげる)の郷里も茨城県の牛久だから東北のばっぱさんではない。しかし私にとっては、彼女もいわき菊竹山の吉野せいさんと同じ東北のばっぱさんの一人である。我が家のばっぱさんもその末席に入れてもらって言うのだが、東北のばっぱさんは偉い、並みの男などまったく歯が立たない。
といって、住井ばっぱの『橋のない川』(新潮文庫)の合計7冊は背皮・布表紙の豪華な三冊の合本となって足元の本棚に鎮座ましましているがまだ読んでいない。おそらく全巻を読み通すのは無理かも。でも先日も言ったと思うが、ところどころ開いたところをゆっくり読むことで、いわゆる飛ばし読みより滋養を汲み取ることができる(かも知れない)。
それはともかく、『野良に叫ぶ』は相当に評判になったいわゆる農民詩で、今回の「普及版」にも小田切秀雄や松永伍一の批評が収録されている。いくつか掲載詩を読んでみた。しかし正直言って期待はずれだ。題名のとおり百姓の怒りや告発がむき出しの言葉で叫ばれているのだが…、終わりまでじっくり読んだらまた考えが変わるかも知れないが。
ともかくばっぱさんたちの腹の据わった迫力にはかなわない、というのが正直な感想である。しかしせっかく我が家に来てくれたのだからと、さっそくこの詩集も蘇生術を受けることになった。つまり百姓の穿くもんぺのような黒地の布で装丁されたのだ。すると中の詩もなんとなく勢いが出てきたようだ(まさか、錯覚でしょうなあー)。そのうち東北のばっぱさんたちのコーナーでも作った際には、『野良に叫ぶ』も一緒に並べましょう。渋谷定輔もまさか不服は言わない、いや言えないでしょうなあー。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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先生の読書のスタイルは、とにかく、読みたいと思っている本を手元に置く。そして、「ところどころ開いたところをゆっくり読むことで、いわゆる飛ばし読みより滋養を汲み取れる」ということですが、「ところどころ開いた」箇所を、どう選択されているのかが私には興味があります。
昔読んだ本の中で、本当の読書人は本屋に行って、読みたい本をすぐ探せる。また、本を手に取っただけで良い本かどうかががわかる。(私には理解できません)と書いてあったのを覚えてます。しかし、読書の達人になるとできるのかもしれません。私は、先生が言われていた「秧鶏は飛ばずに全路を歩いてくる」で読んでいくしかありません。