職業病?

右手の親指を除いた四本の指の先が、かさかさになっていて、剥けて薄くなった部分などはちょっと硬い物にぶつかったりすると痛い。時には切れて血が滲んだりする。先日、百円ショップで指サックを買って、とりあえずは良く使う人差し指と中指にはめてみたが、今度はそのサックのゴムに穴が開いて、やっと気づいた、原因は木工ボンドなり、と。
 もともと手の甲がアトピー性の疾患なのか、絶えず痒かったり荒れたりしているので、指先もその延長かな思っていたのだが、このところ長く続いた古本蘇生作業で使うボンドのせいだとようやく気づいたのである。なぜなら左手の指はそんな風にはなっていないからだ。別に有害物質が体内に取り込まれるわけでもないだろうから気にはしていないが、これは立派な職業病(?)。
 そんなこともあったからか、いや単純に飽きたからだが、今日は一冊も作業していない。しかし本棚を眺めては、おやこんなところにあったのか、と懐かしい本を手に取ったり、まったく見覚えのない本を発見したりしている。そんな中、島尾敏雄の『日の移ろい』(正続、中央公論社、1976年)を持ってきたが、全巻を通して読んだことはないことに初めて気づいた。44年の自転車事故の後遺症としてしばらく続く鬱状態からの回復までの日々を綴って、後に谷崎潤一郎賞を受賞した日記形式の作品である。
 「続」の方のページをぱらぱらめくっていたら、最後に近いところに敏雄さんとミホさんが名瀬からの移住先探しに我が家に逗留する場面にぶつかった。土地探し・家探しの拠点として当面我が家に住もうかと心が傾き始めた箇所である。ところが泊まった次の朝、近所から気になる音が聞こえてくる。

 「…床を出てその原因を探ると、裏の建物のほうから何か箒ようのもので物の表面を掃くような音が連続して聞こえてくることがわかった。軽々としたミシンの縫製の音のようだが、それが一台だけでなく幾台もが同時に回転しているような音で、明らかな喧騒というのではないが、いつ切れるともなくつづく、妙にしつこい感じが耳にまつわりつき、気になり出すと読書も思考もとても耐えられそうもない音であった…」

 年末まで私達が寝ていた八畳の和室で、朝方、近所から聞こえてくる音が気になりだした敏雄さんの姿が眼に浮かぶ。そうだ、2002年に私たちが帰ってきたときにはすでに操業を停めていたが、たしか東隣りに井上という軍手か何かを作っている会社があった。ともあれその騒音のことだけでなく、南国奄美の生活に慣れた彼らにとっては十月の東北はただただ薄ら寒いところであったようで、結局相馬移住は実現しなかった。
 でも季節が春か夏だったら、あるいは相馬移住を決め、もしもそうだったら私たち夫婦が相馬に帰ってくることもなかったかもしれない。そして敏雄さんとミホさんがもう少し長生きするようなことがあれば、ここで原発事故に遭遇していたかも…人生なんて何時どう進路が変わるか予想もつかないものだ。というより、ことは為るようにしかならないわけで、為るがままにすべてをありがたく受け止めるべきなんだろうな、つまりはケセラン・パサランでんな。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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職業病? への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生は今回の原発事故の被災者でありながら、「為るがままにすべてをありがたく受け止める」と言われた言葉に感動しました。ふと、書棚から『良寛 詩歌と書の世界』谷川敏朗著 二玄社 1996年5月20日 初版を取り出して、その中にある「心月輪」という書を思い出しました。「しんがちりん」または「しんがつりん」と読み、仏ともいうべき丸い月のように、悟りを開いた心もまた豊かで丸いものという意味だそうです。

     ケセラン・パサランという言葉の意味の奥に良寛の世界を何故か重ね合わせている自分を感じました。そして良寛の言葉が記憶から蘇ってきました。

     「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ」

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