先生という呼称

現役を退いてから今年でちょうど十年になる。退職後は悠々自適の優雅な生活を、と夢見ていたわけではないが、それにしても考えてもみなかった大変な日々が待っていた。それに追い討ちをかけるように今回の大震災・原発事故…いやなにもボヤこうと思って書き出したわけではない。表題に書いたように「先生」という呼び名について改めて考えてみようと思ったのだ。
 「先生」という言葉をめぐってはいくつか懐かしい思い出がある。まず最初は、はるか昔のことだが、埴谷雄高さんと東京から相馬野馬追い見物に来た時のことである。その時は島尾伸三さんとマヤさんも同道しての四人旅であった。旅のあと或る雑誌に頼まれて短いエッセイを書き、それを出す前に埴谷さんに見ていただいたときのことである。埴谷さんからこう言われた、「僕は先生をやったことはないので僕のことを先生とは書かないで下さい」。
 次の思い出は、それまであまり付き合いのなかった牛島信明さんとあることをきっかけにして急速に親しくなったとき(なにかと機会を作っては八王子駅近辺で飲んだ思い出は、彼の早すぎる死ゆえにひとしお懐かしく胸に迫ってくる)「お互い先生と呼ぶのは止めましょう」と言われたこと。
 自分としては優秀な教え子として高く評価もしていたし、できる範囲で就職その他で後押しもした教え子の一人が、何時の間にか手紙の宛先などで先生と書くのを止めたこと。
 次はごく最近のこと。日ごろからお世話になりっぱなしの西内君が、他の人を交えての話会いの際、私のことを先生呼ばわりしたとき、「やめてよ先生なんて言うのは」とダメ出しをした。
 最後はまさに今日のこと。実は先日ここに指先のトラブルについて書いたが、それを読んでさっそく特効薬を送ってくださった方がいる。この方は国立大学の現役ばりばりの教授であるが、いつも私のことを「先生」と呼んで下さる。たとえば今日の小包の宛先も佐々木孝先生となっている。お父上が昔からお世話になった大小説家(儀礼的な物言いではない。現に、といってすでに天国に行かれた牛島さん相手に常々言っていたことだが、存命する作家の中で小説家としても文明批評家としても最高の人)だから、本当は恐れ多くてお断りすべき呼称ではあるが、なぜかそのまま嬉しく承っている。
 さてここで総括。
 埴谷さんのクレームは、本当は先生と呼びたかったのだが、実際に教師ではなかったので、氏の言われたとおり「埴谷さん」とする。
 牛島さんの言い分はとうぜんである。良く教師同士が互いを先生と呼んでいるのはどう考えてもおかしい。もちろんそこに学生など同席する場合はこの限りではない。
 例の教え子の場合。私への敬意がもはやなくなっている場合であっても手紙の宛先には生涯「先生」と書くべきであろう。
 西内君の場合。これはもう先生呼ばわりはいけません。第三者が同席している場合でも断固「佐々木さん」で通すべきです。
 そして最後の場合。あゝこれは幸薄い元老(ゲンロウではありません、もと老です)教師には元気の素です。彼女(そう女性です)は、私が小さな双子の子供を連れてお宅を訪ねた頃から、真面目に教師として頑張ってた姿を思い出されて、それでねぎらいの意味も込めて「先生」と呼んで下さっているのですから。私の方からは今でも彼女を昔どおりに〇〇ちゃんと言いたいところですが、〇〇さんで我慢してます。
 で、結局今日は何を言いたかったの? もしかして偉い先生に、指先にも口内炎にも、そして美子の褥瘡にも効く外国製の特効薬「コロイダル・シルバー」、それに100%ナチュラル&オーガニックのやはり舶来のハンド・クリームをもらったことを自慢したかっただけなんじゃない? …むふっ、その通り。でも親しくしていただいているのに、これまで彼女の仕事をきちんと読んで来なかったことを恥じて、彼女の訳したラスプーチンの本3冊とドストエフスキーの『貧しき人々』(光文社古典新訳文庫)を先ほどアマゾンに注文したところです。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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先生という呼称 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     私が「先生」と呼んでいる人は、単に偉いという人ではなく、その人の生き方に魅力を感じ尊敬できるなにかを持っている人です。実際は大学などで直接ご指導してもらったことのある人を「先生」と呼ぶのでしょうが、私にとっては学問というより人生を、その人の生き方で示され、そういう生き方に魅力を感じているから「先生」と呼ばせてもらっています。ですから、私は師という意味合いで「先生」という言葉を使います。

     先生が最後に言われていた大学教授の方は、私の直観ですが、素晴らしい人だと思います。真の教養人とはこういう人のことを言うのでしょう。モノディアロゴスの周りには素晴らしい読者の方たちが集まっていると改めて感じています。

     

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