風邪は治ったのだろうか、時おりの空咳も洟もたいしたことはない。食欲もどうやら元に戻ったようだ。薬はあれ以来いっさい飲まないまま。ただ昨日、夕食前、アリナミン7を美子の分も手に入れておこうとスーパーに行ってみた。一昨日私が最後の3本を買って以後、ほ…あれなんて言っただろう?、商品などを補強…じゃない、言葉が出てこない、(思い出した、補充だ!)ともかくそこだけ空洞ができていた。近くにいた店員さんに在庫のことを聞こうと思ったが、面倒なのでやめた。直ぐ隣りにツルハとかいう薬の安売り店があるからだ。
多種多様なドリンク剤の中に、売り出しキャンペーン用の、十本入りの箱以外に1本おまけがついたビニール袋が一つ残っていた。しめた!たいへん得したような気持ちで買って帰った。
ともかく治りかけなんだろうが、調子はいまいち。といって風邪を引く前もこんな調子だったのかも知れない。でもやはりどこか一枚薄い膜が張っているようで、とりとめもない感じがする。まっ、徐々に調子の回復を待つしかあるまい。ともかく美子に移らなくて良かった。もちろんこれから、ということもあろうが、できるだけ注意して。そんな意味も込めて、午前中、ぐい飲み、じゃない吸い飲みにアリナミンを1本入れて飲ませた。栄養ドリンク依存症になったりしたら困るが、まさかそこまで続けるつもりはない。
香港三聯書店からもう出たはずと思い、中国語題名〈『在核電的禍水中活着』〉で検索してみたら、出てました出てました広告が! 98香港ドルの値がついているが、さて日本円では? ネットで調べたら988円らしい。日本語版より安いのでほっとしている。さて現物はいつ送ってもらえるだろうか、楽しみである。
風邪で調子を崩してはいたが、それでも根性で古本蘇生術、再生術?、いいやどちらでも。劇的で迫力があるのは前者だから、これから蘇生術に統一しようっと。その蘇生術を施された本の中に、ツルゲーネフの『猟人日記』(米川正夫訳、新潮文庫、上下、1966年、17刷)があり、それを何気なく見ているうち、ふいに一つの光景が浮かんできた。
季節は秋から冬か、すでに少し暗くなりはじめた庭の飛び石伝いに、『猟人日記』を手にした私が行ったり来たりしている。もう字が読める明るさはないが、それでも読む振りだけはしているらしい。美子の両親のいる居間は既に電灯が点っている。美子が勤めから帰ってくるまでまだ相当時間があるが、待ちかねて外に出てきたらしい。その年の11月17日に結婚したばかりで、この福島市郊外の八木田の美子の実家で新婚生活を始めたところ。細長い平屋の東半分、6畳ほどの美子の書斎と3畳ほどの小さな寝室が若夫婦の居住空間、西半分に食堂兼居間とその奥に老夫婦の和室。玄関前の小道を百メートルほど北に行くと土手にぶつかり、大きな川、何と言う川だったろう? 家の真向かいに確か鐵工場があり、そこの小母さんは少し足が悪く、会うと、この辺の習慣なのか「せっかくどーも」と挨拶してくる。家の南手、塀のすぐ側からリンゴ園が広がっていて、そこから土湯温泉行きのバスが通る道まで、人家がほとんどなく、だから先ほど庭の中を歩いていた私の西手には、はるか遠くにかすんで見える山並み以外、寂しい茜色の夕空だけであった。
その頃の日記を見ても、結婚式以後、翌年秋に生まれた双子の子供を夫婦でそれぞれ一人ずつ抱いて上京するまでの一年半ほどのあいだはほとんど記述されていない。これからどう生活していこうか、翻訳だけで定職を持たない生活の心細さの中での大いなる逡巡の只中にあった。だから『猟人日記』を手にはしていたが、何が書かれていたかほとんど記憶に残っていないのも無理はない。さてあの頃の自分たちの時間を思い出すためにも、いま一度読み直してみようか。美子の方には完全に記憶が消えてしまったいま、二人の過ごした時間をだれかが思い出してやらないと、あれら過去たち(なにやら小椋佳『愛燦燦』の歌詞めいてきましたが)に申し訳がないような気持ちなっているのはどうしたことでしょうか。
ちなみに、その『猟人日記』は、いま黒地に細い黄色の横縞の入った布表紙の合本となって目の前にあります。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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