あゝ遣る瀬無い!

今日の午後のような陽気を何日和と言えばいいのだろう。台風接近のためか不順な天気が続いた後の、絵に描いたように秋らしい午後だった。美子をいつものようにベッドに寝かせた後、久しぶりに新田川河畔に行ってみた。暖かい日差しの中、堰の上に大きな一羽の海鳥がじっと川面を見つめていた。下水処理場の道を行き止まりまで歩いていって戻ってくるといういつものコース。昨年のいまごろは美子も一緒にこの道を歩いていたんだ、と思ったら遣る瀬無さが募った。
 まだ美子を散歩に連れ出せないままだ。理由の一つは、いま使っている車椅子で砂利道を歩くのはちょっと難しいこと、もう一つのもっと大きな理由は、連れ出しても美子はことさらの反応は見せないだろうし、何かを思い出すこともないだろうからだ。でも車椅子は、ばっぱさんのために買っておいた旅行用の組み立て車椅子なら少しは砂利道に対応できるだろうし、美子が何の反応も見せないと決めつけなくてもいいだろう。そのうち必ず断行してみよう。
 ところでいつものように突然話題を変える。昨日、ネットで珍しくおもしろい記事に出会った。最近はいいぞと思う記事にめったにお目にかかれないが、下に紹介するものなどは数少ない例外である。ともあれ領土問題が持ち上がって以来、不思議に思っていたのは、かつては国境紛争が日常茶飯のことだったヨーロッパ、たとえばフランス・ドイツの例などから解決へのヒントが得られるのに誰も何も言及しないことであった。この記事を書いた斉藤義彦という人がどういう人なのかまったく知らないが、ようやく目をつけてくれたか、という感じである。


   記者の目: 欧州から見た領土問題


斎藤義彦             毎日新聞 2012年10月03日00時19分

 沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)、島根県・竹島(韓国名・独島)を巡り、中国・韓国と日本の対立が続いている。遠く欧州連合(EU)の本拠地ブリュッセルから見ると、日中韓の対立は歯がゆく思える。EUは互いに殺し合ってきた歴史を越え、債務危機を機に統合を深めている。100年かかってもいい。日中韓は共同体をめざすべきだ。それ以外、安定し繁栄した東アジアの将来はない。

◇アルザスを巡り、独仏血の争奪戦
 ドイツの外交官との会話から始めたい。尖閣問題への意見を聞くと「小さい無人島でしょ。日中で共同管理すればいい。なぜ対立するのかわからない」と言う。ナショナリストでない私もムッときた。「国際法上は……」と反論しようとする私に彼は言う。「確かに名誉の問題だ。でもアルザス地方を巡る独仏の対立とは比べようもない」
 アルザスはドイツに接したフランス北東部で、資源に富むことから独仏が血で血を洗う奪い合いを行ってきた。8000平方キロを超え百数十万人が住むこの地方で、占領のたびに住民の追放や言語・文化の強制変更が行われた。今ではアルザスは欧州議会も抱え、独仏だけでなく欧州の十字路として発展している。
 日中韓の広い交流から見たら、島を巡る対立はあまりにも小さな問題だ、と欧州から見られているのは事実だ。

 「ナショナリストでもない私もムッときた」とあるが、最近増えてきたと思われる愛国主義者たちへの配慮からの表現だとしたら分からないでもないが、もし本心だとしたら、おいおい記者たるものもう少し問題の核心に迫っていてもらいたいな、と思う。ともかく私が以前から主張してきたように、領土問題解決は共同管理しかありえない。しかしこれだけ紛糾したあとではその実現化は非常に難しいだろう。とすると、最後の決め手は「あれ」しかない。だが多くの人は「あれ」を国辱以外の何物でもない、と思うかも知れない。しかしアルザスのような百数十万もの住民がいるところならまだしも、人間も動物も(あっ竹島にはヤギがいたか)住まないちっぽけな島の領有をめぐっての帰趨を国の面子とか名誉の問題と捉える感覚こそ、私からみればそれこそ何とちっぽけな愛国心だこと、と言いたい。
 ともかく北方領土は少し違うが、竹島も尖閣諸島も、根深い歴史問題でもあることは隠しようもない事実。ならば根本的解決のために、さらに一工夫必要だろう。以前話題になった『日本・中国・韓国=共同編集 未来をひらく歴史-東アジア3国の近現代史』(高文研、2005年)の試みはその後どうなったのだろう。つまり三国合意のもとに実際に教育現場に現れたのだろうか。私は寡聞にして知らない(と気取ってる場合じゃないが)。実は私自身その本を購入しているはずだが(たぶん二階廊下の欄間の書棚)、恥ずかしながらツン読のまま。そのうちしっかり読まなければと思う。
 その本を三国それぞれが自国の教育現場ですんなり使うことは当面難しいだろうが、しかし今回の騒動の中で改めて見えてきたことだが、韓国や中国の教育現場で、ニッポンに関していささか、いや結果から見ればかなり反日的な色彩が、ときにはそれを煽る場面が多いのでは、と危惧される。もちろん私は、日本の過去の愚行を手加減して書いて欲しいと言っているのではない。つまり記載内容そのものというより、その扱い方・教え方に関しての危惧である。しかしこれはこちらからとやかく言える筋合いの話でもないし、わが国にまるで間歇泉のように繰り返し現れる愚かな歴史改竄の動きが止まらない限りこの悪循環は終わらないかも知れない(あゝややこし!)。だが、例の「あれ」を最後の手段として出す場合が来たら、我々も過去の歴史をしっかり教えることに努力するが、しかしこれからは貴国も不幸な歴史以後今日までの、両国国交正常化に努力してきた多くの先人たちの業績や、両国の今後の揺るぎない友好関係構築のために役立つような希望に満ちた叙述をもっと増やしていただけないだろうか、と提案することができるであろう。
 その代わり、といっちゃ何だけど、こちらも過去の歴史をあえて歪曲するような輩(やから)が迷惑至極な挑発をしないように極力努力したい。しかし(と、これは主に中国の人たちに対してであるが)こういう輩の口を封じることはできず、ただひたすら説得や、時には論争をしかけて不適切な発言撤回を迫ることしかできない、しかしそれはほとんど無理だということをぜひ理解していただきたい。つまり貴国のように不適切な発言を官憲の手で即座にシャットアウトすることはできない。これは言論の自由というとてつもなく貴重な宝にはどうしてもついてくる迷惑至極な付録のようなものである、と。
 あっ、それから例の「愛国無罪」という四文字熟語のことだが、漢字の国の皆さんには今さら申し上げるまでもなく、これは愛国の美名を騙った史上最低最悪の熟語であることをこの際ぜひ言わせていただきたい…
 今晩も相方のいないボヤキ漫才のように、せっかくの真面目な提案も空しく夜空に消えていきます。あゝ遣る瀬無い!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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あゝ遣る瀬無い! への2件のフィードバック

  1. 松下 伸 のコメント:

    「愛国無罪」が「経国有罪」とならぬよう
    「愛国」が「傾国」にならぬよう
    歯ぎしりしつつ、強く念じます。
                        梁塵

  2. 阿部修義 のコメント:

     先生が繰り返し言われているように「領土問題の解決は共同管理しかありえない」と私も思います。ここまで拗れる前に共同管理という結論を出すべきだったんでしょう。

     先生の本に書かれてあった「物事に真実性を与えるのは知性ではなく意志なのだ」という言葉の意味を中国人のデモを見ていて改めて痛感しています。そして、先生の先を見通す慧眼には敬服します。

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