塹壕の中の一輪の花

訪問者を実名で書くと、そのうち警戒して(嫌がって?)だれも訪問しなくなるかも、と先日書いたような気もするが、なに邪(よこし)まな謀(はかりごと)をしているわけじゃないのだから、ご迷惑にもなるまい。そんなわけで(?)今日は久しぶりに映像作家の田渕さんが見えられた。三時ちょっとから会見が始まったが、この時期、日が暮れるのが早いのなんのって、二時間ちょっと話しているうち、外はもう暗くなっていた。歳のせいだろうか、この時期としても日が暮れるのがこれまでよりも早くなってきたような気がする(気のせいだろう)。
 話を始める前に、日ごろから人と話す機会が少ないので、こちらが一方的にまくしたてるかも知れません、と断ったとおり、堰を切ったようにしゃべりにしゃべってしまった。小型のカメラとマイクがセットされていたような気がするが、こちらはそんなこと気にしてなどいられない。
 といって、はて何をしゃべったのであろうか。あゝそうそう「愛国無罪」について話したか。要するに原発事故後、際限なく事故関係のニュースが流れに流れたが、さてその功罪は? つまりこれまで放射能の恐ろしさについては実に莫大な量の情報が流されてきたが、それは功ばかりであったか? ということである。簡単に言えば放射能の恐ろしさあるいは被害の程度(ガン発症や後遺症)については、いっさいの手加減無しに、つまり事情あるいは地域による修正・補正がなされないままに無差別かつ一纏めに話され、書かれ、見せられてきた。
 それはいわゆる識者・専門家の話だけでなく、常時流されてきたニュース映像でもそうだった。つまり黄門様の葵の御紋の入った印籠(でしたっけ?)よろしく、TPOへの配慮などされることなく、放射能の怖さや被害の大きさがこれが眼に入らぬか、とばかりに無差別に報じられてきた。既に何度か言ってきたように、参議院の小委員会で目に涙さえ浮かべて(だったと思う)事故の被害は甚大で、科学的に言うなら福島県全県を放棄しなければならないほどのものだ、などと馬鹿な推進派の議員を覚醒させるためであろうか、K教授がぶった演説が、その返す刃で被災地住民の意識に深い傷を残したことは、私に言わせれば、話者の思惑をはるかに逸脱して、実際の放射線被害以上の被害を被災地にもたらしてきたと思っている。
 いまだに故郷に戻らぬ元住民の多くは、そうした脅威論に翻弄されたままの精神状態が続いている。厳しいことを言うようだが、脅威論をぶちまくってきた識者・専門家に対して、厳しい自省・反省を促したい、と言っても、自分は科学的な(?)嘘を言ったわけではない、とすぐさま反論するであろう。そう、ウソを言ったわけではない。しかしそこにはかなりの程度、科学的に証明されない、あるいはそう判断するにはデータの裏づけの無い多くの憶測、と言って悪ければ仮説も含まれていたことを謙虚に…と書けば、彼らの土俵に乗るわけで、またもや必ず素人には分からぬ理論的な反論が返ってくるであろう。それらに対して抗弁することは難しいし、その気など当方はまったく持ち合わせてもいない。
 たまたま昨日、予約していた近所の歯科医院待合室の備え付けの日刊紙を見ていたら、地元の先輩が書いたコラム記事が眼に入り、読んでみると要するに今後とも正確な事故後情報を伝え続けて欲しいというものだった。私に言わせれば、正しかろうが曖昧だろうがもう情報はたくさん、なのだ。これ以上何を伝えて欲しいのか。つまり正しい情報はしかるべきところに正確かつ迅速に伝えるべきだが、必死に生活を立て直そうとしている被災地住民にはもう情報はたくさんだということだ。
 先日も被災地関連のニュースの中で、どこかの小学校の先生が児童たちに正しい放射能の知識だけでなく、いかにすれば放射能の被害を避けることができるかなどといった智恵を授けているさまが感嘆のうちに報じられていた。誤解を恐れずに言うが、児童たちにもうそんな知識は不要な社会・国、延いて世界をどう実現していくかを考えてもらうならまだしも、あたかもこれからも末永く原発と縁を切らない社会に生きていくことを自明のことと観念しての対策なのだろうか。
 そんなことを脈絡なく話している最中、とつぜんレマルクの『西部戦線異状なし』の一場面が頭に浮かんできた。つまり敵軍と対峙した塹壕の中で戦っている兵士の目にふと止まった一輪の花のシーンである。でも原作の小説を読んだ記憶もないし、映画も観たこともない(はずだ)。それなのになぜその場面だけが脳裏に焼きついていたのか。いやそれよりもなぜそんなシーンを思い出したのか。自分でも説明は難しいが、それを強いて解説すれば、その塹壕の中の花のように、周囲世界がいかに絶望的な状況であろうと、残されたわずかな場所・可能性の中で、ともかく生きていくことが、その姿勢こそが大事なのだと思ったからだろう。しかし気になるので、田渕さんが帰ったあと、アマゾンに原作と映画のDVDを(例の魔法の1円に近い値段で)注文した。かつて世界的大ベストセラーの原作だけあって、映画化は何回かあったらしいが、今回注文したのはいちばん古いルイス・マイルストン監督、1930年制作のユニヴァーサル映画である。
 ついでに『牢獄中庭のチューリップ(“Tulips in the prison yard”)』というダニエル・ベリガンの詩集タイトルを突然思い出し、二階の書棚から引っ張り出してきた。つまり反戦運動で何回も投獄された、その獄窓から見たチューリップを歌った詩だが、いかんせん、英詩を解説するほどの英語力は無いので、今回ご報告することは断念。
 ともかく田渕さんとの話、というよりこちらからの一方的な話のオチはいつもの終末論談義であった。つまり塹壕の中の一輪の花にしろ、あるいはまた獄庭(こんな言葉は無いかも)に咲くチューリップにしろ、私からすれば生のどん底から見える光景、そう「食べる・出す」の生の基本形あるいは基底の光景であって…まだ分からない? この糞ったれが(おっと失礼!)、詰まる(!)ところでんなー美子の「大」のお世話が私にとってすべての勇気と希望の根源っちゅうことですたい。はいっ、お後がよろしいようで…

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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塹壕の中の一輪の花 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     最後に言われている言葉に感動しました。また、そう言い切れる先生は素晴らしいと思います。人間が生きるということは非合理的な構造を持ち、それを把握し、それに対応していくためには直観的英知を必要とすると倉田百三が言っていたのを思い出しました。恐らく、知性で理解しようと思っても解らないんじゃないでしょうか。「すべての勇気と希望の根源」とは、謙虚に自分の置かれている場所を直視し、それに真摯に向き合うことからしか生まれて来ないんでしょう。

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