拝呈 西澤龍生先生
先日はお手紙、素晴らしい希覯本、そして筑波大西洋史コース立川孝一教授の退官・最終講義に寄せられた学会回顧のご文章などを送っていただきありがとうございました。このところ身辺ばたばたしていて、お礼のお返事が遅れたばかりか、先生宛ての私信たるべきものをこうしてネットで公開するなど、実に礼儀をわきまえぬ不届き千万というか、珍しい振る舞いに及んでおりますこと、先ずはお許し下さい。先だってもこの場所で「厄介な習性」と題する駄文に書きましたように、小生、まるで綱渡りのような毎日の中で公私を使い分けることが難しく、というか、その余裕を失っていて、ついこのような奇行に走っているわけでございます。
しかしそうした個人的言い訳以外にも、こうするための理由も無いわけではございません。つまり今日の先生へのお返事は決して個人的領域に留めるべきでなく、広く心ある人(?)にも知っていただく価値のある内容ではなかろうかと愚考するからでございます。たとえば先生が小生に委託されました本のことです。これは先日私がここで、友人の西内さんにジプシー関係の本を貸そうとして見つからなかったと書いたのを読まれた先生が、それなら私のところにある研究書を、と送ってくださったものです。
これはまた何と風格のある古本でしょう! 背は間違いなく高級そうな白いなめし革、その他の部分もやはり革でしょうか、そのためあってか、総ページ320ページばかりなのにずしりと重い美本です。題名は Historia y Costumbres de los Gitanos、つまり『ジプシーの歴史と風習』、そして三分の二あたりからはジプシー語辞典になっています。発行は1915年バルセローナ、著者は F. M. Pabanó。
改めてジプシーについて調べますと「ヨーロッパを中心に、南・北アメリカなど世界各地に散在する漂泊民族。九世紀ごろインド北西部に発したと言われ、言語はインド・アーリア語系のロマニ語。皮膚の色は黄褐色かオリーブ色で、毛髪は黒色。音楽や踊りを好み、かご作り・鋳掛け・占いを業とするものが多い。自称は人間の意のロマ」。最後のことは、私の母方の遠い祖先かも知れないアイヌ民族の自称の意味と同じですね…※
と、ここまで書いていた時に瞬間湯沸かし器がとつぜん沸騰し、一時中断のやむなきに至りました。なんとかそれも治まったので、また続けさせていただきます。
先ほどそのジプシー研究書を「委託されました」などとちょっと分かりにくい表現をしましたが、本当にいただいていいものかどうか実は迷っての言葉でした。私よりも、むしろその方面の専門家(一人頭に浮かびましたが)にでも差し上げた方がいいのではなどと思ったからでした。しかしその後、これから書くような経緯があって、この際、小生がありがたくお譲りいただく決心が付いたのでございます。
一昨日の「やり場の無い怒り」の所に書きましたように、写真家の鄭周河さんと西内さんと三人で小高の町を車で通っていたとき、先生から送っていただいた研究書のことを思い出し、それをきっかけに文化遺産の継承などという大きな問題を語り始めたのです。話を簡単にすると(なるかなー?)、こういうことです。
以前、郡山の「古書ふみくら」の店主・佐藤周一氏の本で読んだか、あるいは氏からいただいたお手紙の中で読んだかした話ですが、震災後主に関西からの古書商人が福島県各地の古書を買い漁っているので、いろんな人にどうか売らないように説いて回ってるそうです。つまり地元から文化遺産がみるみる消えていくという現実があるわけです。いや消えていくのは古書だけでもないし、震災後だけのことでもありません。むかしは蔵などがあって、古いものが結構保管され受け継がれたものですが、今は住宅事情の変化や流通機構の激変もあって、集まるところには集まるのですが、一般の家庭から古書のようなものが急速に失われています。
たとえば、である。ここに一人の愛書家・蔵書家がいたとする。しかし代が変わると古書などはとたんに厄介なお荷物になる(ことが多い)。図書館などが引き受けてくれればいいが、たいていの図書館は迷惑顔をする。新刊本の本屋さんほどではないが、読む人が少ない専門書などより借り手の多い話題の本などの方が、図書館としての成績も上がるからだ。
以前、「学ある糞」という駄文で中国の浙江省寧波市にある私設蔵書楼・天一閣について語ったことがあるが、文化遺産というものは会計年度ごとに責任者が変わる公立図書館などでの継承はかなり難しく、かといって民間でそれをやるにはかなりの財力を必要とする。だから天一閣のように、財力と信念を持った民間の篤志家あるいは団体による継承が望ましい…。
この考えにいたく共鳴した西内さんが、よし俺が一肌脱ぐという。一例を挙げれば、○○先生のお宅にはかなりの良書があるが、お子さんはまったく別の職業を選んだので、たぶんいつか蔵書を整理するかも知れない。図書館に寄付しようか?でもそれは前述のような理由で寄贈しても喜ばれまい。では古本屋さんに売るか? しかし蔵書印などがあると二束三文に買い叩かれる可能性大であろう。だから、と彼は言う、どなたか資産家の持ち家をメディオス・クラブが借り受け(おやここでクラブの名前が出てきました)、きちんと寄贈者のお名前を銘記したうえで、そうした寄贈図書をしっかり保管する、保管するだけでなく、閲覧や貸し出しもする。
それに付け加えて私もこう言った。貞房文庫の蔵書は図書館などに寄贈もしないし、ましてや古本屋に売るつもりもない。陋屋そのものがいつまで風雪や虫(あゝ思い出した、魯迅を食い荒らした虫ども!)に堪えられるか分からないが、老朽化のため取り壊されたり、本そのものが変色し解読不可能になるまで、私亡きあとは子供や孫たちに管理を頼み、呑空庵(つまり我が家の旧棟)に置いておくつもりだ。もちろん現在もネットで蔵書目録を公表しているように、閲覧や貸し出し希望者にはできるだけ応じるつもり。
だからメディオス・クラブ館(おや、いつの間にか建物を借りられたことにしてるよ、この人)の蔵書もすべてデータ化し、それを中央図書館と繋ぐこともできよう。そうなれば半ば公的なサービスを補助することにもなり、それなりの助成金ももらえるかも…おっと取らぬ狸の皮算用は止めよう。
途中いつのまにか、先生宛てのお手紙から一般向の文章になってしまいましたが、以上が先日小高の町中を通りながら語ったことです。長ーい回り道になりましたが、ここで改めて今回先生から送っていただいた美本、貞房文庫に頂戴させていただきます。
ついでに申し上げると、以前奥様からいただいたたくさんの音楽関係のご本、実は貞房文庫の印を押し、必要なデータをすべてパソコンに記録したうえで、その大部分を友人のピアニスト・菅さんとビオリスト・川口さんに持っていってもらいました。「持っていってもらう」などと、これまた曖昧な表現をしましたが、単にお貸しすると言えば気兼ねするでしょうから、自分のものとして自由に使ってもらおうとの魂胆から、そう言ったまでです。つまりまだまだ現役の演奏者である彼らに、それらの本を存分に活用していただき、万が一不要になったら、また貞房文庫に預けてもらえるのではと考えたのです。もちろん形式的には差し上げたのですから、文庫に戻す戻さないは彼らの全き自由ですが。
とにかく長いお手紙になりました。今度こそここで止めます。貴重なご本を送っていただいたこと、改めて心から感謝申し上げます。奥様にもよろしく御伝声下さらんことを。またお便りします。お元気で。 頓首
一月二十六日
※後記 一度中断したために大事なことを言い忘れていました。つまりこの美本が1966年に亡くなられたスペインの偉大なチェリスト、ガスパール・カサド氏のいわば形見分けとして、智恵子夫人から先生に贈られたものだということです。中扉に夫人が達意のフランス語で書かれた献辞から分かりました。もちろんそれは先生の奥様を夫人が可愛がって下さっていたからのことでございましょう。奥様が書かれた『原智恵子の思い出』(板倉加奈子名義、春秋社、2005年)には、古き良き時代のお二人の交情が感動的に描かれていますね。