「おや、久しぶりだね、元気にしてた?」
「元気っちゃ元気だけど、気分がいいっちゅうわけでもない」
「気分はともかく、病気じゃないっていうことは、その歳の人間にとっては、君、大きな恵みだよ、感謝しなくっちゃ」
「唐突だけど、君、鏡像って知ってる?」
「もちろん知ってるよ、この歳になっても毎日鏡を見てるからね」
「で、鏡像って実在しないってこと知ってた?」
「えっ、鏡に映る像は夢でも幻でもなく立派に実在してるよ」
「じゃ、いま鏡を見てみて。そして右腕を上げてみて」
「上げたよ、ちゃんと映ってるよ」
「君はいま右腕を上げたよね。でも鏡の中の君が上げてるのは右腕かな?」
「鏡の中の僕? その僕が上げてるのは…あれっ左腕だな」
「と言うことは、鏡の中の君は虚像ということ」
「…で、何を言いたい?」
「つまりだね、世の中には実像と思い込んでいるものの中に、実はたくさんの虚像が紛れ込んでいて見分けがつかないということ。マスコミがこれこそ真相、実相、真実と言い立てていることのほとんどが虚像だということ、これは君にもなんとなく分かるだろ?」
「そうだね、ずーっと昔、或る新聞のインタビューを受けたときにも書いたことだが、その記者氏と意気投合して長時間いろんなことを喋り、さて出来上がった記事を見て驚いたね。書かれていることはすべて私の言ったことなんだが、でもそれを適当につなぎ合わせて、僕が言いたかったこととはまるで違ったものに仕上がっていた」
「だろう? いやそんなことを言えば、新聞記事に限らず、言葉で表現するものはすべて、そうアジびらから小説にいたるまで…」
「アジびらから何で急に小説まで飛ぶんだい…あっ分かったぞ、話を先日来の例の仕掛けに持っていきたかったんだな?」
「バレたか、そう、そこに持って行きたかった。簡単に言うとだね、これから創り上げようとしている富士貞房なる人物・作家はまさに虚像であり、そして虚像であることを上手に利用して、想像力を駆使して自由奔放に、しかも思い切り楽しみながら創り上げて行きたいと思っている」
「そうだね、実在しない人間なんだから、思い切りデフォルメしてもいいわけだもね」
「ちょっと待て、何も俺は、いや正確に言うと三人の仕掛け人は…」
「三人?君だろ、Jさんだろ、で、もう一人マドリードのRさんのこと?」
「そうRさん、ここで彼女の許しを得ないで実名を言うと、■さんです、今後ともよろしく。で話を続けると、何も私たちはもう一人のドラえもんを登場させようなんて思っているわけではない。つまり先ほどの鏡像に戻るけど、だれもがその実在性を露ほども疑わないように、私たちが創る富士貞房は細部に至るまで、顔でいえば皺や黒子の大きさまでも実像にそっくりでなければならない」
「実像と違うのは、その黒子の場所が真逆だというだけ」
「そう。先日ヒントにしてほしいと『ビーベスの妹』という短編を挙げたよね。国連大学でのパネル・ディスカッションも、ビーベスの事跡も、そして登場人物のすべても本当のことを書いた。虚構、つまりウソは、トマス・モア『ユートピア』初版本の見返し部分に書かれていたビーベスの妹の覚え書きだけ。つまり逆に言えば、そのウソを真実らしく思わせるために、本当のことのすべてを注意深く並べ替えたというわけ。
実はこの短編が掲載された同人誌を或るスペイン研究を専門とする人に送ったところ、彼が大慌てで電話をかけてきた。凄い発見ですね。スペインの学界でも大評判になること間違い無しです、ってね。慌てたのはこっちの方で、申し訳ない、あれは完全にフィクションです、お騒がせしてごめんなさい、と平謝りしなければならなかった。本当は続いてもっと書こうと思ってたんだけど、反響がその電話だけだったんで、拍子抜けして」
「それで江戸の敵を長崎で討とうと、つまり日本で受けなかったことをスペインでやってみようと」
「そういうわけ。だってJさんとRさんという最強の仲間ができたのを見逃すっちゅうわけにはいくまい?」
「じゃ三人協同の創作と言うわけね。でもゼロから始めるわけじゃないんだろ?」
「そう、正確に言うと、材料は、つまりジグソーパズルのピースはほとんど揃ってる。それらを並べ替えたり、適当な<つなぎ>を加えたりするだけ。でもこれまで点線だったところを、思い切り実線にすることもある。たとえば富士貞房の先祖。たぶん死ぬまで調べる手間も時間もないが、そこはそれ、もともと虚像なんだから大胆に実線にしてみるとか。たとえば母方つまりばっぱさんの先祖は十九世紀初頭、八戸から相馬に流れてきたことは分かってるけど、その先祖の名前と同じ大思想家・安藤昌益と実は同じ血が流れているとか、父方の先祖はもともとは会津の侍だったが戊辰戦争の後に相馬に落ち延びてきたことにするとか…」
「会津っちゃーいま大人気らしいね、幕末のジャンヌ・ダルク八重さん」
「維新とか幕末のジャンヌ・ダルクとか、正直言うとその言い方っちゅうか考え方きらいだね。八重さんも、それを演じる女優さんもきらいじゃないけど…、つまりね、野球もサッカーも好きだけど、サムライ・ジャパンとかなでしこジャパンとやたらナショナリズムを煽るような言い方好きくない」
「あゝそうか、君が言いたいのはサムライはサムライでも、相馬のサムライはもっと素朴で、二宮尊徳思想の忠実な実践者だったり、そうかと思えば《こけ猿の壷》をめぐって大活躍したり」
「おいおい丹下左膳は完全なフィクションだぜ」
「分かってるよそんなこと。でも君、分かっちゃいないなー、この話のそもそもの発端は、鏡像の話、つまり実像と虚像の区別などもともと怪しいものだというところから始めたんだぜ。いいじゃない虚像実像すべてを巻き込んで一緒くたにし、そこから生まれてくる真なるもの、美しいもの、善なるものに夢を託してみるってのは」
「そうだね。それにこの話、こうやって衆人環視のもとの実に公明正大なインチキ作戦なんだものね」
「Hさんからの刺激もあって、このところナボコフを読み直したり、読んでなかったものを取り寄せて読んだりしてるけど、実に面白い作家だね。彼は一種の亡命作家だけど、富士貞房も考えてみれば、逃亡者、つまり一種の亡命者だから親近感がある。いま読み始めたばかりでこの先どう展開するのか分からないけど、『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』が実に面白い。ここで言われている《真実の》という形容詞が曲者、まさにここまで私たちが話してきたことにぴたり重なる形容詞だよ。
いや実を言うと、誰の発意から始まったのか分からないけど、オクタビオ・パスの長詩『太陽の石』を数人で手分けして訳すという企てに私も巻き込まれていて、その締め切りが明日。どういう意図か分からず、一度は断ったんだが、今度の大震災を記念してのものだからという世話人A氏の懇望に負けて引き受けたわけ。担当部分はわずか1ページなんで甘く見て取り掛ったのが昨日、大慌てにともかく訳してみたがまったく自信がない。それはともかく、その担当部分にも「見ること自体を見る」とか「常に出発点に戻っていく鏡の通路」とか、幾重にも連なる鏡像のイメージが出てきてね、不思議な暗合を感じている」
「で、結局、君が目指しているものは?」
「あゝそう来る。じゃ言わしてもらうけど、私の究極の願いはいつか、死ぬとき? 墓場の中で? それは分からないけど、すべてを振り返って見て呵呵大笑すること、われ善き闘いを闘いたり、とね」
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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この世の中、人生は、対立するものが常に寄り添って存在して成り立っているのかも知れません。「真実」という言葉の奥には、必然的にそういう意味が含まれているように私は思います。『飛翔と沈潜 ウナムーノ論集成』の中で、先生はこう言われてます。「真理は文書保管室に埃にまみれてころがっているのではなく、おのが存在の最深部を、知性ばかりでなく感情、感覚のすべてを動員して掘り起こすことによってのみ、われわれの前に立ち現れるのである」。
先生が最後に「すべてを振り返って見て呵呵大笑すること、われ善き闘いを闘いたり」と言われていますが、この「善き闘い」とは「真実」、そして「真理」を五官を総動員して探求し続けた生涯のことを意味しているように私は思います。
「実像と虚像」のたとえには、「...、ああ、なるほど、そうなのか...」と思いました。
「本音とたてま」という表現がありますが、それは、日本人の専売特許と思っていました。
大なり、小なり、人類共通の通念なのかなー...、と。