或る公開書簡


福島大学人間発達文化学類同窓吾峰会
          齋藤正寛会長様


 初めてお便りいたします。貴大学昭和8年卒業の佐々木(旧姓安藤)千代の次男・孝という南相馬市在住の者です。先日、吾峰会から住所録の確認はがきが届きました。実は母は二年前の一月、一時身を寄せていた青森の十和田で死去しました。生前御会の理事を務めたこともあったようで、母の供養の意味でも刊行予定の会員名簿を予約しようと思いましたが、同封のような母の書き残した思い出の記(本ブログに2013年4月10日全文掲載、右の検索で「ばっぱさんの怒り」と入れてもらえばすぐ出てきます)のことを考え合わせて、いささか迷っております。
 今となっては遠い昔のことですが、当時の母の無念を考えると、そのままにしておくに忍びなく、すでに私家本として出した文集の補遺として他の書き物と一緒に近く本にするつもりです。そして同時に、かつてこういう卒業生が、会員がいたことを御会にもお知らせしたいと思った次第です。
 御会の設立精神がいかなるものかは存じ上げませんが、しかし単なる思い出の会ではなく、卒業後も後輩たち、そしてその薫陶を受ける生徒・学生たちの心身共の成長のためあらゆる機会を捉えて働きかける会ではないかと愚考します。
 私自身も長く教壇に立っていましたから、遠くからニッキョウソ(もちろんこれは御会とは直接関係のない組織ですが)の時にはどうかと思われるような奮闘振りも見てきましたが、しかし昨今の政治の右傾化に対する警鐘の声は少なくとも私のところまでは聞こえてこないどころか、原発再稼動のみならず海外への輸出に対する反対の声すら聞こえてきません。為政者の意のままになるおとなしいサラリーマン・ユニオンになってしまったのでしょうか。だったらかつての農協がJAという小じゃれた名称に変えたように、JTUにでもした方がいいのでは、などと言いたくもなります。海外旅行の会社と間違われるかも知れませんが。
 しかし事故後、福島県の教職員たちが原発再稼動や海外輸出に関して何かまとまった意思表示をしたかどうかも、寡聞にして知りません。この問題はイデオロギーの問題ではなく、児童生徒・学生の末来に直接かかわる重大問題のはずですが、御会ではいかなる対応をされたか、大いに気になります。母が直接かかわった大会で、ゲスト・スピーカーに招かれた読売新聞の論説委員が誰か今さら調べる気にもなりませんが、原発推進の講演をただただ傾聴していた当時の会員の意識はその後どう変わったのか、あるいは変わらなかったのか、これも大いに気になります。
 話は変わりますが、つい二日前、拙著『原発禍を生きる』の韓国版を読んで接触してきたソウル大学統一平和研究所からの依頼で、東日本大震災・原発事故の被災者として今何を考えてるか、という内容のメッセージを書きました。来月十五日の研究所会議で翻訳公表される予定のメッセージですが、現今の教育事情についての箇所だけ引用させていただきます。

 私は長らく教師をやっていましたから、国民の真の覚醒のために教育が重要なことは痛いほど分かります。しかし現実の学校教育の実態はこれまた嘆かわしい状態になっています。知識を記憶させることには熱心ですが、生きる力、考える力を養うといういちばん大事な教育がないがしろにされてきました。
 大震災直後、被災地の学校はすべて閉鎖されて避難所などに使われましたが、私は当時ブログにも書いたように、真の教育に目覚めるための好機到来とばかり内心期待したものです。つまりこの際、教師も親も、そして当事者である児童も、教育とは、学ぶとは何かを考え直す絶好の機会だと思ったのです。この機会に親と子が向き合い、日ごろ読めなかった良書をじっくり読んだり、定期的に巡回してくる教師に課題を出してもらったり質問したりできる手作り教育の好機と思ったからです。これからの長い人生にとって、半年あるいは長くて一年のこうした体験は実に貴重な財産になったはずです。しかし実際は30キロ圏外にある学校にバス通学をさせ、教室が狭いので廊下で学習させるなど実に愚かな対策を講じました。教育関係者には明治開国以来の盲目的学校信仰が骨がらみになっていたわけです。
 最近の新聞紙上では経済協力開発機構(OECD)が実施した国際学習到達度調査(PISA)の結果が話題になっていますが、それについて私はきわめて懐疑的です。たとえば問題処理能力で日本の子供は好成績を上げたそうですが、これについては完全に否定的です。コンピュータ・ゲームなどでの障害物や迷路を抜け出す能力は一種の慣れの、想定内の問題ですが、しかし今回の原発事故のようなそれこそ想定外の「問題群」に対しては無力であることは、大人たちの体たらくを見てもはっきり証明されました。想定外の問題に対しては、ろくろく学校にも行けない発展途上国の子供たちの方がはるかに高い能力を示すであろうことは容易に「想定」できます。つまり人間にとってより重要かつ手ごわいのは、「生きる」ことに直接かかわってくる、つまり「死活の」問題群なのです。

 長々と自説の引用で失礼いたしました。ただ日ごろより教育に強い関心を持つ被災地の元教師として、次代の教育者を養成する大事な教育機関の同窓会に対して、この機会を利用して私見を述べさせて頂いたつもりです。
 なおこのお手紙は一種の公開書簡の形をとって、小生のささやかなブログに同時掲載させていただいております。震災以前から始めたブログですが、事故発生時から三ヶ月分の発信記録は前述の書名で書籍化され(論創社、2011年8月刊)、幸いこれまで中国(香港)、韓国、スペインでもそれぞれ翻訳出版されました。ブログ自体は小さいですが教育界やマスコミ関係の友人たちもアクセスしてくださっており、小生の鱓のはぎしりにもいささかの反響があり喜んでおります。
 さて結論を申し上げます。同封の文書からもうかがえる亡母の意思を忖度して、今回は御会から何がしかのご回答がある場合にかぎり、亡母の墓前に供える意味でも名簿を喜んで予約させていただきますが、それがない場合は御会の今後の御活躍を祈りながらも、名簿に名を残すだけで予約は差し控えさせていただきます。ご理解ください。

                           敬具 


平成26年5月4日
                                 佐々木 孝

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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或る公開書簡 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     『虹の橋』の中でバッパさんがこう言われています。

     「先ず教育者たる者は、政治家よりも、世の権力者達にも増して、先を読み、物事を鋭く見抜く洞察力と、危機管理能力に敏感でありたいと思います。(中略)やがて来る百才時代に備えて、吾峯会OB各位も在職時代の反省から、なぜ今教育界が荒れているのか、生徒たちの異常と思われる凶悪犯罪の続出に、学校側も文部省もその対応を迫られても、責任のないあいまいな返答対策しか出来ず、警察も裁判もその解決能力を失い、世はまさに無政府状態、底無し沼の有様です。(中略)二十世紀は生科学に於いても著しい進歩を遂げながらも、未だ解明は出来ずに残されている問題は、何といっても<人は何故死ななければならないのか>ということだと思います。私が若い頃<永遠>とか<悠久>とかを好んだことも、無縁なことではなかった筈です。これから残された時間をなぜ聖書研究の一点に絞ったかということ、それ以外に学ぶ手だてはないと思うし、人類六千年の歴史すべては、天地創造の意思に背き、主権者の存在を無視して勝手に自由という美名に欺かれて来たその最後のつけに人類は今直面していると思うのです。」

     先生が指摘されている「生きる力、考える力を養う」ために何が必要かのヒントをバッパさんの言葉から私は感じました。

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