第X巻あとがき
とうとう十巻まできた。ただし今回はこれまでとはいくつか違うところがある。まずページ数が第Ⅸ巻よりさらに少なくなっている(それでも結局272ページになってしまった)。特に理由はないが、あえて言うなら、小さな字で三〇〇ページ近くもあると、いかにも重量感で勝負しているようで、内容の良さ(?)が伝わらないような気がするから。それでなくとも袋とじ印刷でかさばっているので二六〇ページあたりがちょうどいいのでは、と思った。
次にタイトルのこと。ローマ数字だけでなく、その巻の特徴みたいなものを題名にすることは第Ⅸ巻で既に試みたが、それにしては今回の「左膳、参上!」は意味不明と思われるかも知れない。確かに冒頭に同名の文章があるが、一見して何のことか分からないだろう。それが狙いどころでもある。つまり題名で先ず惹きつけるという寸法だ。そしてその冒頭の一文を読めば、なんとなく分かるようにはなっている。
つまり林不忘が世に送り出した隻眼隻手(せきがんせきしゅ)の怪剣士・丹下左膳が我が(?)相馬藩の武士であったことはほとんど誰も知らないが、それを改めて世に知らせたい、というのが第一。左膳のデビュー作『乾雲坤竜(けんうんこんりゅう)の巻』で、その「夜泣き」の名剣「乾雲坤竜」を取り戻すよう命じたのが相馬の殿様大膳亮(だいぜんのすけ)ではあったが、話の展開とともに、いつしかその事実は作者自身にも忘れられたかのように再度言及されることもなかったのだから無理もない。
しかし怪剣士といえども相馬中村藩のサムライ、今も毎年七月末に行われる相馬野馬追いのサムライたちの、架空のとはいえ源流であることは間違いない。そして彼が生きた時代、いや正確に言えば作者も当初思ってもいない形(初めはほんの脇役のつもりだった)で彼が世に受け入れられた時代は、なんとなく現在の日本と重なる、と言うのが第二の理由。「東京日日新聞」夕刊に連載が始まった昭和二(一九二七)年といえば、田中義一内閣による三度にわたる中国・山東出兵や芥川龍之介の自殺など、次第に軍国主義台頭への傾斜を強めていく閉塞の時代、今と同じくなんとなくもやもやとした時代であった。
だから左膳はそれまでのサムライ像、武士道からすれば異端児であり鬼子であったのも時代の趨勢、つまり無意識裡に時代が求めていたものと言えよう。圧倒的な彼の人気は、原作のみならず、伊藤大輔監督・大河内伝次郎主演の映画化によること大であるが、その映画では原作には無い武士道批判の趣きさえあったのもそのためであろう。つまり左膳は権力を笠に着た主君やそれに唯々諾々と従うバカ侍に怒って、大膳亮の行列に切りかかったすえ、「お目出度いぞよ丹下左膳!」と自嘲しつつ自刃して果てるという、もう一人の竜之介(『大菩薩峠』の机竜之介)の向こうを行くニヒリストに仕上ったのもいわば時代の要請。
この昭和初年代の、どこにも出口が見つからないような、それでいて次第に危険な淵に吸い寄せられていくような時代閉塞の状況が現在に重なって見えるというのが私の見立てだが、当時は、エログロ・ナンセンスと呼ばれるものが世を席巻した時代でもある。左膳の女物の長襦袢、黒えりで白の着流しというコスチュームもまさに時代を象徴している。
不肖拙者も、もやもやとした理不尽な世相を左膳のようにばったばったと切り捨てたいところだが、その際、彼のようなニヒルな冷たさは生来持ち合わせていないので、せめてナンセンス(別名オヤジ・ギャグ)くらいは乱発したいというのが、表題に選んだ第三の理由、かな?
もう一つ従来のものと違っているところがあった。それは最後に収録した「東日本大震災・原発事故を被災して」がまだネット上に載せていないものだということである。実はこれは今月の十四日、ソウル大学で開催予定の「統一平和研究所」年次総会で朝鮮語に翻訳され発表されるものなので、それまではブログ掲載を控えていたものである。この巻の最後を総括するものとして是非収録したいとあえて前倒しで入れることにした。南北統一問題を真剣に考えておられる学者諸氏にこれがどう受け止められるか、本音を言えば戦々恐々というところである。しかし表面は軽くエッセイ風に書いてはいるが、私なりに真剣な思いをこめて書いたものである。先日、事前に原稿を読んでもらった進藤榮一氏(筑波大学名誉教授・国際アジア共同体学会 会長・東アジア共同体評議会副議長、帯広での少年時代からの友人)が電話で褒めてくれたので、少し自信が出てきた。もちろん他にも高く評価してくださった方が数人おられるが、ご迷惑かも知れないのでお名前は控える。
以上いつものとおりの変則的な「あとがき」を終わらせていただく。
五月二日 著者識
そして以下は、あとがきには載せない最後のお知らせ、というよりお願いです。実は呑空庵の手作り本は、今回で二十二作目。そのつど百部くらいは作ってきたので、もしかすると二千部くらいにはなったと思う。一枚一枚折って作った私家本だから、贈呈先や購入者名はすべて記録している。
たとえば『鏡像の世界 モノディアロゴスⅨ』は、発行部数一四一冊、うち購入されたもの二〇冊、あとはすべて贈呈である。鶴の恩返しの鶴みたいにすべて手作りだから作業として不足はない、というか大変である。しかし手作りであることに誇りは持っている。ちょうどお百姓さんが畝起こしから種まき、除草、そして収穫、梱包、発送と初めから終わりまで全作業を手仕事で完遂するのに似ている。
しかしこの際、贅沢を言わせてもらうと、このブログの読者でまだの方に一度でもいいからその苦心の作を手に取っていただきたい。ネットの画面で見るのとは全然別の感慨があることを保証する。この画面右下にある「呑空庵私家本のご案内」をクリックしていただければ簡単に注文いただけます。
最近そのうちのスペイン思想関係のものを市販の本にしてくださるという出版社が現れた。うまくいけばこのモノディアロゴス連作にもそうした動きが出てくる可能性もある。となると、この私家本はいつか希覯本になる、いや私の死後、確実に高値がつくことはこの私が保証する(ってのはちと、いや大いに論理の飛躍だ)。
★追記 消費税アップに抗議して、逆に値下げして、なんと今回は送料込みで八五〇円にしました。(なんだかテレビ・ショッピングの雰囲気になってきました)。もちろん作れば作るほど赤字になる値段ですが、皆さんに読んでいただける喜びの方が大きいのです。そして「御代は見てのお帰り」、しかもその額は皆さんにお任せという原則は変わりません。値をつけるほどのものではないと判断される場合は、送料分の切手だけお送りください(あれあれなんて哀れっぽいお願いをしてるんだろう? もう止めた)。
かつて私家本刊行の覚悟みたいなものを書いたものがあるので、ここで再度お読みいただければさいわいです。くれぐれもよろしくお願いいたします。
売文業開始宣言!(お気に召さねば御代不要!)このたび『モノディアロゴスⅡ』私家版製作にあたり、筆者として一大決心するにいたりました(といってわずか数分前にふと思いついたことですが)。それは以後、当「呑空庵」で製作する私家本は、すべて原則的に(という言い方に矛盾がありますが)実費(つまり原料費+手間賃少々)をいただくことにするということです。
本当は呑空庵などと格好をつけることなく、たとえば堺利彦、大杉栄らの売文社のように堂々と「売文」を表に出すべきでしょうし、あるいはオルテガの個人誌『エル・エスペクタドール』のように予約制で読者を募るべきでしょうが、そのための度胸と才覚が共に欠ける小生にはそのいずれにも踏み切ることかなわず、ここにしめやかに、もとい!おずおずと、売文業開始宣言をするにいたりました。
先ほどはつい見栄を張って、堺利彦だのオルテガだの大物を引き合いに出しましたが、実際は街頭でダンボールの看板を立てて自作の詩集を売る貧乏詩人といったところでしょう。ただ外見は貧しく哀れに見えるかも知れませんが、少なくとも内面は闇雲な自信と矜持を持つ詩人でありたいと願っております。
そんな勇気と衝動の遠い原因に、もしかするといままで以上に日々密着して生活しなければならなくなった認知症の妻の存在や、前三世紀楚の詩人屈原に端を発するという旧暦端午の節句(六月八日)に元気に誕生してくれた孫娘・愛の存在があるのかも知れません。つまり、このままおめおめ老いさらばえてはいられねえ、とのひらき直り、くそ度胸かも知れません。
以上、なんとも奇妙な宣言(カミングアウトではありません)をここで終わらせていただきます。どうぞ今後ともよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
二〇〇八年六月十二日
呑空庵庵主 富士貞房 またの名を 佐々木 孝
(未来の)愛読者の皆様へ
[解説]
私家本を実費で頒けることは、実はすでに一部実行してきたことである。それなのに今回改めてそう宣言するのは、宣言文をお読みいただければある程度分かることだが、おのれの執筆活動を、退職者・年金生活者の余技とみなされることはなんとしても避けたい、むしろ終生現役の物書きとして攻撃的に(?)生きたいという願いが込められている。いや自分の書いたものを「売る」ことの恥ずかしさ、難しさ、そして厳しさに潔く挑戦したいと思ったからである。
今回敢えて名乗りを上げるにいたった理由には、さらに二つのことが引き金となった。一つは、つまり三番目の理由は、今月初めにネットで見つけた自動紙折り機(ドイツ・ダーレ社、五万四千九百八十円)の購入である。袋綴じ印刷で本を作る際のネックの一つは、印刷された紙を正確に二つ折りにすることであるが、これまではもちろん両手で折っていた。しかしこれが意外に疲れる。手だけでなく老眼にとってもかなりキツイ仕事である。もしかすると鶴の恩返しの機(はた)織りよりもっと疲れるかも知れない。今回その苦労が解消され、いくぶんかの余裕ができたわけである。ただし機械はしょせん機械、ちょっとした具合でびみょうなズレが生じるので、ときどき機械の調整が必要である。(★やはり器械は器械、微妙なズレはいかんともしがたく、現在はすべて手織り、いや手折りにしている)
苦労話は際限がないので次の、つまり四番目の理由に進む。それは先日島尾伸三氏からいただいた『禁産趣味者宣言』という奇妙な、そしていささか危険な本である。各種・各国の漫画の切り抜きのコラージュ(彼の言葉では凝裸儒)の隙間というか余白に飛び飛びに発せられる言葉が実に反社会的で非生産的でアブナイのだ。もちろん彼ならびに彼の家族のユニークな生き方など真似できるものではない。真似をしたいのは、そこだけは父・敏雄氏と似ていなくもない彼の、とりあえずは社会とか人生そのものとの闘いの姿勢、つまり当たって砕けろ、ではなく、砕けて当たるその姿勢である。
いや、話をずーっと約めて言えば、自著を「海老で鯛を釣る」のその「海老」にするのではなく(そう狙わなくても結果的にそうなる場合が多いので)、掛け値なしの「御代」を謹んで頂戴することにしよう、ということである。
『モノディアロゴス』は2002年7月8日、先生が62歳の時に執筆されてから11年余りの年月を経て第Ⅹ巻を完成させたことに読者の一人として心よりお祝い申し上げます。
『モノディアロゴスⅡ』の中で平沼孝之氏がこう言われています。
「【fugitivo】と自らを定位した話者が、佐々木孝という戸籍名をもつ生活者の自我を対自化して、生活上の出来事を内なる自己の記述者を通過させ、【出来事】として提示する一つの文学なのである。この日常的出来事の【出来事】が読者に共振を引き起こし、現実の生活者の自我を内なる自己から問い直し、人間的意志のことばを発見させるプロセスへと導くのだと思う。これは読者を感動させるというより、静かに覚醒させる。生活環境のしがらみのなかで生きるわれわれの自我が人間に立ち返ろうとすれば、「私は私と私の環境である、もしこの環境を救わないなら、私をも救えない」と見極めたオルテガの覚悟に立たねばならない。これが富士貞房さんの自己と自己の環境に対面する仕方であり、それこそ『モノディアロゴス』がまさにそれと示すところのものだ。」
『モノディアロゴス』を一通り拝読し、何が書かれてあるかを知ることを通過して、そこにある先生の生き方を洞察し、どう生きるべきかの自分への問いかけを先生の文章に励まされながら、その文章の断片を今の自分とありのままの生活に合わせ絡めて模索した二年余りのように思います。それは正に平沼氏の言われるように「人間的意志の言葉」の発見なのかも知れません。言葉で表現できないことを、読者の心に感じさせる、『モノディアロゴス』とはそういう本のように私は感じます。