伽倻子のために

ここ半月ばかりのことですが、そりゃもう生きてたわけですから、さまざまな出会いもあれば、いっとき頭を離れない想念やら妄想もありました。あっそうそう相馬野馬追いもありました。書きたいことがいっぱい溜まりましたが、それはこれから小出しに書いていくつもりですが、今日は先ずその内の一つから。


伽倻子のために

 この歳になって青春小説を一冊読み終えることが出来るなどとは思っていなかった。登場人物の一人ひとりに、これほど関心を向けられるとも思っていなかった。と言うことは、暗に自分はまだ若いと自慢しているのだろうか。そう思われてもいいが、でも自分の中にそんな感受性が残っているとは正直思ってもいなかったのである。いま青春小説などと言ってしまったが、要するに二十歳を過ぎたばかりの青年と、高校を卒業したばかりの少女の悲しい恋物語である。
 今になっては確かめようがないが、間違いなくこれは美子が昔読んだ小説。本棚の隅にあった文庫本を数日前見つけ出して読み始めたのだが、これは最後まで読み切るだろうな、と最初から予感した。そう、李恢成の『伽倻子のために』である。在日朝鮮人の青年・林相俊(イム・サンジュニ)と朝鮮人と日本人の夫婦にもらわれた日本人の少女との出会いから別れまでを描いた作品である。
 初め伽倻子をなんと読むのか分からなかったが、朝鮮人の養父が、朝鮮の楽器、伽倻琴(かやきん)から取った名前で、これは筝に似た12弦の楽器らしい。物語はとうぜん在日朝鮮人の置かれた複雑で苦渋に満ちた世界を描いているわけだが、しかし読み終えて鮮烈に残ったのは、題名にもなっている伽倻子という少女の姿である。つまり在日朝鮮人の問題をはるかに超えて、この薄幸の、という形容詞では収まりきれない少女の圧倒的な存在感が残った。不幸な境遇とか生来の性格ということでは説明のつかぬ、いわば人間性の深淵を見せられた思いなのだ。彼女の周囲には人間の善意や意志など歯牙にもかけない暗い運命が渦巻いている。主人公の青年はそんな少女に引き寄せられていく。ともかく不思議な魅力を持つ少女・伽倻子だが、それを彼女の魅力と言っていいものか。なぜなら彼女自身もその運命に翻弄されているのだから。
 実はそれから、若くして死んだ芥川賞作家の李良枝(イ・ヤンジ)の『由熙(ゆひ)』へと読み進んだ。これまで在日作家の作品をほとんど読んでこなかったことに今さらのように気づいたからだ。在日朝鮮人の若い女性由熙が「母国」に留学するのだが、そこでも否応無く疎外感に絶えず苦しむことになる。母国に来て、もしかすると生い育った日本にいるときより、むしろ更なる疎外感に苦しむのだ。なぜなら彼女の内―言語は日本語であり、その箍(たが)は彼女の考え方、ものの見方にまで執拗に働きかけてくるから。由熙の苦しみは作者のそれに重なり、かくして登場人物たちも読者も二つの国、二つの文化、二つの国民の断絶の淵に絶えず立たされる。もちろんこれはいわゆるバイリンガルな境涯に生きる人に大なり小なり付きまとう問題であろうが、しかし過去に侵略と収奪という過酷な時代を経た日本と朝鮮のような関係性にあっては、全存在を脅かすほどの……
 正直に白状しよう。実は今まで在日朝鮮人作家の文学については殆ど何も知らないで来た、だから今ここで何かまとまった考えがあろうはずもない。大事な問題だから、これからゆっくり考えることにしよう。今日はこの辺で止めて置く。
 いやそんなことより、いま美子を車椅子からベッドに移したところだが、自分の非力に打ちひしがれている。まるで自分が小型起重機にでもなったつもりで、瞬間的に気合を入れてこなしてきた作業だが、どうも今のやり方を変えないと無理になってきたようだ。それでもベッドから椅子に移すときはどうにかなるのだが、椅子からベッドに移すのが難しくなってきた。急に美子の体重が増えたわけではないのだが、気を整えて一気に持ち上げようとしても石のようにびくともしない、と思われる時がある。自分は右利きだから右から左へ移すのはなんとか出来るが、左から右への移動は難しくなってきたらしい。他にどんな方法があるだろうか。椅子をストレッチャー風に倒してベッドをその椅子の高さにまで上げて(電動式になっている)、美子の体を椅子からベッドに転がすようにしたらどうだろう。あゝそれだと、椅子の腕木がちょっと邪魔になる。とうぶんいろいろ試行錯誤が必要らしい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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伽倻子のために への2件のフィードバック

  1. 上野 惠美子 のコメント:

    はじめまして、こんにちは。
    「フクシマを歩いて 私にとっての3・11」を見て以来、たまにですが、 拝読させていただいています。挨拶もなくのお叱りを頂戴しそうですが、片隅に座り静かに聴講している学生のようなものと思っていただければ幸いです。

    近年介護の仕事に関わり、青山さんという方の移乗方法を教えてもらいました。教えてもらったときは特殊な状況でなければ必要がないと感じましたが、力や体力を頼りにするのが難しくなったときに試してみるとよい方法ではないかと思い直しています。
    探してみたら、NHKで放映されたものがありました。https://www.youtube.com/watch?v=1HeJ-Z-5xk4 
    介護する側が座ったり介護される人のベッドに腰掛けたりするという発想が私にはなかったため、青山方式は目からウロコでした。お役に立つかどうかわかりませんが、ご一瞥なりともいただければとコメントいたしました。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    上野恵美子さま
     いえいえ丁重な御挨拶をいただき恐縮しました。さっそくビデオを見ました。本当にこれは眼から鱗で、腰に負担がかからず楽に移乗(この言葉も初めて知りました)できそうです。さっそく試してみます。本当にありがとうございました。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

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