絣のもんぺで冒険行

Aさん、実はあなたへのお返事、スペイン語で書き始めたのですが、どうもうまく書けません。スペイン語の作文力がないからなのはもちろんですが、しかしそれ以上に、私の言わんとすること自体が難しく、いやそうではない、私自身がそれについてまだ良く考えをまとめていないということに気づいて、先ずは日本語で書いて、その要点をスペイン語にしようと思い直しました。
 さてあなたは私の前便を受けて、再びM. Tさんについて書いてきました。スペインから良くもみつけた情報と感心しますが、要するに福島出身の彼女は(シングルマザーのようですね)現在沖縄に小さなお嬢さんと一緒に避難生活を続けており、反原発、福島の子どもたちを救え、と訴えて奮闘しているフリーランサーのライターらしい。実は前回あなたにお返事する前に、教えていただいた彼女のサイトなどちらと見ましたが、今回はもう少しゆっくり詳しく見てみました。
 先ず最初に言ってしまいましょう。前回直感的に判断した私の彼女に対する評価はさらに確信へと変わりました、と。彼女が刑事訴訟を起こされたというのも、もちろん詳しくその内容・事情を知りませんが、さもありなん、と思われてきました。つまりそのエトス何とかという団体に対して、訴訟の案件となるような文書攻撃でもしたのではないでしょうか。
 詳しくは知らないので無責任なことは言えませんが、たとえば彼女が、佐々木あなたは被災地に留まって政府・行政の言いなりになっているだけでなく、もしかすると資金援助でも受けているのでは、などと誹謗・中傷されたとしたら、訴訟に踏み切る…いやいや私はそんな面倒くさいことにかかずらう暇も体力もありません。ただ捨て台詞を言うなりして、あとは無視するだけでしょう。でもこちらが団体で、他の多くの人に迷惑が及ぶなら、面倒ですが法的手段に訴えるかも知れません。なにやら裁判所関係の人がオキナワまで事情聴取に行ったそうですが、無罪・有罪に関わらずそれだけの言質を問題視されたのでしょう。彼女からすれば、こういう事態になったことさえ原発推進派の陰謀であり、個人の表現の自由を奪う権力者側の横暴だと今現在キャンペーンをしてるようです。
 そのM. Tさんの別のサイトでは、コスプレ風の髪飾りを付けてタレント気取りでマイク片手になにやら反原発ソングを歌っている彼女の姿をちらっと見ましたが、すぐ退散しました。カンベンシテクレー、ツイテイケナイヨーといったところです。
 Aさん、私は政府とか各種行政機関、政治家、東電などの愚行を日ごろから強い言葉で批判してきましたし、これからも死ぬまでその姿勢を変えるつもりはありません。しかしいろんなことを考えた末に被災地に留まったり、避難先から戻ったりして、毎日一生懸命に生きている人に向かって、そのことを詰(なじ)ったり無謀者呼ばわりする人も許せません。先だっての「美味しいんぼ」騒動の折にも言ったとおりです。でもそう言う人たちの声を封じる気もありません。在日韓国人や朝鮮人にあの醜いヘイトスピーチを浴びせる暴徒と争ってその口を封じる気もないのと同じです。この二つは全く違う、むしろ正反対のことだと思いますか? いえいえ両者の根っこは意外と同質ですよ。要するに、一方は原発批判の上澄みを錦の御旗におったてて、その意に沿わぬ人たちを無知蒙昧の輩(やから)と批判するのと、排他的な愛国主義に洗脳されて、ターゲットに選ばれた人たちを無差別に攻撃するのとでは、真の主体性のない点では同一の精神構造の持ち主だということです。
 ここで最近お友だちになった一人の女性をご紹介しましょう。彼女は東京でのチョン・ジュハさんの写真展で拙著『原発禍を生きる』を見つけ、それ以来会いたいと思っていましたと、つい先日拙宅を訪ねてこられました。数年前から毎月一度、南相馬など被災地でボランティア活動をされてきたそうで、お話をしているうち彼女があの人気作家椎名誠さんの夫人で、彼女自身も中国残留婦人・孤児に関する『ハルビン回帰行』(朝日新聞社、1996年)やチベット現況に関する『消えゆくチベット』(集英社新書、2013年)など何冊も問題作を発表されてこられただけでなく、作家転身前の18年間もの保母体験から生まれた珠玉のエッセイ群でも素晴らしい才能を発揮されてきた方なのです。
 先日いただいた『チベットを馬で行く』(文藝春秋、1996年)を見て(分厚いのでまだ読み通してません)、本当にびっくりしました。ハルビンには数え切れないほどの回数訪ねたり、少女時代からの夢であったチベットにも足繁く通われたことは徐々に知るところでしたが、しかし馬で旅したチベット冒険行には、冒険家としては先輩格のご主人・椎名さんも脱帽されたのではと思うほどの大冒険紀行なのです。生まれつき出不精で億劫がりの私など、脱帽どころか仰天しました。なにせ総重量309キロ超過(予備のテントも入った)の航空税が35万もかかる重装備・荷物を持って、専門の道案内がついたとはいえ、長途の冒険行を女一人で敢行するというスーパーウーマンなのです。
 私より6歳若い、それこそもんぺ姿が良く似合いそうなおばさん(本当に失礼! でも著書の表題『絣のもんぺでトレビアン』佼成出版社、1998年、からの連想です)のどこにそんな桁外れのたくましさがあるのだろうと、誰しもびっくりします。いや今は渡辺一枝評をする時でははありません、ただこの問題に触れた彼女の言葉をぜひ紹介したいと思ったのです。M. Tさん個人についての評というより、これと似たような事例についての彼女の言葉です。

「おっしゃる事に、まったく同感です。現地に行こうともせず、見もせずに、頭だけの情報で、ものを言う人を、私は信用しません。たとえ善意の正義感からだったにせよ、それはその人にとっての正義でしかないと思います。当事者にとって大切な事は何か、大事にしたい事は何かを知ろうともせずに振りかざす正義感は、似非正義だと思います。正義、不正義は立場が違えばまったく逆になりうるものなので、考える基本に私が持ちたいのは、正義か不正義かではなく〔大切にしたい事は何か〕です。」

 折り返し(?)私も渡辺さんのご意見に全く同感です、と言いたい。とくに原発事故後、そうした似非正義漢をいやというほど眼にします。このような似非にわか正義漢やウーマンとも腕を組んで大きく反原発運動を展開すべきとの意見もあるでしょうが、正直に言うとどうぞそれは勘弁してくれと言いたい。原発事故後、霊性・巡礼オタクの或る女性から、自分の霊性体験を豊かにするためにも被災地を訪ねたいと言われたとき、つまり彼女は自分の霊性の肥やしにしたいだけの被災地訪問だったわけですが、その姿勢に疑問を呈したところ、そういうちっちゃい了見では駄目です、と逆にたしなめられたときの深い違和感にも通じる私の本音です。
 なんだかまとまりのないことを書き連ねてきたようです。さてこれをスペイン語に…いや無理です。Aさん、もしかしたらあなたの周りのどなたか、あるいはあなた自身、私がスペイン語を読める程度以上に日本語を読めるんじゃありませんかね。それを期待して今回はこのままお送りします。もし無理でしたら折り返し要点だけ日本語でお送りします。
 暑い毎日が続きます。マドリードも暑いでしょうが、でも乾燥してますから、こちらよりは過ごしやすいはず。ともかく夏バテしないようご注意ください。また書きます。佐々木拝

※ 補足
 M. Tさん流のものの見方に欠けているのは、個を個としてみる視点だろう。つまり原発事故後の政府の対応にも見られたのだが、住民を20キロ圏、30キロ圏と輪切りにする視点(大本営の戦略地図のように)である。もちろん暫定的にはそうせざるを得ないが、しかしそれは常に現状に合うよう修正され続ける必要があった。
 反原発運動にもえてして見られ、それに対して違和感を覚えざるを得ないのは、被災者を一括して、つまり個の集団としてではなく一塊のマスとして見る視点である
 これまで事あるごとに主張してきたように、人間を見る視点は常に限りなく等身大でなければならない。敵兵を狙撃するには、彼を照準器の中の点にしなければならないのとは逆の視点である。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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