蔵書家などとはけっして言えない数の本しか持っていないが、それでもこの歳になると、つまり記憶力が日に日に減退するこの歳になると、おやこんな本があったのだ、と不思議な気持ちにさせられる機会が増えてきた。昨日も本棚の隅から見つけてきたのがそんな本である。ヴィンセント・フェリーニの自伝『雲の住人』(田島伸悟訳、沖積舎、1990年)。
訳者は知っている人だが、フェリーニがどんな人か全く知らない。献呈のしおりが挟まっていたから、訳者にいただいたものらしいが、読んだ形跡無し。申し訳ない。といっても訳者は4年前帰天されている。出版年の1990年といえば、私が静岡の常葉学園大学から、八王子の東京純心女子短大(のち大学)に移って間もない頃。そして訳者の田島さんもほとんど同時期に赴任してきた英語の先生だった。1932年生まれとあるから、私より7歳年上の、学殖豊かで、ことの正否を的確に下せる人という印象が強かった。詩も書かれていたはずだ。
訳者あとがきを見ると、1988年7月、アメリカ北東部のアン岬に、詩人チャールズ・オルソンの長編詩『マキシマス詩篇』の舞台グロスターを訪ねたとある(私にはすべて未知の固有名詞だ)。ところがその町では親切な人たちに導かれて、思ってもみない展開が待っていた。つまりオルソンの詩に登場するフェリーニがその町に住んでいて、是非会いたいと連絡してきたのだ。しかしフェリーニについては詩篇に登場する人ということ以外何も知らず、急いで町の本屋で彼の詩集を探すがあいにく品切れ。代わりに戯曲と自伝(つまり本書の原本)を買い求め、訪問の日時まで大急ぎで読むことになる。
一人暮らしらしいその詩人は、訪ねてきた東洋人を歓待し、そしてその客が自伝を読んでくれたことを知って狂喜する。
「【えっ。うわー、うれしいな】私は思い切って言う【あれはグロスターの叙事詩ですね】フェリ-ニは一瞬言葉を飲んで私を見た。その時のフェリーニの目が少し潤んで見えたのは私の思い過ごしか。」
フェリーニは別れ際に田島さんに自伝の翻訳を依頼する。言葉を濁して帰国した田島さんに再度手紙で翻訳を催促してくる。さあ、あの田島さんがこうまで言われて断れるわけがない。でもこの詩人の散文、一筋縄ではない。「言うなれば石をきちんと敷き詰めていかないで、飛び石なのだ。しかも、その一つ一つの石が奇岩珍岩ときては厄介この上ない」。でも長年『クラウン英和辞典』編纂作業で鍛えられたあの田島さんなら必ずやり遂げる。こうして一年半後、沖積舎からの出版と相成った。沖積舎? そうだ、一時期、われらの同人誌『青銅時代』を出版してくれた沖山さんの出版社だ。
ともかく書き出しから破天荒な自伝である。そこでフェリーニと師弟関係だかライバルだかであったチャールズ・オルソン(1910-70)その人が「従来の西欧詩のあり方を否定して【呼吸】を重視する【投射詩(project verse】」の提唱者であったことを辞典で知った。なるほど。
こうなるとその『マキシマス詩篇』とやらも読みたくなってアマゾンで調べたら、二年前、平野順雄訳で南雲堂から出ていた。なんと1,468ページもあり、値段も3万4千560円、これじゃ手が出ない。それでなくとも、残り少なくなってきた持ち時間から考えて、こんな風に次から次へと手を広げていったら死ぬ時間も無くなってしまう。前回はそれが狙い、と言ったが今回は金がかかるという理由で断念。
私の好きな映画監督と同名のこの詩人フェリーニの自伝にしても、田島さんが言っているように奇岩・珍岩の飛び石。つまり飛ばし読み、つまみ読み可能なシロモノ。でも今回奇しくも記憶の中から蘇ったあの温厚なジェントルマン田島先生との再会を記念して、この自伝を美子が着なくなった濃い藍地に赤い薔薇の花をあしらったネグリジェの切れ端で装丁することにした。真面目な田島先生は嫌がるかも知れないが、小さい時から女の人には目が無かった(?)ヴィンセントは大喜びすると思う。訪問時に田島さんが撮ったと思われる人懐っこそうな彼の巻頭写真を見る限りそう確信できる。その時の彼の年齢は今の私と同じ75歳だから、今生きていれば101歳。たぶん雲の上の住人になっているであろう。
※注 自伝の原題は “Hermit of the clouds” で私なら「雲に住む隠者(仙人)」とでも訳したいが、大英語学者の田島さんには考えあっての訳語なんだろう。それから文中映画監督と同名などと書いたが、監督はFellini、詩人はFerriniである。共にイタリア系の名前だが、LとRを同音で発音する日本人だけに通じるギャグでした。
投射詩という言葉を初めて知りました。先生が「岩屋寺の夕べ」の中で身体詩と言われていましたが、それも私は知りませんでした。ヒルティがこんなことを言ってます。
「人間の言葉は非物質的なものを表現するには適していない」
アレキシス・カレルが『人間この未知なるもの』の中でこう言ってます。
「道徳や芸術や美術は、文法、数学、歴史などのようには教えるわけにはいかない。感じることと知ることは、二つの全く異なる精神状態なのである。」
詩とは、カレルのいう感じることだと思います。投射詩論という言葉を検索していましたら「描写を排除し、イメージ対イメージによる緊張関係から生じるエネルギーを重視せよ」とありました。詩を親しむことの意味と、その大切さを先生の文章から感じます。先生の詩集『コギト』の最後にある詩をなぜか思い出しました。
夕ぐれ
ぼくはこの時刻が好きだ
日中のおおげさな身ぶりに疲れて
各自が自分にあったつつましい身ぶりに
変わる時刻、この夕刻を
ヒグラシが松の木で鳴いている
やわらかな声でカケスが歌っている
足の長いしめやかな陽の光
ぼくは小径の真中に腰をおろし静かになる
誰にも悲しみがあり
だれにも喜びがある
だが、めったに自分はつかめない
その自分をわずかに手もとに引き寄せる
こんな時刻がぼくは好きだ
(昭和四〇、七 河口湖)