間にあってよかった


佐々木さんの本にあやかっての私家本です。
間にあってよかったです。
暑さがつづきますが、くれぐれもおからだ大切に。

二〇一一・七・九          石原保徳

 これは石原さんの『世界史再考 歴史家ラス・カサスとの対話』(制作デジプロ、2011年)に挟まれていた絵入り小型便箋に肉筆で書かれたメッセージである。文中「間にあってよかったです」という言葉に今も胸が痛む。何に間にあったのか? 彼の死に間にあったのである。彼はそれから間もなく帰天した。
 彼、石原保徳さんは岩波書店の編集者として、あの画期的な「大航海時代叢書」第二期(全25巻)、さらには『アンソロジー・新世界の挑戦』(全13巻)を手がけた。いや単に編集者としてだけではなく、歴史家・翻訳家としても生涯、死の直前まで「新世界問題」に取り組んだ。それも後半は前立腺ガンとの闘病生活の中で。しかし彼は常に前向きで明るかった。
 亡くなられる年の三月、あの忌まわしい原発事故が起こったときも、病床にありながら何度か電話をかけてくださった。あのいつもの明るい元気な声で。そして美子のことを最後まで心配してくださった。最後の日々、元同僚のTさんがコピーした私たち夫婦に関する新聞や週刊誌の記事なども読んで、無事を喜んでくださったそうだ。
 あの覚悟そして力はどこから出てきたのだろう。おそらく、彼の今だから言える「晩年」に、彼を捉えて離さなかった使命感、つまり新世界問題との苦闘の中から得た新たな知見と問題意識をもって前人未到の企図、すなわち世界史再考・再構築というとてつもなく大きな課題へ挑戦しなければとの強い想いからではなかったろうか。
 彼が残した足跡は、以下の作品群を辿ることでその大略を知ることができる。

  • 『インディアスの発見 ラス・カサスを読む』、田畑書店、1980年
  • ラス・カサス著『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(訳・解説)、現代企画室、1987年
  • 『世界史への道 ヨーロッパ的世界史再考』、前後編、丸善ライブラリー、1999年
  • 『大航海者たちの世紀』、評論社、2005年
  • 『新しい世界への旅立ち』、岩波書店、2006年
  • そして絶筆『世界史再考 歴史家ラス・カサスとの対話』。

 しかし忘れてならないのは、彼が長南実訳で出た全五巻のラス・カサス『インディアス史』(岩波書店、1990年)を圧縮・再編集した岩波文庫版、全七巻(2009年)の存在であろう。ラス・カサス基本文献のこれほどまで周到な作業は本国スペインでもなされていない。石原さんの驚異的な執念あればこその偉業である。
 私には原発事故のあとの覚醒の中で初めて見えてきた近代批判や明治維新再検討の必要性を、石原さんはそれこそさらに広い世界史的観点から夙に見抜いておられたわけだ。その慧眼恐るべし。恥ずかしいことに上記の労作のいずれも、今までしっかり読んでこなかった。残された日々、出来うる限り彼の切り開いた道を辿りたいが、私よりも若い世代のだれかに、それもこの南相馬の次代を背負う青年たちに、ぜひ彼の宿願を引き継いでもらいたいと強く願っている。
 彼のそうした問題群への最初の橋頭堡とも言うべき1980年の『インディアスの発見』の中に、そのころ書かれた私宛のはがきが挟まっており、そこにはこう書かれている。

「出版社に働くこと二十年、さまざまな矛盾を背負いこんでいます。他方【学問】の質は次第にオカシクなっているとしか思えません。大学も相当荒れていることでしょう。想像はつきます。しかし、アキラメてしまうわけにはゆかず、編集や学問の姿勢をただしてゆくことも必要だと思っています」

 偉い「学者先生」たちや編集よりも営業が幅を利かせる会社組織とも対峙しなければならぬという苦しい両面作戦の中で、彼の問題意識はさらに研ぎ澄まされていったはずだ。しかも…

「振りかえってみれば、私の晩年は、一九九二年に前立腺ガンの摘出手術をうけてからというもの、なおその断端をのこすガンとのたたかい・共生にあけくれたといえる。死はさほど遠くない、との主治医の診断が示されたのは二〇〇七年夏のことであった」(『世界史再考』、「おわりに」)

 ちょうど一週間前、とつぜん(!)老夫婦だけの生活が始まり、時おり目の前が暗くなるような寂寥感に襲われることがあるが、そんな時、この石原さんの「覚悟」のほどを思いめぐらし、天国の石原さんから叱咤激励を受けているような気持ちになる。
 2009年に作った詩集『コギト』は石原さんに捧げた。そのときは奇跡的に持ち直しておられた時期で、死神は退散したのでは、と楽観視していたが、でもその時、石原さんに捧げていて本当によかった、つまり私なりに「間にあってよかった」からだ。

父の死後見つけた石原氏の遺作の見返しに丁寧に糊付けされていた

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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間にあってよかった への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     『詩集コギト(われ思う)』の扉に「大兄 石原保徳氏に捧ぐ」と書き留められていたことは知っていましたが、その経緯とそれに込められた先生の思いを初めて知り感動しました。お二人に共通したものは何かと考えていましたが、「覚悟」という言葉が頭に浮かびました。それは、スペインの歴史と思想を生涯研究され続けてきたからこそ必然的に辿り着かれた人間の境地なのかも知れません。

     巷では衆議院議員の解散、総選挙が師走の忙しい時期に国費数百億円使って行われるそうですが、これはアベノミクスを国民に問う選挙だと思います。私たち有権者は実体の伴わない経済成長戦略に覚悟をもってノーを突きつけるべきだと思います。

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