コンサートのあとさき

埴谷大先輩の『死霊』に出てくる黙狂ほどではないが、さしずめ黙居老人とも言うべき我が日常も、昨日は久しぶりに大勢の人との出会いに恵まれた一日となった。つまり先日お知らせしたコンサートの日である。
 先ず昼前、このコンサートのためにわざわざ東京から日帰りで駆けつけてくれた守口さんが、昼前、美子のための素敵なお土産持参で我が家に寄ってくれた。白いフランネル(と言うんでしょうね)のひざ掛けだが、なんと中学時代以後持ったことのない針と糸で前夜縫ったというY.Sのイニシャル入りのアップリケ(と言うんでしょうな)が縫い付けてあった。彼はお茶も飲まずに(というか、私が話に熱中してつい淹れるのを忘れた)、直接図書館に到着するはずの菅さんたちに会うため一足先に会場に向かう。
 それから、所用を早めに切り上げた留守番役の辻君がやって来た。次いで月一度美子のために往診してくださるH医師と歯科助手さん。そのあと出かける寸前まで、せっかくの機会だからと(求められもしないのに)辻君一人を相手の貞房先生の即席スペイン思想講座が続く。
 さて4時半からコンサートである。びっくりしたのは東京純心の教務課勤務時代のことしか覚えていない浦崎さんの見事なフルート演奏である。すらりとした細身の彼女のどこからそんな力が、と思うほどの迫力ある音色が会場いっぱいに響いた。
 第一部が終って十分間の休憩のあと第二部冒頭、プログラムの一部変更があって菅さんがショパンの曲目を紹介している途中(恥ずかしながら、その時補聴器の不具合を調整していて菅さんの話がよく聞き取れなかったのだが)、とつぜん菅さん、万感胸に迫るの体で、言葉を詰まらせた。後から訊いたところに拠ると、その時、客席最前列に居た私の姿を見ているうち、これまでだったらそのすぐ横に車椅子の美子が、そしてその横に可愛い愛の姿があったのに、と思った途端、こみ上げるものがあったそうな。あの堂々たる巨体に不似合いな、なんとまあ愛情あふれる繊細な感受性。(でも嬉しい! 我が舎弟よ)
 第二部が少しふくらみ、予定の時間が過ぎたので、心配になって後ろを振り返ると、6時40分のバスに乗らなければならない守口さんがそっと席を立つのが見えて一安心。
 後から聞いたことだが、この夜、100人を優に越えるお客さんが会場を埋めたそうな。リピーターも多く、菅さん川口さん、確実に南相馬のフアンを獲得している。今回で四回目のコンサートだが、願わくはこれが毎年恒例の催しになりますように。
 予定より十分延長して、無事終演。伊達から駆けつけてくれた加藤さんと私は、皆より先にそれぞれの車で帰宅。つまり西内さんがすべて手配したパーティーが我が家で予定されていたからだ。こうしてこの夜、パーティーに集まった人数は、私たち夫婦を入れると11人。辻君に手伝ってもらって、二階からテーブルを運んで居間にあったテーブルにくっつけ、家中にある椅子を集めて何とか会場の設営完了。
 賑やかなことが好き、お客さんを迎えるのが好きだった美子も車椅子で参加。かくして賑やかにパーティーが始まったが、途中、期待通り、川口さんと菅さんの即席コンサートが始まった。私は美子に普段どおりゼリー状の夕食を食べさせていたのだが、これも期待通り、普段は優に1時間半はかかるのに、この夜はなんと20分で完食!
 十時ごろ一応パーティーはお開きになり三々五々客人たちは帰っていった。美子を寝せてから、この夜我が家に泊まることになった菅さん、浦崎さん、そして加藤さんと旧棟の書庫兼客間に席を移してコーヒーを飲みながら歓談、といっていつもの通り黙居老人の独演会になったかも知れない。日ごろから話し相手に飢えている黙居老人なのでどうぞお許し願いたい。
 明日は美子の71回目の誕生日。もしかして私以上に人の声に飢えている美子にとって、二日切り上げての楽しい誕生パーティーになりました。皆さん、ありがとう! 以前、三好達治の詩にある大好きなことばを紹介したが、そう、この日も「そのまま思い出のような」一日でした。

2021年2月18日撮影
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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コンサートのあとさき への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     美子奥様

     お誕生日おめでとうございます。    2014年12月8日

     アダモの「雪が降る」を良くお聴きになられていたことがモノディアロゴスに書かれてあったのを覚えてますが、美子奥様には先生がいつも、いつもおそばに寄り添われています。そして、先生はいつもこう言われます。美子奥様のご健康を心からお祈り申し上げます。

     ダイジョーブ、ダイジョーブ、パパがいるよ、ヨカッタネー

     

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