古い皮袋での熟成

恥ずかしいことに、この数日間気分が滅入ってどうしようもない時間を過ごしていた。美子の世話をしなければならない、という義務感だけでなんとか崩れないでいた。崩れる? いやそれがどんなことか分からないが、ともかく辛い時間を過ごしていた。私よりもっと辛いことに耐えている人がいることを考えて、こんなことで負けてたまるか、と反発心を奮い起こしてなんとか時間をやり過ごしていた。
 そんなときアマゾンから安岡章太郎さんと近藤啓太郎さんの対談集『齢八十いまなお勉強』(光文社、2001年)が届いた。同い年の二人が来し方を振り返りながら、老齢を生きることで見えてくるさまざまなことをこもごも語っていて実に面白い。私もあと数年でその歳になるが、それまで彼らのような元気を保てるか。いや私など老人としてはまだひよっこ、フンドシ担ぎなのに、いまからもうこの体たらく、先が思いやられる。
 昨日の朝、十時ごろ、帯広の健次郎叔父から電話があった。ここ数日寒い日が続いて外出も出来ずに家に閉じ込められていたが、今日は天気も良く、といってまだフトンの中だが、『内部から!』をとうとう読みきったよ、と例の明っかるーい声で報告してきた。美子さんの面倒を見ながら良く書くよ、私など絶対出来ない、などと言う。でもこの叔父の元気ときたら、これは安岡さんたちも比ではない。あのとき安岡さんたちは八十歳だったが、この健ちゃんは御歳九十七歳! 娘の史子(ちかこ)さんの「父は病気のように元気です」という至言を思い出しておかしくなった、と同時に元気がわずかながら戻ってきた。
 そして数日前から延ばしのばししてきたことをようやくやる気になった。それは昨年夏からIさんの編集で進められてきた『スペイン文化入門』の最終的なチェックと「まえがき」執筆だ。実はIさんには申し訳ないのだが、今日まで読み直すことすら一切やってこなかった。アマゾンに既に出版予告が出ているにもかかわらず、なぜか他人事のような気持ちで来てしまった。編集その他をすべてIさんにまかせたという気楽さからでもあったが、この出版不況の時代、むかし書いた雑文の寄せ集めなど本当に出版できるのだろうか、などとこの期に及んでもまだ内心半信半疑であったためでもある。しかし大きな私塾の経営という激務の合間を縫いながら出版目指して頑張ってきたIさんからの相も変らぬ篤実な文面の問い合わせのメールで眼が覚めた。そして八年ぶりに眼を通しはじめた(私家本にしたのは2006年)。
 それだけの年月を経て読み返すためか、まるで他人の文章を読むような新鮮味が感じられ、そして感動(?)した。落ち込んだり感動したり、まさに老人特有の感情の動きとお笑いくださってもいいが(誰に向かって言ってる?)、なかなかいいことが書かれていたのである。そして原発事故以後の混迷の中で辛うじて体勢を整えるにあたって、スペイン思想研究で得たさまざまな考えがまるで髄液のように自分を支えていたことを再認識した。
 冒頭の「われわれにとってスペインとは何か」(「朝日ジャーナル」掲載)などほとんどの文章が1970年代、つまり40年以上も前のものであるから、例えばスペインがフランコ独裁体制から新体制へと生まれ変わるあたりのことは、確かに「古さ」を感じさせる。しかしスペイン思想・文化の骨格・本質、そしてその問題点は確実に捉えられており、その部分は現在でも充分通用する。いやむしろ現在にこそ生きてくると思われたのである。そして日本の読者より現在のスペイン人にぜひ読んでもらいたい、というとんでもない願望が生まれてきた。
 つまり原発事故以後の覚醒の中で発見したことの一つは、日本文化そして日本という国それ自体が近代以降その本質・自己同一性を失ったまま迷走を続けてきたこと、そしてその危険ならびに解決への糸口を既に1970年代、さまざまな視点からさまざまな覚醒者によって指摘されていた事実だが、それと似たようなことはおそらくスペインにも起こっており、遠く東洋から発信された見解もいま改めて見直されてもいいはずだ、と考えたからだ。ここまで来ると、さすがに我ながら恥ずかしくなって、急に一つのスペイン語を思い出した。それはエゴラトリア(egolatría)つまり自画自賛という単語である。自画自賛・自己顕示欲の雄・安倍晋三首相が連想されてちょっと嫌ーな気分になりそうだが、しかし日本を間違った方向へと誘導しつつある現体制に対抗するためなら、少々のエゴラトリアは許されるであろう。
 それはともかく『スペイン文化入門』の中核に位置する「スペイン的【生】の思想」(『スペイン黄金時代』所収、NHK出版、1992年)が書かれたのが、ベルリンの壁崩壊や湾岸戦争という激動の時代であったこともあって、そこで主張されていることは現在とも不思議に符合している。新しい酒は新しい皮袋に、という聖書の言葉(マテオ、九章)もあるが、しかし古い皮袋の酒もそれなりの熟成を経て薬味を醸し出すこともあるだろう。ちょっと言い過ぎか。でもそんなことをぐーんと薄めて「まえがき」を書かせてもらうつもりだ。
 ここまで書いてきてだいぶ元気・生きる勇気(?)が出てきた。君って意外と単純なんだね、という声が聞こえてきそうだが、そうなんです、相当に単純なんです、純なんです、はい。先日、美子の血液検査の結果もほとんど問題ありません、との結果が出ましたので、とうぶん(?)元気に頑張ります。皆さんもどうぞ頑張ってください。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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