靴下の穴

靴下に穴が開いた。これまでだったらとうぜん捨てていた。でも今回は捨てずに洗濯して繕うことにした。むかしは、とうぜんのように繕いつくろいして履いていたことを思い出したからだ。もちろん繕ったのはばっぱさん。ばっぱさんは繕ったばかりでなく、何でも作った。いま思い出すだけでも、古毛布でズボンを作ったり、野球をやりだしたときにはユニフォームまで作ってくれた。だが作ってくれたことに感謝した記憶はない。ビンボーくさくて嫌だった。いやいや衣服だけでなく、グローブまで作ってくれたぞ。
 ばっぱさん、何でも作った、ときおり変な料理まで作った。料理? いやそんな大層なものではなく、氷砂糖のテンプラだ! 満州時代、時おり配給になるドロップが切れたとき、何を血迷ったか氷砂糖のテンプラを揚げたのだ。もちろん衣の中はただの砂糖水、ではなく甘い熱湯だ。口の中を火傷した。
 いつのころからか継ぎ接(は)ぎされた服を着た子どもを見かけなくなった。むかしはだれもかれもが継ぎ接ぎだらけの服を着ていたのに。生活が豊かになるにつれてお母さんたちの継ぎ接ぎ作業は不要になった。どんどん新しいものに買い換えていく時代が始まった。とうぜんゴミが加速度的に増えていった。むかしは町内の角あたりにコンクリート製の方形のゴミ箱があり、それで十軒以上の家庭のゴミ処理が間に合った。市役所のトラックが月に一度か二度回ってくるだけではなかったか。
 さて靴下の補修だが、たしか古い、あるいはタングステン(懐かしい響き!)の切れた、電球を使っていたことを思い出して、身の回りを探したがあいにく見つからず、代わりにいいものを見つけた。古い硬式テニスボールだ。だれのボールだろう。ともかくそれを破れた靴下の中に入れ、補修部分にあてがって普通の黒の木綿糸で縫い合わせた。引き攣った手術跡みたいになったが、なになにだれも足の底まで見ることはあるまい。
 いやむしろ見てもらおうか? この爺さん、よほど生活に困っているのかな? と思わせるのもいいかも知れない。もしかすると、これ流行りのファッションかな、と思うかも知れない。だって前から不思議だなと思っていたのは、新しいジーパン(いまじゃジーンズと言う?)をわざと破いたり擦ったりして履くのが流行っていることだ。贅沢の極みでふと貧しさへの郷愁を感じたのか? まさか。
 でもだれか若いお母さんがわが子の服や靴下に継ぎ接ぎして着せたり履かせたりしたらどうだろう。もしかするとカッコいい、と評判になるかも。そこまでの勇気が無いなら、先ず第一段階として可愛らしいアップリケ(これも懐かしい音!)を貼ったりしてはどう? きっと子どもたちの間で人気が出るかも。こういう風習がじんわり日本列島を覆ってほしいものだ。
 そんなことが流行ったら、日本経済が停滞し、経済成長がストップする、と警告する評論家が必ず出てくる。そうなんだよなー、古くなったら適当に捨てて買い換えないと経済が活性化しないんだよなー。靴下、服、家電、車、…家、すべて適当に廃棄処分にしないと金廻がよくならないんだって。これ現代経済学の鉄則。
 そう? だったら停滞したらいいじゃない、ゼロ成長大いに結構。前にも言ったが、右肩上がりなんて大嫌い。だいいち不自然だし不健康だ。両肩は平行の方がいい。それに倹約は美徳だなんて言っていた民族が、いつから浪費を勧める民に成り下がったの? 今じゃかつての美徳は、名前は忘れましたがアフリカのどこかの女性が「モッタイナイ」を称揚してるのを、ほら見ろこれぞクール・ジャパンなんて威張ってた奴がいたが、そんな美徳、日本からとっくの昔に消えたっつーの。
 もうやーめた。でも皆さーん(だれに向かって言ってる?)、明日からは穴あき靴下は捨てないようにしませう!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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靴下の穴 への3件のフィードバック

  1. 守口 毅 のコメント:

    佐々木兄い殿
    ばっぱさんは偉かった!それにしても氷砂糖のてんぷらとは!
    それで火傷したってことは、液状化した砂糖が衣のなかに保持されていたということですか?  でも兄上、たまに裁縫やってみるのもいいものでしょう?電球とかテニスボールとか、そういう対象に寄り添った工夫って、補修する靴下と初めて親しい語らいをやっているようで、いい時間ですよね。わたしは中学3年生の時に家庭科でおばあちゃん先生に丁寧に教えてもらったことで、いまでもほんの時たまですが、そういう語らいの時間を持つことができるのを幸福に思いますよ。

  2. 突然失礼いたします のコメント:

    東京に住む大学院への進路を考えてる大学4年の学生です。
    個人的にオルテガを読んで、勉強をしています。
    しかし周りにオルテガに詳しい先生がおらず、疑問に思ったところなどがでてきても自分のなかに貯めこむばかりで何も解決しません。
    もしよろしければ佐々木先生にご教授させていただくことは可能でしょうか?
    よろしくお願いします。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    もちろん私に出来ることならお役に立ちましょう。
    それから、今後この種の連絡はホームページ右上の「メール」からしてください。
     ついでですが「ご教授させていただく」のはあなたが、ですか? もし私に対してなら「ご教授願う」の方が日本語として正しいのでは、と思います。使い慣れない敬語で戸惑ったかな? 敬語は確かに難しいですね。のっけから教師の癖が出てしまいました。
     ともあれオルテガを勉強したいとのこと、元教師としては嬉しい限りです。

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