韓国のお友だちに

隣りの教会のK神父さんから、今日の昼過ぎ、韓国から20数名の信者さんのグループが来ることをあらかじめ教えてもらっていた。それで、事故の翌年に私たち夫婦のことを報じた「京郷新聞」の写真入りの記事、『原発禍を生きる』の韓国版、「ソウル大・統一平和研究所」宛てのメッセージ、そして鄭周河さんの「南相馬日記」、つまり私の持っているかぎりのハングルの文献をすべて神父さんのところに預けておいた。朝鮮語を話すことができないので、せめて挨拶代わりに差し上げようと思ったからだ。
 ところが昼前、わざわざ神父さんが、今日の1時半ごろ皆さんが来られるので教会にいらっしゃい、と誘いに来られた。時間になって教会に行ってみると、聖堂で地元のどなたか(信者さん?)が通訳つきで南相馬の現況など話していた。老若男女、30名近くの韓国の方々が熱心にメモを取りながら話を聞いておられる。2時には教会横に待機している大型バスで次の目的地に行くとか、それまではご挨拶もできないので私も椅子に座って話を聞いていたが、聞いているうちどうにも気が滅入ってきた。除染のことや健康診断、子どもたちへの甲状腺検査など微に入り細に入りの説明なのだが、私からすればそうした被災地の苦境より原発をいかに廃炉に持っていくか、国の原発推進の政策にどう対決していくか、の話の方がもっと重要だと思ったからだ。
 でもこれが反原発や脱原発集会の一般的な姿なんだろう。つまりいかに原発事故が悲惨な状況を作り出しているか、を強調して、反原発を訴えるやり方である。しかし被災民からすれば(私だけではないと思うが)、事故の悲惨さを事毎に強調し、それを意識させられることは実に辛い心理状態に追い込まれる。それに被害の状況を細かいデータを挙げて、今後それにどう対応するかを考えるより、原発そのものの廃絶のためにどう働きかけていくかを話し合う方がより建設的だと考えるからだ。
 つまり韓国の人に事故が起こってからの対応策を考えてもらうより、いかにして早期に廃炉に向かって世論を喚起していくかを語り合う方がより重要ではないかと思うのだ。だから事故後しきりに郵送されてきたさまざまな調書、例えば事故後どこに避難し、何日そこに留まり、そしていつ戻ったか、とか、現在の健康状態などについて、それこそ微に入り細に入りのアンケートには一切答えないで来た。それらのデータを数量化して、それをどうする? 今度事故が起こった場合に参考にする? ぶるっ、とんでもございません、もう事故など真っ平ごめん、それよか全原発廃炉に向けて力を結集する話の方が被災者にとってはるかに精神的健康向上に繋がる。
 話はどんどん細かくなり、南相馬の教育長交替の話にまで進んだ。つまり今回選ばれた教育長の就任挨拶に原発のゲの字も出てなかったのはおかしい、国や公的機関が被害隠しに躍起になってる、と言いたいらしい。そうかも知れない。でもそんなこと韓国の人に話してどうなる?
 ようやく報告者の質疑応答が終わって私の挨拶の番が回ってきたが、バスの時間があるので、と引率の日本人神父に急かされ、慌しい挨拶となった。ともかくいま南相馬の深刻な問題は、放射線そのものよりPTSDなどストレス症候群の方だということ、被災者にとってベクレルとかシーベルトなどのことなど意識にすら上せず、日々必死に生き抜くことの方が重要だということ。皆さんご承知かも知れませんが、いま日本は現政権によって原発推進や戦争法案制定など実に愚かしくも危険な方向に向かっている。どうか皆さん、私たちと力を合わせて原発推進や参戦容認など愚かしい限りの状況打破のため一緒に頑張りましょう。お願いします。
 通訳の話し終わるのも待てないで、最後はジェスチャーまでした。つまり原発事故後いろんな人が被災地を訪れたが、貴国の写真家・鄭周河さんほどの真心のこもった追悼の表現を見たことがない。彼が萱浜の海辺でこう膝をついて(ここで私も膝をついて)してくれた祈りほど美しい祈りの姿はなかった。そしてその際、人間の飽くなき欲望に対する彼の怒りの言葉は、破裂音の多い朝鮮語のためか、どんな日本語より真剣な怒りを表わしていた。そう、どうか皆さん、ぜひ私たちと力を合わせてください、お願いします、で締めくくった。
 慌しい、しかも意に満たぬ挨拶になったが、しかしその後、小柄なおばあちゃんが近寄ってきて、「同じこころ」と日本語で言いながら両手を差し出してくれた。あゝ伝わったんだ、と思い心から安堵し感動した。
 夕方、唐突に、先日の「スペイン語圏の友人たちに」のハングル版を作らなければ、と思い立ったが、もちろん私には無理。そこでこれまで鄭周河さんの翻訳や通訳をしてくださった柳裕子さんにメールで打診してみた。すると折り返し彼女自身か彼女のバイリンガルの友人かで翻訳の可能性を考えてみますとの嬉しいお返事。それでさっそく「スペイン語圏の友人たちに」の文章を韓国人向けに修正して送った。忙しくて無理でした、と断られるかも知れないが、それでもいい、私としてはともかく韓国の友人たちへの呼びかけへの意思表示をしたことでひとまず落ち着いている。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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韓国のお友だちに への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     ドイツの文化哲学者シュペングラーが人類の歴史は文明の没落史だと言っていたのを思い出しました。享楽と利己主義をこのまま続けていけば、歴史の法則というものがあるならば、日本もその法則に埋没するような危機感を私は抱いています。大衆社会の中で、選挙で多数を取った政権が国を主導している今のやり方は、何かあっても責任の所在が全くありません。大衆という名の責任のない立場の集まりが享楽と利己主義を維持するために自分たちの都合に合った政党を選んでいるからです。沖縄問題、福島の原発事故というのも大衆の無責任な人生観から生じているんだと私は思います。今こそ私たちは従来の生き方からアンプラギング※して、先生が言われるとおり「私は、私と私の環境である」、小我から大我へと精神革命することが、歴史の法則に埋没しない賢明な生き方だと思います。モノディアロゴスを先生が執筆されることは、そのことを私たちに常に示してくれています。

     ※ 2003年2月9日「巷に叫ぶ声」で、先生がこう言われています。

     「イリイチの言うアンプラギング(従来の連鎖から自発的に降りる)ことはだれも考えない。」

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