スペインはセビリヤ近くの人口3万人ほどの小さな町コリア・デル・リオ(Coria del Rio)に、日本(Japon)さんと称するスペイン人が600人以上も暮らしていることをご存知だろうか。実は私も最近まで知らなかったのだが、一昨年から昨年にかけての日本スペイン交流400周年の折りに初めて知った。彼らは、約400年前の1613年10月に海を渡った「慶長遣欧使節」の末裔とされる。慶長遣欧使節とは仙台藩主・伊達政宗がノビスパニア(メキシコ)との通商条約締結を求め、イスパニア(スペイン)国王及びローマ教皇の元に派遣した支倉常長率いる使節団のことだ。約200人の一行は月浦(現・石巻)を出航し、3年がかりでメキシコ、スペイン、ローマを訪れた。この時、帰国せずスペインに留まった日本人がコリアに住み着き子孫を残したと考えられている。
ところが今夕、そのハポンさんの一人が我が家を訪れたのだ。橋渡しはいつもの通りロブレードさん。一昨日、久しぶりに電話をかけてきた彼が、今回来日したハポンさんが南相馬を訪れるのだが、もしよかったら会ってくれまいかとの連絡。もちろん快諾した。コリア・デル・リオ市役所内の日本関係事務局のフェルナンド・プラテーロさんとハポンさんが、日本人通訳の青年を連れて、今夕車で南相馬に到着。駅前のホテル伊勢屋に投宿した彼らを、折よく今日は土曜なので友人の辻先生に頼んで連れてきてもらったのである。
おかげで夕方六時ちょっと過ぎから八時近くまで、実に楽しいひと時を過ごすことができた。今日いらしたハポンさんは、私と同じ元大学教授で、話はあちらのハポンさんたちのことより、もっぱらスペインと日本の関係、つまり私が日ごろ考えていたことについて、最初から話が白熱して、せめてもと出したお茶とみかんなどそっちのけで、私の下手なスペイン語でも結構話がかみ合い、あっと言う間の二時間だった。
話の内容について報告したいのだが、今晩はさすがに疲れたので、それは明日ということにしよう。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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