こっつぁかねぇ

一昨日、とうとう「マイナンバー」とかの知らせが届いた。北海道かどこかで宛先不明だか受け取り拒否だかで何万〈何十万?〉通とかが返送されたとのニュースをネットで読んだような記憶があるが、とうとう我が家にも配達されたか、と一種のとまどいを感じた。中には私と美子のための申請用カード二枚、そして申請の仕方などの説明書が数枚入っている。
 正直に言うと、マイナンバーがどういうもので、もしそれを申請するとどういうメリットがあり、申請しないとどういうデメリットがあるかなど、これまで一切調べもしないし考えてもみなかった。だから「とまどい」よりは不意をつかれて「狼狽した」というのが本当のところである。
 結論から言えば、今回は(?)申請しないことにする。説明書もていねいに読み通すことさえしなかった、というよりできなかった。何かしら心中波立つものを感じ、字面を追うことが苦痛に感じられたからだ。自分に関心のないものには柔軟に対応できないという高齢者特有の心理が働いているのかも知れないが、それ以上に人間を数値化・記号化すること自体に対する本能的(?)な嫌悪感からである。
 ばっぱさんが亡くなったあとに何度か味わわされた、人間を数量化あるいは記号化することのおぞましさに対する怒りがその底流にある。つまり市役所などで、一人の市民の死に対してまっとうな人間の反応が一切無かったこと、(「あのー、その佐々木千代は昨年の正月に亡くなったのですが…」あ、そうですか、じゃ書類の方、訂正しておきます)、要するに一人の人間が書類上ただの記号に矮小化されていることへの怒りである。「あゝそれはご愁傷様です」という人間らしい反応が見事に省略されていた。
 もしもマイナンバー化されれば一つの部署への死亡届けが一瞬のうちに他の部署の書類にも反映されるからそうした見過ごしあるいは間違いは無くなる、という返事が戻ってくるかも知れない。しかしそれが怖いのだ。一人の人間の死が一瞬の操作でいとも簡単に処理されること自体が。
 ましてや今や少子化、人口減少が急速に進んでいる時代。だったらなおのこと、一人ひとりの人間に対してもっとていねいで人間らしい対応が必要ではないのか。今度のマイナンバー制の考えも、簡単に言えば行政側の便宜・効率化が優先されているわけで、市民サイドのそれははっきり言って二の次であろう、いや二の次だ、と断定していい。
 今から考えると、いや考えるまでもなく、あの平成の町村大合併など誠に愚かなことであった。何事であれ、日本という国は国民が為政者側の言いなりになり過ぎている。露骨な言い方で恐縮だが、為政者の言うがままに馴致されている、もっとはっきり言えば体よく家畜化されている
 他国の民生状態、いま流行の言葉で言えば民度(馬鹿な政治家や自称愛国者に悪用される実に曖昧模糊とした言葉)、に関してわが国は法治国家だから云々という言い方がよくされる。確かに犯罪件数は少ないし、人々は親切で礼儀正しい人が比較的多いかも知れない。それは認めてもいい。しかし大震災後の身近なところではっきり見えてきたのは、日本という国がますます非人間的になっていることだった。あの当時しきりに言われた「絆(きずな)」という言葉がいかに空疎で内実を伴わない言葉か、事ごとに思い知らされたのである
 大事なもの、大切なことはすべからく手間がかかる。それを面倒がって簡便に済まそうとすると、何かが、いや大切なものそれ自体が、失われていく
 死んだばっぱさんが生きていたら(とは変な言い方だが)、たぶん今回のマイナンバーのことなど、「こっつぁかねぇ」と言下に吐き捨てたかも知れない。標準語に直せば、「くだらない」。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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こっつぁかねぇ への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     美子奥様

     お誕生日おめでとうございます。            2015年12月8日

     相変わらずモノディアロゴスの初期のものを少しずつ味読していました。「2003年1月27日 春の雨」で、先生はこう言われています。

     「こういう益体もない人間世界に、今日も暖かな雨が降る.利殖と憎悪、欲望と猜疑心で火照った頭を、この春の雨(今時の雨をそう呼ばないか)で冷やしてもらいたい。心の底にしとしとと降る雨の音に耳を澄ませるだけでも、平和を願う小さき者たちの声が聞こえてくるはずだ。」

     モノディアロゴスの中で、美子奥様がお生まれになられた年(1943年)の12月18日は、先生のお父様稔様のご命日であることを最近知りました。この年は、今年と同じ未年です。今年は安倍政権が安保法制を国民の大反対を押し切って強行させました。時代の流れの中で不思議な因縁を私は感じます。そして、先生のお父様が言い残された言葉に、なぜか小さき者たちの声を、その代弁者として、私の耳に、いや、私の心に強く、しかも確かに伝わってくるのを感じます。美子奥様のご健康を心からお祈り申し上げます。

     「日本人は、すべてはじめからやり直さなければならない。」

  2. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    私のところにもマイナンバーの通知(不在通知)が来ました。もう10日ほど経っていますが、まだ取りに行っていませんし、行くつもりもないです。なぜか? 「こっつぁかねぇ」からです。
    こんなもの、国民にとっていいことはほとんどありません。
    為政者にはこんな便利なものはないでしょうけど。『1984』のビッグブラザーを連想します。

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