フロスト時間

このくそ忙しい年の瀬、というのは哀れな世間の方で、こちとらはくそがつくほどの暇を持て余している。このところフロスト警部と寝食をともにしているので(?)、言葉遣いがつい下品になっているが、でも下品なのは世間の方なのでしばらくは我慢していただこう。
 下品で思い出したが、ほんの数日前、くそ面白くも無いテレビを見ていたら、どこぞの市会議員のおばはん、頬骨の高いぶんでっかくいかつい顔に口紅塗りたくったおばはん、がテレビカメラに向って自慢げに訴えてるのに出くわした。
 「その〇〇さん(男性議員の名前だが忘れた)がですね、私をうしろからこう抱きしめてですね、ほら(と身振りを交えて)ここまでブラジャーを上げるとですよ。おなかが丸見えになったとですよ」(どこの県か忘れたが、四国か九州?)
 どうやら四、五人の議員さんの飲み会で、うちの一人が何度も絡んできて、嫌がる女性議員の乳をもむなど、いわゆるセクハラ行為に及んだらしい。
 助けてくれーっ! よっぽど酔っ払って見境がなくなったのか、よくもまあそんなおばはんに手を出したこと。それに二月前だかの下卑た内輪話(?)を今ごろ訴訟沙汰にするとは、いったいどういうこと?
 だいいち、そんなスケベが這い寄った瞬間に、嫌だったら横っ面を張り飛ばしたらいいのに、そのセクハラ行為は数度に及んだらしい。そうなるとこのおばはんの真意が分からんとです。議員さん同志のことだから、何か別件で対立して、そんじゃあの時のこと問題にすっぺ(おや今度は東北弁)となったのか。でもよくもまあーこんなくっだらないことを電波にのせること! 
 架空都市デントンに次々と起こる事件もまっことおぞましい限りのくそ事件ばかりだが、実在のニッポン国に起こるもろもろの事象(?)のおぞましさも決してデントンに負けてはいないぞなもし。地方都市のクソ議員のセクハラ事件なんぞ笑い飛ばせるけど、いま政治やマスコミに起こっていることは笑って見過ごすことなんぞできません。フロスト流の表現を使えば、ことごとくクソがつくことばかり。
 政治家もアホぞろいだが、テレビに登場する論客・評論家・芸人たちの質の悪さ。アベを筆頭に顔を見るだにムナクソ悪くなる。狂ってまっせー日本中が。
 『クリスマスのフロスト』、『フロスト日和』、『フロスト気質』と進んで、いま『夜のフロスト』の中ごろ(本当は『気質』の前に書かれた作品)。あと残ってるのは『冬のフロスト』と『夜明けのフロスト』。それぞれ700ページ以上の長編だから一気に読むのではなく、介護・雑事の合間に読んでいるが、実質はまるで警部と一緒のクソ捜査の合間に家事をこなしているような気分。つまりここんところどっぷりフロスト時間の流れの中にいる感じ?
 いつもなら気忙しい年の瀬だが、くそったれ世間に調子を合わせてアクセクするより、この方がよっぽど精神衛生にいいかも。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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フロスト時間 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が「フロスト効果」の中で「毒をもって毒を制す」と言われていますが、今の日本に蔓延っている含羞なき世襲議員やテレビに登場している安倍崇拝の輩を相手に、非力な私たちではとても太刀打ちできません。モノディアロゴスの中で、先生は、「歴史を動かしてきたものは、理屈やイデオロギーではなく気分なのだ」と言われていたことを覚えてます。昨今のマスメディアは安倍批判を極力避け、安倍政権の評価と好影響のみを伝えることに躍起になっているように私は思えてなりません。これでは、国民の安倍政権に対する危機感という漫然とした気分を煽り立てることはできません。国民の大多数がテレビを通じて社会情勢を判断している現状を考えると、マスメディアこそ真実を伝え、国民の目線に立って物事を考えてもらうことが大切で、まさに「毒をもって毒を制す」とはそのことだと私は思います。なぜか、むのたけじさんの言葉を思い出しました。

     「新聞の読者やテレビの視聴者をお客さん扱いしないで、いろんなところにものを言うより一般の民衆をメディアの仲間として、その人々と共に新聞、ニュースを社会に提供するようになれば、今とは変わったものになる。」

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