それでもわたしは…

或る新聞が豆本歌詞集にも触れた記事を出してくれるというので、正直いささかの期待を持っていた。第二面に写真入りで、しかも問い合わせ先のメール・アドレスやURLまでつけて大きく報じてくれたのだが、反応は少なくとも私のところにはこれまで一切届いていない。豆本が欲しいと殺到するかもしれぬ(まさか!)ので、その節は応援頼むと伝えた友人などには「大山鳴動ネズミ一匹」の可能性大だからあまり期待していないが、とは言っていたが、ネズミ一匹さえ出てこないことにかなりがっかりしている。
 だいいち(ほら矛先が変わったぞ!)このブログを訪ねてくださる方からも、数人の友人以外、これまで何の問い合わせもなかったのだから、他は推して知るべしなんだが…
 でも「喝采」のちあきなおみではないが、「それでもわたしは 今日も平和の歌 うたってる」。
 現在632個。その製造技術も少し上達して、縦8センチが今や7センチと、どこかの国の弾道ミサイルよろしく小型化も進んだ。
 反応の無さにがっかりはしているが、しかしだからなお一層、この老躯に鞭打って、当初の目標千冊などみみっちいことを言わないで、生涯作り続けようとさえ、いまは思っている。つまり日本中(世界中はちと無理)を平和菌で埋め尽くしたいわけだ。どこかの反原発集会あるいは安保法制撤廃のデモかなんかで、「おや、あなたの胸ポケットにちょっと覗いているの、それ『平和菌の歌』とちゃう?」「あっ君も持ってるの?」なんて具合に、平和菌感染者同志がデモで出会うなんて場面を夢想しながら…
 ついでに言うが、最近のニュースで少しばかり嬉しいのが一つあった。それは今春卒業する防衛大学生の任官拒否が昨年の二倍になったことである。関係者は、これは民間企業が好調で就職受け入れ先が増えたからだろう、なんて誰にもウソと分るとんまな答え方をしている。もちろんこれは例の安保関連法案成立を受けての賢い卒業生の選択の結果である。NHKでさえ(だからこそ?)任官希望の父兄たちからのコメントは報じるが、任官拒否学生の父兄のコメントは一切報じていない。報じられないのであろう。また国費で四年間勉学した義理もあって、本人たちも明言を避けるであろう。ともかく「考える」若者が少しでも増えたことを諒としたい。

※ところで気になさってる方がいらっしゃるかも知れないので(そんな人いないぞーっ、との野次が聞こえてくる)、もし平和菌拡散に協力していただけるなら、豆本歌詞集無料で喜んで差し上げます。ただ希望者が多いかもしれませんので(それ杞憂ってやつ、ともう一つの野次)、豆本自体は無料ですが郵送用の切手を同封していただければありがたい。1冊なら通常料金の82円切手、10冊なら定形外郵便で250円くらいになります。宛先は
〒975- 福島県南相馬市 佐々木孝 です。 よろしく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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それでもわたしは… への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     モノディアロゴスの中で、先生が「平和菌」という言葉を最初に使われたのは「ペンは剣よりも弱し(2003年2月16日)」だと記憶しています。今から13年前、先生63歳の時です。平和とは、その字の中に含まれている平等と調和が保たれている状態(社会)のことではないでしょうか。この言葉の中に永遠とか普遍というものが内在していると私は感じます。今の安倍政権の目指しているものは、これらとは真逆の社会のことであり、格差が拡大し、強い者だけが生き残れるアメリカ式国家のように思います。人間は誰もが一人では生きられないし、あらゆるものとの繋がりの中で生かされていることに気づくべきです。文章を拝読して、「平和菌」を先生が提唱されてからの長い年月の重みを感じています。この継続こそが平和への道の力であり、その鍵だと私は信じています。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    阿部さん、いつもいつ的確なご指摘痛み入ります。実は自分でもいつから「平和菌」のことを言いだしたのかすっかり忘れていたのです。ぜひ再録というか再掲載させていただきます。

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