今日も一日が終わった。日の経つのが早いこと早いこと!さてそろそろ寝ようかな、と思っていたとき、とつぜん閃いた。そうだ歌詞三部作の二番目「ケセランパサラン」を「カルペ・ディエム!」に改題しよう、っと。お気づきの方がいるかも知れないが、あの歌詞は震災の年の7月2日、夜の森公園で実際に体験し、目撃した情景を歌ったものである。その日のタイトルは「カルペ・デイエム!」(この日を楽しめ!)。ホラチウスの有名な言葉である。
「ケセランパサラン」はリフレインで使われてはいるが、内容はむしろ「カルペ・ディエム」がふさわしい。例の豆本、とうとう800の大台に乗ったが、明日から作るものは改題しよう。ちなみに7月2日の項は、前半を省略すると以下のようになっていた。
「…三時過ぎ、このところサボっていた散歩のため、夜ノ森公園に出かける。ゆっくり坂道を上がっていくと、さすがに汗ばむ暑さだが、頂上(?)はそれでもいくぶんか涼しい。いつもの石のベンチで休む。中央の壇上にあった1メートル弱の銅製の姉と弟(あるいは兄と妹だったか?)の像は修繕のためか持ち去られられたままなのが、なんとも淋しい。ロータリーのはるか向こう側に老人二人が椅子に座り、その前に幼女を連れた二人の女性がなにやら楽しそうに話している。こちらからは見えないが、老人たちの側には犬がいるらしい。
久し振りに聞く幼女の笑い声。美子の顔にも心なしか笑みが浮かぶ。するとその二人の主婦と女の子がロータリーを回って近づいてくる。すぐ右手の坂道を下るためである。ところが孫の愛よりも少し幼いその子が、笑顔で踊るように、手でしなをつくりながら近くに来たかと思うと、バレーの踊り子のように回転した。私たち夫婦のために踊って見せたらしい。上手ねー、と声をかけると、顔をこちらに向けたまま、体を折って踊りのポーズを決めた。次の瞬間、ピンクの可愛らしい服がくるりと向きを変えると、お母さんとその友だちらしい女たちの後を追って去っていく。
そうだよ、放射線など気にしないで、思い切り遊んでおくれ。あなたのお母さんたちは、たぶん覚悟を決めたんだろう。放射線から遠く逃げることができないんなら、もうそんなこと気にしないで、この時を、この季節を、この微風を、この瞬間を楽しもう、と。カルペ・ディエムというローマの詩人ホラチウスの言葉を久し振りに思い出した。そうだよ、この日を、この時を、この刹那を楽しめ!明日は明日の風が吹く。この間のことも辛い日々だったけれど、この先だって分からない。なら、先のことをくよくよ思い煩うよりも、この流れゆく一瞬一瞬を精一杯楽しもう! 刹那主義? そう言いたきゃそう言ってもいいよ、でもこの一瞬の中に永遠があるとしたら?
幼い肉声が坂道を降りていく。急に視界がぼやけ、鼻筋が熱くなった。あの幼女はいつか思い出すだろうか、曇り空の公園のベンチに坐って自分の踊りを見てくれたあの老夫婦を。すべての思い煩いから解き放たれて、一瞬の中に永遠をかいま見たあの老夫婦のことを。あれは大震災のあった年の夏の初め、公園を囲む土手に、むらさき、薄むらさき、そして薄いピンクの紫陽花が咲いていたあの午後の公園のことを。」