地方分教の提唱

気が付いてみたら今月は今日のを入れてまだ五つしか書いてない。そのうちの一つは「お知らせ」だから実質四つか。でもご心配めさるな〈誰も心配などしてないっつーの〉、体調崩しているわけでも(ちょっと疲れてはいるが〉気が滅入っているわけでもない。これでも次々と雑用をこなしながら元気にはしている。そうそう、その間ずっと豆本歌詞集は作り続けてきた。800台の中頃に差し掛かっている。
 でも宛先を明記し、ご所望とあらば無料で差し上げます、という呼びかけに応じてくださったのはわずか数人。あとは無反応のまま電磁空間の闇の中で沈黙を守っている。まっそんなもんだろ。ネット世界は伝播も早いが、具体的な反応へ即座に繋がるわけではない。「あゝ何か書いてるな。ふむふむ。そうだね」で終わってしまう。
 まあ愚痴は言うまい。こちとらはそんな無情の風なんぞに負けてられません。千冊を一応満願成就の目安としてきたが、こうなれば意地、体力が続くかぎり死ぬまで作り続けるつもり。幸い材料費はたいしてかからないし、布切れがなくなれば吾輩の古着でも引き千切って表紙に充てよう。
 しかし作るだけではなく適宜散布しなければならない。郵送の方は一段落したので、今度は来客がある時に適時差し上げることにする。先日も遠路はるばる訪ねてくださったH新聞のH記者に10冊ほど持っていってもらった。
 さて本稿の主題はこれからである。そのH記者から今日あたりかかってくる電話への返答内容がそれである。つまり最近難聴気味で電話ではトンチンカンな答えになるし、バカな不動産などからの電話に辟易して留守電に常時セットしているので、電話インタビューにうまく答えられないから、この場を借りるわけだ。これを情報発信の一元化(?)と称する。
 インタビューの内容は承知している。先日いらしたときに渡された一冊の本についての感想である。本とは文部省著・西田亮介編『民主主義』(幻冬舎新書2016年)である。つまり1948年から1953年まで中学・高校の教科書として、尾高朝雄が中心になって作った本のエッセンス復刻版。
 文字通り読み飛ばしての感想だが、教科書として使われたとあるが、1953年は私の中学2年か3年に当たるが、正直そんな教科書を使った記憶は全く残っていない。もっともその頃は、成績は試験の結果が反映するものという冷厳な事実にようやく気付くという超奥手の子供だったから実際は使ったのかも知れないが。
 それはともかく、読後の最初の印象は、ここに書かれていることはいまでは普通の中学生でも知っているだろうということ。ということはだれでも頭では知ってはいても、さて現実の社会は、そして政治は、その本で諄々と説かれている民主主義から大きく逸脱しているという悲しい現実である。簡単に言えば民主主義なり、その最高法規ともいうべき憲法の精神が日本人の中に血肉化されていないということ。だから日本憲政史上最低とも言うべき現在の為政者たちの正体が見抜けないでいる。
 なぜこうなったか、については、今回の原発事故以降、私自身が考え続けてきたことに繋がる。つまり民主主義を血肉化するための最重要な二つのことが一切顧みられてこなかったことに尽きる、と。一つは時間軸にかかわることで、おのれの来し方・歴史認識の欠落。もう一つは、空間軸にかかわることで、おのれの生きる風土(オルテガの言うように、私の半分を作る環境)に対する認識の欠如、つまり真の意味での郷土愛の欠如
 要するに上の二つは深くアイデンティティにかかわるものであり、したがって現代の日本人は自己同一性を亡失したまま漂流しているという悲しい現実である。
 先日お話ししたように、現代日本の嘆かわしい現実からいかにして抜け出せるか、と考えるとき、真っ先に思い浮かぶのは現今の劣化した学校教育の改革である。歴史教育に絞って言うと、日本近代史、とりわけ過誤の歴史をしっかりと教えること、受験用のデータの丸暗記ではなく、祖父母たちの犯した過ちを隠さずに教えること、そして親たちの戦後史の実体を身近なものとして伝えること
 わたし自身の経験から言うと、小学生時代、帯広の小学校で習った十勝開拓史、依田勉三のことなど今でも覚えている。たとえば当地では相馬の歴史などきちんと教えられているのだろうか。
 与えられた宿題を大きく逸脱したかも知れませんが、最後にいまの問題に関連して一つ申し上げたいのは、真の民主主義を血肉化させるためには、地方分権というときに従来全くと言っていいほど触れられなかった最重要の問題、つまり自家製新語を敢えて使わせてもらえば、地方分教、つまり地方独自の教育の実践である。日本全体、まるで金太郎飴製造機みたいに一律の教科内容を教え込んで何の個性化か? 互いの個性を尊重し理解するために貴重な素材や機会をこそぎ落とした教育などやめてもらいたい。そのためには文科省の解体同様の全面的改革が必須だが、その覚悟がないのに民主教育の普及など、フロスト警部の言い草を借りると「屁のつっぱり」にもなるまい。
 今日は盛り沢山の内容になってしまったが、ついでにちょっと嬉しい予告。今度の日曜(5月1日)の朝日新聞日曜版(グローブ)に美子の婚約時代の写真が載るかも知れません(ひと月遅れのエプリル・フールでなければよろしいのですが)。お近くにあったら是非ご覧ください。認知症でなかったら、どれほど美子が喜んだろう、と考えると少々複雑な気持ちですが。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください