豆本歌詞集もとうとう900の大台に乗った。よくもまあ飽きもせず続けてきたことよ、と我ながら感心している。手渡したり郵送したりしたもの655冊、手元に261冊。もちろん記入漏れや忘れたものなどを入れると、もっと作ったはずだが、とりあえず1000冊目指して頑張っている。
先日、いろいろ宣伝したのにここの読者さんはほとんど無反応、と書いたので同情してくださったのか、先日或る人が100冊送って欲しいと連絡してきた。すわ大口の注文、と最初は喜んだが、大げさに言えばわが子を手放すようで、一度に百冊とは、と急に惜しくなった。いやその人がしっかり相手を選んで「無駄打ち」などしないとは分かっていても、100冊作るための手間暇(費用はほとんどかからないが)を考えると躊躇せざるを得なかったわけだ。結局、散布した時の反応を見ながら後から追加するにしても、最初は20冊でご勘弁願いたいと言い訳しながら郵送した。
つまり渡す相手が、まずは喜んで大事にしてくれる方、そして願わくは平和菌の宿主(これは上出氏の言葉)になってくれる方に渡してほしいのだ。となると、どんなに顔の広い人でも一度に100人はちと多すぎる。
思わず豆本歌詞集の話になってしまったが、実は今日はぜひご紹介したい方について書こうと思っていた。正確に言うと一人と一組のお友だちである。まずはお一人の方から。
★杉山武子さん
知り合ったのは10年ほど前、彼女のブログ『杉山武子の文学夢街道』で菊竹山の百姓ばっぱさん作家・吉野せいについての論考を目にしてお近づきを願ったのではなかろうか(なにせ最近はとみに記憶力が衰えていてはっきりしない)。さらに島尾敏雄がかつて所属した福岡の同人誌『こをろ』について優れた批評をブログに連載されていることも知った。そしてこれらは二つとものちに以下のような単行本として出版された。
・『土着と反逆 ~吉野せいの文学について~』(出版企画あさんてさーな、2011年)※
*「アサンテ サーナ」とはスワヒリ語で「どうもありがとう」という意味らしいが、地元鹿児島でユニークな出版活動をしているようだ)
・『矢山哲治と「こをろ」の時代』(績文堂出版、2010年)
しかしこれらは世間的に見ればマイナーな作家たちについての論考だが、彼女の名が広く知られるようになったのは一連の樋口一葉論ではなかろうか。これも単行本として結実している。
・『一葉 樋口夏子の肖像』(績文堂出版、 2006年)
前述したような経過をたどって彼女との交流が始まり、相互にリンクを張るようになった。と言っても時おり相手のブログを覗いてみるだけの付き合いが長らく続いた。
ところが今回は少し違った。「再会」のきっかけは今度の熊本地震のあと、鹿児島在住の杉山さんのことがふと思い出され、豆本歌詞集を贈りがてら、その安否を尋ねたことがきっかけとなった(3.11の直後、杉山さんから見舞のメールが届いたことも思い出した)。鹿児島は無事だったそうだが、彼女からお返しに送られてきた『土着と反逆』を拝見して、杉山さんの東北に対する実にありがたい、そして真摯な思いに改めて感動したのである。下手な紹介より、杉山さんご自身の言葉をそのまま引用した方がよさそうだ。
福島に寄せる思い(跋)
今年三月十一日に発生した東日本大震災は、未曾有の災害に加え、原発事故という科学技術への信頼を根底から覆す大打撃を人間社会に及ぼしました。いまや東日本大震災の「震災後」は、「戦後」にとって代わる言葉として歴史の転換点になりつつあります。
人々の生活とその土地の記憶までも根こそぎ奪い去った大津波。いかに自然災害とはいえ理不尽なまでの現実を、被災地の皆さまはどんな思いで受け止め生きておられることでしょうか。私の住む鹿児島から東北は遥か遠く、いかに思いを馳せても何かしたくても、義捐金を差し出すことくらいしかできない自分に歯痒い思いをしてきました。
そんななか連日ニュースで福島、いわき市、小名浜、伊達市などの地名を耳にするうち、奇妙な懐かしさが甦ってきました。生まれも育ちも九州の私にとって、地縁や血縁はおろか行ったことすらなかった東北。その一角、福島に生まれた吉野せいと詩人たちに魂をわしづかみにされて以来、憑かれたように彼らを書き続けたことを思い出したのです。東北四部作と自分で呼んでいたそれらの作品は、一九八四年から九四年にかけて、日本農民文学会の季刊誌『農民文学』に発表しました。
いま私が東北、とりわけ福島の皆さまに直接できることがあるとすれば、この四作を一冊にまとめ出版することかもしれない。そう思い立ったのは六月中旬のことでした。
《中略》
最初、吉野せいについて書いたことから猪狩満直を知り、三野混沌に行きつきました。渋谷黎子は新聞記事がきっかけでした。彼らを知れば知るほどその魅力に引き込まれ、追及するうち、彼らの人間像を書きたいと思うようになりました。さらに必ず書きあげようという決心に進み、その自分との約束だけが原稿用紙に向かう私を鼓舞しつづけたのです。
未熟な作品ばかりですが、ここに登場する厳しい時代を生き抜いた人々の生涯を通して、少しでも東北・福島の皆さまに応援の気持を届けられたらと願わずにはいられません。《以下略》
少々長すぎる引用になってしまったが、杉山さんの熱情が少しでもわが同郷の人たちに伝われば、と思ってのことである。
さらに杉山さんはこの思いを直接表したいと、福島県の公共図書館や学校に200冊寄贈されたようで、一東北人として誠にありがたく心から感謝申し上げたい。余談だが、杉山さんは今回、上記ブログに私の紹介と「平和菌の歌」そして「原発難民行進曲」全文を掲載されている。ぜひ訪ねてみてください。
次にご紹介するのは、中村力哉さんと「あわいびと」です。
★中村力哉さんと「あわいびと」
実は中村さんと「あわいびと」には、皆さんすでに映像と音によって出会われている。このブログ上方にある「相馬の自然と民謡」で土田ヒロミさんの写真の背後で美しい「相馬二遍返し」組曲を演奏しているのがピアニストの中村さん、そしてのちに彼と民謡ユニット「あわいびと」を作る美鵬成る駒(うた・和太鼓)さんと佐藤錦水(尺八・篠笛)さんだからだ。ちなみに美鵬成る駒さんと佐藤さんはご夫婦である。
俗にいうジャズ化とは違って、原曲の味わいを少しも損なうことなく、しかも原曲にはない新しい音の世界を開示している。それについて私自身こう書いたことがある。
“どんな西洋音楽にも無いような深い悲しみがひしひしと伝わってくるのはどうしてなのか。たぶんそれは、その土地土地に伝わる旋律が、魂の奥底から発せられるものであればあるほど、陽が一瞬のうちに陰に転じるからかも知れない。”(「汚れちまった悲しみに…」)
中村さんはこの素人の批評を温かく受け入れ、ご自分のブログで紹介してくださっている。
実はいつもの通り、中村さんのブログ(Rikiya Life is Now/ピアニスト・中村力哉のブログ)にどのようにして行きついたか記憶にない。ともかくそこに書かれたいくつかの文章群を読んでいくうち、この人は音楽的な才能があるだけでなく、言葉についても優れた感性の持ち主だということが分かった。たとえば「OFFの日記」にある「お父さん日記」は、幼い息子さんの言葉の成長記録だが、言葉について実に豊かな感受性が感じられる好エッセイとなっている。
ともかく、先の「相馬二遍返し」のことだが、いわゆるジャズ化(?)という言葉に感じられる独りよがりのアレンジではなく、実に節度ある、しかも包容力のある編曲の姿勢について、中村さんご自身が書かれているものを全文紹介したい。
アレンジメントについて-―伝承と創出のあわいに
メロディとハーモニーとリズムを以て音楽の三要素とする捉え方があります。
それは音楽における無数にあるであろう世界観の中のひとつに過ぎませんが、今日広く共有されているそのモノサシを当てるならば、日本の民謡はハーモニー(和声)という概念を持たない音楽であると言えます。
日本の民謡をピアノ(に象徴される和声音楽)の新たな響きに包むこと。そこに音楽的な趣意を置いて「ひと粒のちからプロジェクト」は始まりました。●「ピアノで織りなす」の意味について
YouTubeに公開しました「ピアノで織りなす東北民謡」シリーズにおいて「ピアノ」という言葉は、つまり必ずしもピアノという楽器のことではなく、また、必ずしもピアノの音色のことでもなく、「近代西洋音楽に生まれた12平均律による和声」の代名詞として使っています。ピアノという楽器に限定されない、また「西洋音楽」にも限定されない広い意味での和声音楽のモノサシが、日本の民謡を豊かに広げてゆく可能性(の中の一つ)を求めて、その趣旨を「ピアノで織りなす」という言葉に込めました。
●「その唄本来の姿を変えない」ということについて
一方、新たなものを加えることによって失われるものもある。そして、その失われるものこそがそれにとって本当に大切なものであるかもしれない。
民謡に和声を加えることには、だから、常に大きな畏れがあります。
その畏れを心に留めながら、私たちは民謡への和声付けの際に、その唄本来の姿を大切にしたいと考えています。
土地に根差して受け継がれてきた唄のかたちを、西洋音楽的な事情で変えてしまわない。音楽から和声を取り外せば、その唄の古来の姿が立ち現れるように。
願うのは、その上でその唄が新たに豊かに広がってゆくこと。
いつでも唄の原形を取り出せるかたちで、「日本各地の民のうた」と「ピアノに象徴される和声音楽の美」との両立を図りたい。
そして両立したその「二つの世界のあわい(間)」に様々な交流が生まれたら。
そう願っています。
中村さんたちのご紹介も、私の下手な解説より中村さんご自身の言葉で紹介した方がいいと判断した理由は以上の引用文で十分のお分かりいただけたと思う。そして「あわいびと」のその「あわい」についての深い思索が見事に表現されていることも。
願わくはいつか、それもそう遠くない日に、中村さんそして「あわいびと」のみなさんの生の演奏がわが「相馬二遍返し」の本場で聞ける日が来ることを願っています。なお「あわいびと」の東北民謡8曲を収録したCD「ひと粒のちから」が配給元アオラ・コーポレーション(Tel.03-5336-6957)から市販されています。(※いまアマゾンで検索したら万田酵素の同名の薬?のあとに出ていました♪♫)
以上、本来は別個にご紹介すべきところ、まとめてご紹介したのは、もちろん私自身の都合でもあったが、しかしこうして二組の創造者たちが同じスペースで隣り合わせになること自体、新しい交流の始まりになるのでは、との隠れた意図もありました。そうあれかし、と願ってます。
モノディアロゴスの中で、「記憶」というものが人間が生きていくうえで非常に大切な意味がある、と先生が繰り返し言われていたことを杉山さんの文章を拝読して思い出しました。
「人々の生活とその土地の記憶までも根こそぎ奪い去った大津波。」
中村さんが民謡にはない和声(ハーモニー)をピアノを通じて創作された「フクシマの唄」を改めて聴いていて、一見孤立しているように見える四季折々の風景が一体となった映像として見えるように私は感じました。和声することで人間の情緒に訴えかける力を引き出す効果があるのかも知れません。数学者の岡潔がこんなことを言っています。
「日本人は自然や人の世の情緒の中に住んでいる。そしてそこで時々喜怒哀楽し、意欲するし、理性するだけですね。住んでいるのはむしろ、人や自然の世と云いますが、自然や人の世の情緒の中に住んでいるのでしょう。」
「記憶」というのは、人間の中にある情緒から生まれるもののように私は感じます。ふと、先生の言葉を思い出しました。
「死者たちも私たちが[思う]そのとき、初めて私たちの中に[生きる]のに。」
中村力哉さん
長いこと合唱とオーケストラで音楽に親しんできました私が「相馬の自然と民謡」を聴くたびに感じる、”たまらない平和な心持ち”の、それがもたらされる音楽的な背景がよくわかる説明をいただきました。嬉しくなると同時に、自分が西洋音楽にアプローチする際には、阿部さんがご紹介くださっている岡潔の言う’自然や人の世の情緒’では距離があるわけですから、西洋の異文化を同じ人間として接近して、彼らの情緒に思いを馳せるということなのだなあ、と思います。これはこれで、楽しいのですが・・・
守口毅様
岡潔の言う情緒は、おそらく日本人特有のもののことを指して言っていると私は解釈しています。人間には知性や理性と徳性というものがありますが、ものを統一的、含蓄的に捉えるのは徳性の部分から生じているんだと私は思います。つまり、ものと一体となって、例えば西洋人では山を征服すると言いますが、日本人は山に参ずる言いますが、この一体となるということが情緒であり、それは徳性なんだと思います。一歩踏み込んで言えば、人間のエゴからは情緒は生まれることはなく、利他的な発想の中に情緒が生まれるように私は感じます。ですから、先生の言われる記憶も、理性(エゴ)からではなく心から湧き出て来るもの。そう私は考えました。
阿部修義様
徳性というのはなかなか分かりにくい言葉ですが、山に例えてご説明くださり、ありがとうございます。たまたまですが、今月末からチベットの聖カイラス山巡礼の旅に参加しようと思っておりまして、”山と一体になる”感覚、利他的な発想から生まれる情緒ということを考えるいい機会ななるのでは、と思っております。