再読の勧め

ばっかじゃなかろうか、と笑われてもいい、このところ机の下に置いた本を、まるで隠したお菓子を時折りつまみ食いするようにして読み、感心したり、クスクス笑ったり、時には感動のあまりうっすら涙を浮かべたりしている。その本とは現在は十二巻まできたその第一巻にあたる富士貞房『モノディアロゴス』(行路社、2004年)である。
 二回か三回分を読んで、また机の下にしまい、雑事に疲れたり意気消沈したときなど取り出しては読み、そのたびに慰められたり元気づけられたりしている。これじゃエゴラトリーア(自画自賛)、ナルシストを地で行くようなものかも知れないが、事実、自分の書いたものに励まされたり勇気をもらったりしているのだ。
 当初はきっちり千字以内に書いていたので、本では一回分がちょうど1ページに収まるようになっており、それもつまみ読みに適しているのかも知れない。書かれた期間は定年前に職を辞して、家内と病犬一匹、野良上がりの猫4匹(そのうち2匹は到着後しばらくして行方不明)を連れて、それまで一人暮らしをしていたばっぱさんの家に転がり込んだ2002年の、7月8日からきっちり1年目の翌2003年7月7日までのものである。
 自分で読んで面白いが、他人が読んだらどう感じるのか。いま記録を調べてみると、身内に37冊、友人や先輩などに178冊進呈したことになっている。ずいぶん大盤振る舞いをしたものだ。記憶に間違いがなければ印税代わりに出版社からもらったり、アマゾンで購入したりしてその数になったのだろう。一度は差し上げたもの、読もうが読むまいがその人の勝手だが、今回の私自身の経験から言わせてもらえれば(?)、どうかお暇のときにでも是非一度取り出して読み直していただければ、と密かに願っている。本音を言えば、もし死蔵されているなら買い取り(半額で?)、読んでくれそうな人に進呈したいのだ。
 それはともかく、今回読み直しながら気づいたのは、人の一生は決して直線上を進むのではなく、ちょうど四季が毎年繰り返されるように、螺旋状に積み重なっていくということ、つまり今の私を形作っているものは、すでにこれまで何度も経験したり考えたりしてきたものが大半だということである。ということは、現在を充実させるためには、これらの積み重ねを再認識したり確認したりする必要があるということだ。人間にとってそうであるように、本当は国にとってもそうであるはずだ。日本は明治維新以降、すべて過去の蓄積をかなぐり捨ててここまで突っ走ってきた。で、どこに行くつもり?
 最終コーナーを走って(歩いて)いるという自覚があるせいか、いままで粗末にしてきたもの、放り出したままのものなど、ここらでもう一度確認し、あるものはできれば修復したいという気持ちが強くなってきた。それは私ひとりだけのことではなく、だれにでも当てはまることかも知れない。そんなこと余計なお節介だ、他人ごとに容喙するな、と言われれば返す言葉もないが、私ももうすぐで喜寿を迎える。自分より若い人たちに少しぐらい先輩風を吹かしても許される歳になったのでは、と自分では思っている。
 先ほどの人生螺旋形の話に戻るが、このところモノディアロゴスだけでなく、スペイン語版のために選んた初期創作の『ピカレスク自叙伝』(そのころ多大の影響を受けていた島尾敏雄の『アスケーティッシュ自叙伝』に触発されて書き出した短編であることを再確認)なども読み直している。内容は旧満州の僻地・熱河省灤平での幼年時代だが、そこでもまるで蒙古斑のように後の私の癖やら人生観(?)がくっきり見えている。いや君、それは成人してからの君が過去を振り返って、つまり今の自分から類推しての後付けだよ、と言われるかも知れない。そうかも。でも三つ子の魂は百まで、という俚諺を最近聞かなくなったが、それが永遠の真理であることは間違いあるまい。

「……で、結局は何を言いたいわけ?」
「おや久しぶりだね君との対話。そっすねー、私はこうしてネットで発信してるけど、どうしてもアナログ人間だから、しっかり読み、理解するには活字本で読まなきゃ。前述の『モノディアロゴス』、ようやく四分の三のところに来たけど、これからも楽しみながら読んでいくつもり。そしてできればもっと多くの人にも読んでもらいたい。このあいだ立野さんが一冊手に入れたそうだから、まだ売っているかも。私は先日、アマゾンから古本を2冊取り寄せた」
「だってその『モノディアロゴス』、隣の「富士貞房と猫たちの部屋」の「富士貞房作品集」にちゃんと収録されてるよ」
「そう2002年、2003年のところをクリックすれば読めるんだけど、実は長い間それぞれの項目箇所の三分の二しか画面に出てこないと思ってあまり見なかった。でもそれは拡大率が150%になっていたからで、拡大率を100%にすれば全部読めるんだね」
「機械音痴もそこまで行けばご立派。ぜひ皆さんにも読んでもらおうよ。一編一編は独立してるんだけど、通して読めばまるで小説のようにも読めるよ」
「自画自賛やら自己宣伝やら。今日はちょっと恥ずかしいこと書いちゃったね」
「今更恥ずかしがっても遅いよ。宣伝ついでに、この間話した平沼孝之さんの批評文の一部を紹介してお開きとしようか」

…〈fujitivo〉と自らを定位した話者が、佐々木孝という戸籍名をもつ生活者の自我を対自化して、生活上の出来事を内なる自己の記述者を通過させ、「出来事」として提示する一つの文学なのである。
 この日常的出来事の「出来事」が読者に共振を引き起こし、現実の生活者の自我を内なる自己から問い直し、人間的意志のことばを発見させるプロセスへと導くのだと思う。これは読者を感動させるというより、静かに覚醒させる。生活環境のしがらみのなかで生きるわれわれの自我が人間に立ち返ろうとすれば、「私は私と私の環境である。もしこの環境を救わないなら、私をも救えない」と見極めたオルテガの覚悟に立たねばならない。これが富士貞房さんの自己と自己の環境に対面する仕方であり、それこそ「モノディアロゴス」がまさにそれと示すところのものだ。多くの見ず知らずの読者が、まがいものの言説が無数に氾濫するインターネット上で、このブログを探し当て、いつしか貞房ファンになり、持続的読者でありつづけている事実は、この世にあって救いはこのようにしか到来しないと共感する友人たちが少なくないことを告げている……

「ウァオ!、ずいぶんと難しいこと言ってますなあ。でもこれって結局はさっき貞房さんが舌足らずに言ってたことと重なってるんだろ?」
「そうだと思うよ」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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再読の勧め への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     今日で『モノディアロゴス』を先生が執筆されてから丁度14年ということもあって、机上においてある第一巻を捲っていました。棒線やら書き込みやらがどのページにもあって自分なりにこの本と格闘(大袈裟ですが)しているし、これからも読み込んでいく本なんどろうなと漠然と思ったりしています。先生は帯広でお生まれになられ、満州、相馬、東京、広島、静岡を渡り歩まれ、今は南相馬市で息子さんご家族と一緒に美子奥様の介護をされています。幅広い話題を先生独自の視点から執筆されたこの本をとても一言では言えませんが、今読み返してみても新鮮な内容で、今の日本社会の問題は14年前からあったんだとはっとさせられることも多々あります。そういう先見性は、おそらく先生が常に物事の根源を見据えて考えられていること、先生ご自身が言われているように、大より小を、晴れがましさより日の当たらないところを温かな眼差しで理解しようと努められている生き方の姿勢から生まれるのではないかと私は思います。14年前に書かれたものとここ二、三年前に書かれたものとに、所々密接な繋がりを文章の中で発見するのは私だけではないはずです。それは先生の文章が常に変わることのない一貫性のある信念の上で執筆されている確固とした証とも言えると思います。明日から15年目に突入されるモノディアロゴスは、その年輪とともに本を超えた一個の人格を備えた人生の道標として飛翔されることを読者の一人として切望しています。そして、この継続があってこそ、私もモノディアロゴスと出会え、また新たな読者へと広がっていくことに無限の希望を感じます。

  2. 佐々木あずさ のコメント:

    呑空庵十勝支部へ献呈いただいた著作集を拝読真っ最中です。ばっぱ様との対話では、なんともいえないユーモアと激しい情動(笑)に、腹の底から笑いが吹きあがり、美子夫人への深い情愛に根ざしたしぐさやふるまいに、鼻の奥がツーンとなり、ご友人との温もりあふれる語らいに、心がほんわかし、先生の思索に出合ったときはまるで先生と対話をするかのように、前頭葉がフル回転。ちょうど、今は2010年の秋を読んでいます。時折、「あ、あと半年であの原発事故が…」という思いが浮かび上がり、ついつい「先生、先生やばっぱ様があれだけ存在を否定していた原発が…」と一人つぶやいてしまいました。なぜか、2010年秋のページから読み進めることができず、今日一日が終わってしまいました。ごめんなさい。

    著作集には、イザベラ・バードやダニエル・ベリガンのほか、進藤先生など興味ある方々が登場し、私の知性の窓も少しばかり広がりをもってきたような気がします。いろいろな考えや人生に触れることをとおして、自分の今を振り返りたいという気持ちが沸き上がりつつあります。

    8月6日には「呑空庵十勝支部」として、著作集の紹介・貸し出し、平和菌の拡散に踏み出すことにしました。先生が「おつうのように、一枚一枚おり続けた」著作集は、今を悩む人々にとって、元気を蓄える原動力になると確信しております。はげ庵ドクターが大好きだったというばっぱ様が、まだ、この世に存在するならと思うのはせんないことです。でも、先生のご本の中に、ばっぱ様がしっかり生きていることに感謝しつつ、準備に勤しみます。

    先生、どうぞご自愛のうえ、モノ・ディア・ロゴスしてくださいね。私は、先生のごホント対話します。

    佐々木あずさ拝

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