顧みる=省みる

相変わらず暇を見つけては豆本歌詞集を作ったり(今日現在、撒布済み911冊、手持ち254冊)昔のモノディアロゴスを読み続けたりしている。先日も書いたように、つまみ食いならぬつまみ読みだから、いまようやく『Ⅲ』の真ん中ごろである。読んでいくと忘れていた過去が蘇るばかりでなく、いろんな発見もある。いや発見というより、いま初めてその十全の意味が明らかになる、と言った方がいいだろう。
 2008年2月23日の項の冒頭にこんな記述があり、びっくりした。

「昨夜は風呂に入って日頃の疲れが出たのか、確か三時にセットした目覚ましにまったく気づかず、ふと目が覚めたときは五時近くだった。頼みの綱ならぬ紐もいつのまにか外れていて、今月一回も無かった厄介ごとにまた巻き込まれてしまった。浴槽の湯がまだ温かかったのが不幸中の幸い。」

 びっくりしたというのは、これだけ読むと、浴槽の中で目が覚めたのかと思ったからである。アブナイ!もう少しで溺死するところだった? でも翌日の記述を見て、紐とは夜寝る前に美子の手首と私の手首を結んでいたもので、つまり目覚めたのは寝床の中だということが分かってほっとした。そういえばあのころから歩けなくなるまで、二人の手首を紐で結んでいた。そうしないと、夜中に美子が一人起きだし、便所に行こうとして階段を踏み外したり、体や下着を汚したりするからである。文中「厄介ごと」というのは後者を指しており、その後始末に浴槽の湯を使ったわけだ。翌日の記述ではこうなっている。

「…昨夜の失敗に懲りて、かんたんに外れないためにはどうすればいいかを思案しているとき、ふと玩具の手錠のことを思いついたからである。しかし玩具とはいえ、それはあまりにも剣呑というもの、結局は古いバッグの革紐を利用して、時計のバンド状のものを作り、それに念のため百円ショップで買った極小の錠前をつけた。」

 これを読み返すまでそんな仕掛けを作っていたことをすっかり忘れていた。あのころは夜中に二度ほど便所に連れて行かなければならなかったので、いまよりもっと介護が大変だったわけだ。いまではベッドの中で微動だにしないから、介護はむしろ楽になったが、でも自由に動けたあのころの美子が懐かしい。
 その前年(2007年)の5月、その頃新設された近くのグループホームにばっぱさんを預けたのだが、原発事故がなかったら十和田で死ぬこともなかったのに、と今でも時おり思い返して可哀想になる。預けるに際しては、「ここを離れと思ってくれ、美子と私は必ず毎日訪ねてくるから」と言ったが、これは原発事故の日まで4年間、一日も欠かさず実行した。施設に預けたのは美子を介護しながらばっぱさんの面倒を見るのがむつかしくなったからだが、元気印のばっぱさんからは美子の認知症についてあまり理解が得られなかったことが引き金の一つになったことは否定できない。しかし今回読み直してみて、そのことをばっぱさんが反省していたことを改めて知り、少し気が楽になった。2008年の5月1日の項にこんなことが書かれてあったのだ。

「(ばっぱさんは)ちょうど昼寝から覚めたときだったが、最近夢の中に必ずじいちゃんばあちゃん(つまり彼女の両親)が出てきて、たいそう幸福な気持ちになると言う。同時に四年(本当は五年)近く美子と同居しながら認知症に気づかなかった、いや気づこうとしなかったことを反省している、などと殊勝なことを言うようになった。気づくのが遅すぎたなどとはけっして思わない。分かってもらってありがたい、そう素直に感謝する。」

 こんな大事なことを今頃思い出すなんて愚かな話だが、しかし人間の記憶なんてそんなもんだろう。しょっちゅう誤解や早とちりをしながら生きている。だから時おり、こうして過去を振り返ってみることが大事なのだ。それは単なる懐古趣味ではなく、まさに現在をさらに深く生きるためである。と強引に意味づけしながら、私の遡及の旅はさらに続く。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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顧みる=省みる への3件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    先生より献呈のあった著作集を拝読する日々。ちょうど、2012年を追いかけるようにして読んでいます。ばっぱさんの、上記の言葉も心に残っています。ばっぱさんの、豪快で、情熱的な言動についつい引き込まれてしまう私です。ばっぱ先生に育てられた芽室の子どもたちとどこかで再会できるような気もします。人として、人生の大先輩として、お会いしたかったなぁとつくづく思います。

  2. 立野正裕 のコメント:

    ひっそりと佐々木先生のモノディアロゴスをお訪ねして、少し以前にお書きのブログにさかのぼって再読していますと、一回目のときも確かに読んだはずの言葉が、再読のときににわかにクロースアップされてくることがあります。
    このブログでも最後に、「時おり、こうして過去を振り返ってみることが大事なのだ。それは単なる懐古趣味ではなく、まさに現在をさらに深く生きるためである。と強引に意味づけしながら、私の遡及の旅はさらに続く」とあります。
    前回はこの最後のくだりへ差し掛かる前の夫人やご母堂様のことが書かれたほうに、当然ながらわたしの注意も意識も集中していたのでした。それが、今回読み直して、わたしの脳裡に新たに浮かび上がってきた言葉がありました。何十年も前に読んだケレーニイとユングの共著になる『神話学入門』の序説のなかの言葉です。
    「古代人は何事かをなす前に、とどめの一撃を加えるために退いて身構える闘牛士のように、一歩うしろに退く。古代人は過去に一つの範型を求めて、釣鐘型潜水器にもぐり込むようにこの範型の中にもぐり込み、そうすることによって保護されると同時に、姿を変えて現在の問題に入り込む。」
    この序説はケレーニイによるものですが、この言葉にわたしは傍線を引いていたので覚えてはおりました。ケレーニイは尊敬するトーマス・マンの『フロイトと未来』に言及し、マンが引用している言葉を再引用しているのです。そしてこの言葉は、もともとオルテガの言葉であることも註に出ておりますから、そのこともわたしの記憶にあったことは確かです。
    しかし、佐々木先生のこのブログを再訪してみるまでは、わたしの記憶の扉がすぐにひらかなかったことも事実でした。
    われわれが過去を振り返ってみることが大事なのは、たんなる懐古趣味のためではない、まさに現在をさらに深く生きるためなのだ、という言葉は、むろんそれだけでも傾聴に値します。とはいえ、ウナムーノとともにオルテガの思想をも血とし肉とされている人の言葉としてそれが受け取られるとき、同じ言葉でありながら、それは佐々木先生の日々の生活と切っても切り離せない切実にして深い意味を持ったものであることが、いまさらのように腑に落ちるのです。
    生きることの「範型」を忘却し果てた現代の人間は、「畏れ」の感覚を失って科学と技術を取り違え、功利のみをひたすら追い求めて止まないのですが、その増上慢の行き着く先を人々は日々目の当たりにしているはずです。それならば、古代の賢明な人々に倣って「一歩退く」ことを学び、己の「魂の重心」を低い位置に保つことによって、そこから世界をもういちど見直すという謙虚にして不退転の構えを回復する(英語で言えばrestoreですが、この言葉には「復興する」という意味もありますね)ことがなによりも重要でありましょう。
    ところが、呼号される「復興」もまた相変わらず功利主義の追求でしかあり得ない。そのさもしい現状に腹を立てながら、その腹立ちを鎮めようと深夜にときどきお邪魔して、自分の腹立ちの浅薄さを、「大いなる怒りの人」のそばで反省している次第です。
    ひっそりお訪ねしてなどと言いながら、ずうずうしく長居する客のように、長々と書いてしまいました。どうかご海容をお願いいたします。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    立野正裕様
     たぶんご覧になっていたと思いますが、ほんの数日前、Withnewsというサイトに私たち夫婦の物語が紹介されたときから二日ほど、一日のアクセス数が600近くになりました。でもそうしてわさわさと押しかけた人たちはまるでネットのワンダーフォーゲル(渡り鳥)のような人たちで、ちょっとそこらをつついた後、また別の獲物を探して去っていきました。
     今さら言うまでもありませんが、この「モノディアロゴス」には、書き手の私よりも書かれている字面のその奥を、その先を見事に読み解いてくださる優れた読者そしてコメンテーターに恵まれています。本当にありがたいことです。こうした仲間たちに支えられ、励まされ、勇気を与えられて、これからも一生懸命、と言って無理をせずわたし本来のペースを守りながら書いていきます。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

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