鳥の物語

※これはあの大好きな『銀の匙』の作家・中勘助の同名のお話ではなく、とびきり現代の寓話です。 

あるところに大きな、わりと見映えのいい池がありました。でもその池の水は一見きれいに見えましたが、それは見かけだけで、池の底が見えないほど濁ってました。150年ものあいだ(人間世界で言うと明治維新以降)淀んだままでしたから無理もありません。この池を支配する鳥(ちなみにスペイン語で鳥はアベと言います)一族の祖先にはこれまで二人も頭目が出た名門中の名門です。
 でもある時、かつて池の防災担当だった部下の大雁またの名をひしくい(漢字では鴻と書きます)がその鳥一族に傾倒する隣りの池の鳥から、一族の未来を担う雀の学校(校舎は籠です)を作るから何かと便宜を図ってくださいとの働きかけを受けました。その際、鳥社会でも禁じられている賄賂を持ってきたので、元防災担当は「無礼者、とっとと帰れ!」と言ったそうですが、そのあまりに芝居じみた説明を聞いて、それは後からの口裏合わせでは、ともっぱらの噂です。でもボス鳥をはじめそのことを必死に隠そうとしています。とんでもない巨額のお金が関係しているので、当然の疑惑です。
 そんな折、今度はこの池に隣接する稲田に汚染水が流れ込んでいることが判明し、鳥一族は大慌てです。いよいよヤキが回ってきたのかも知れません。
 今日も池にはしきりに動きまわる一族の鳥たちの姿が遠目にも見えますが、そんな時、むかし人間世界で流行った小松政夫の戯れ歌がどこからともなく聞こえてきました。

    ♫♪ しらけ鳥 飛んでゆく 南の空へ
      みじめ みじめ
      しらけないで しらけないで しらけたけれど
      みじめ みじめ ♫♪

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

鳥の物語 への2件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    いや~、まいった。腹の底から笑わせていただきました。スペイン思想家による風刺頓智話。一人で楽しんでいるわけにはいかないご時世です。多かれ少なかれ、イライラ、ハラハラしている多くの方たちに、フェイスブックでご紹介させていただきますことお許しください。

  2. 浜田陽太郎 のコメント:

    うまーく、色々な要素がはまって極上のパロディができましたね。物書きとしての腕前に感服です。私もFacebookでシェアさせていただきました!

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