長い休講のあとで

隣のコメント欄でセミナーハウス長のさんが心配しておられるが、申し訳ない、体調をくずしていたわけでも、何か怪しい事件に巻き込まれていたわけでもない。ごく簡単に言えば生来のなまけ癖がつい長引いただけの話で、本当に申し訳ない。その間、何をしたか。もちろん介護業務は滞りなく果たし、その合間あいまを縫って豆本作りも怠らなかった。ちなみに現在、日本語版は1,700、スペイン語版は250に到達。スペイン語版はフェルナンドさんが雑誌に紹介記事を書いてくれたりして、スペインにも平和菌が広まりつつあることは嬉しい。
 いやそんなことより、実はこの半月あまり、例のスペイン語版作品集の翻訳が大詰めに来て、一昨日、ついに最後の翻訳がハビエルさんから届いたばかりなのだ。つまり翻訳はハビエルさんだが、作品集の構成その他のことに没頭していたというのが今回の長期休講の本当の理由。これまでの翻訳すべてをB6版の仮綴じ本にしたら、厚さ5センチ5ミリにもなった。もちろん袋とじ印刷だから実質はその半分の厚さだし、実際に本になる場合にはA5版だろうから、もう少し薄くなるはず。
 要するにこの分厚い仮綴じ本を読み直したり、撫でさすったり(?)していると、あっという間に時間が経っていたというわけ。どんな作品集か分かってもらうために、その書名と目次をご紹介しよう。ちなみに収録作品のほとんどすべてはネット上で読めますので、お時間のある時にでもどうぞ。

平和菌の歌 佐々木孝作品集
F. ハビエル・デ・エステバン・バケダーノ訳

  • 目 次
  • 序詞 ゴヤ「砂に埋もれる犬」 
  • 第一部 作品
     いまだ書かれざる小説へのプロローグ
     ピカレスク自叙伝
     修練者
     転生
     A・M・D・G
     切り通しの向こう側
     ビーベスの妹
     補注「スペイン思想の中のサラマンカ」
  • 第二部 モノディアロゴス
     双面の神
     小鴨と深淵
     理性と感情
     渚にて
     生成の場に立ち会う
     霧の中の覚醒
     秋を愛する人は
     道に迷ったアラブ人
     行間を読むということ
     妄想と溜息の中で
     実にあざとい!
     後書きに代えて
       東日本大震災・原発事故を被災して(ソウル大統一平和研究所へのメッセージ)
  • 第三部 付録
     メディオス・クラブ・マニフェスト
     スペイン語圏の友人たちに
     平和菌の歌
     平和菌の増殖・拡散に向けて
     撒こう平和菌の歌
     南相馬に残った夫婦の四十八年 
  • 解説 フェルナンド・シッド・ルカス

 以上である。実は最初のうち書名は、作品の中でちょっと自信のある、それにスペインの読者のことを考えて「ビーベスの妹」を考えていたのだが、しかし作品全体を表すものとして「平和菌の歌」に決めた。
 このスペイン語版作品集は年来の望みで、これができないうちは死にたくない、とまで考えていた。まだ出版の引き受け手も本決まりでないのだが、しかし不幸にして当面不首尾に終わったとしても、ここまでやったことでホッとしている。もちろん出版まで最善を尽くすつもりだが、でも……いや最後までしつこく食い下がろう。
 まるでビックリ箱のように雑多なものが詰め込まれた作品集だが、一人の人間の生を過不足なく表すものとして、この形しかないと今では自信を持っている。
 長い休講のあとなのに、大風呂敷を広げてしまったようで申し訳ない。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

長い休講のあとで への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     スペイン語版作品集に選ばれた表題を見ていて、先生の二つの言葉が思い浮かびました。

     「人間の生は歴史的な生であって、だれもがその事実を深く受け止めて生きるべきだ。」

     「霧の中から出ていくのではなく、霧の中にとどまり、そして、じっと眼をこらすこと。」

     ひとりの人間の人生は、過去の厳然たる事実を払拭して新たな方向を手当たり次第に模索するのではなく、過去の一つ一つの事柄を深く見つめ、その根源的なものから今に至る過程を省みることからしか真の人生は歩めないことを「霧の中にとどまり」という言葉で示唆されているように私は感じます。社会全体が過去を省みない幻想的な理想像を追いかけて自己満足しているように私は強く感じていますが、人間は、やはり、地に足をしっかりとつけ、過去の栄光にのみ囚われるのではなく負の部分も含めて今があることを肝に銘じるべきだ、それはまたオルテガの「私は私と私の環境である」にも繋がっているんだと漠然とですが、私はそんなことを感じました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください