転生譚

どうにも頭がくしゃくしゃして、なんとかしゃきっとさせたいとき、いつでもではないが目の前の手作り書棚にある何冊かの小型本から適当なものを選んでその場を凌ぐ。今朝もそんな状態なので、そうだ今朝はラテン語の『デ・イミタチオネ・クリスティ』(キリストに倣いて)でも読もうとして探したが、見つからない。それで手にする頻度が一番高い志賀直哉の短編集(文庫本3冊の合本)を引き出し、たまたま開いたページの「転生」を読み始めた。現在準備中のスペイン語版作品集に収録予定の自作短編にも同名のものがあったことをついでに思いだしながら。果たしてその題名、志賀直哉から借りたかどうかさえもう忘れているのだが。
 とにかくゆっくり読んでみて、内容はほとんど忘れていたが、なかなかいい作品、というより胸にストンと落ちる好短編だった。癇癪持ちの夫と、ちょっと気の利かない妻の話で、途中からお伽噺に変わり、また現実世界に戻るという筋立てである。お伽噺の部分が痛切というか哀切な話になっていて、思わず眼がしらが熱くなったほどである。
 つまりいつもの口喧嘩というより夫の一方的な叱言(こごと)のあと、夫はこう提案する。こんど生まれ変わるとしたら、夫婦仲がいいと言われるキツネ、いや鴛鴦(オシドリ)になろう、と。さてそこからお伽噺の世界に入る。
 先に逝った夫は約束通りオシドリになったが、だいぶ後に死んだ妻は、転生の時になって迷ってしまう。つまりあれはオシドリだったかそれともキツネだったか、と。そして夫からの「お前は何かを選ぶとき、きっと悪い方を選ぶ癖がある」との忠告を思い出してさらに迷い、この場合自分がいいと思うものを選ぶより一見悪いと思えるものを選んだ方が正解になる、と考え、キツネになることを選ぶのだ。
 こうして悲劇が始まった。冥界に行っても相変わらずトロい妻は、餌になる小動物さえ捕まえられず、空腹状態で川岸にたどり着く。そしてそこに先着していた夫のオシドリに出くわす。キツネは空腹のあまり意識朦朧となりながら、それでももしかして自分の思い違いで夫はオシドリになっているのかも知れない、と一生懸命自制しようとするのだが、しかしついに我慢ができず、気が付いた時にはすでにそのオシドリを食べた後だったというお話。
 作者は「これは一名 <叱言の報い> と云ふ大変教訓になるお伽噺である」と締めくくっているが、むしろ読後に感じるのは夫の癇性を温かく包む妻の聡明さ、人間的な大きさである。一般的には、古い家父長的な感性の持ち主と思われがちな志賀直哉の人間性の深さが見事に表れ出た作品である。
 話は急に飛ぶが、安倍一族(鴎外の「阿部一族」をもじって)、中でも安倍チルドレンと呼ばれる者の中には修身教育の復活を目指すような素っ頓狂な女性が多いが、でも豊田代議士にしろ稲田元防衛相にしろ、修身教育とは真逆の、つまり古い男女観とは相容れないばりばりのフェミニストなのはどうしたことか。我こそはイチバンという悪しき個人主義が露骨に現れていて、良い意味(?)でのフェミニストたる私でさえ鼻白む。
 話はまた飛ぶが、家(うち)の(という言い方にすでに眉をしかめるご婦人がいるかも知れないが)美子は、「亭主元気で留守がいい」という一時期流行ったコマーシャルの意味が本当に分からなかったくらい亭主べったりだったが、しかし人間的には私なんぞより数倍も大きいし強いと昔から思っていた。事実、大げさでも美談狙いでもなく、いまの私は、掛け値なしに美子に支えられ包まれて生きていると思っている。ついでに言わせてもらえれば、生まれ変わってもオシドリなんぞにならず、可能なら今のままの孝・美子になれれば本望である(それは無理か、ならパンダがいい)。
 さすがに座が白けてきたようなので、今日はこの辺で、♬ ♪

※ その日のうちの追記 なぜパンダかつーと、大昔、スウェーデン船籍の豪華客船でバリ島まで無料招待されたとき、毎晩仮装パーティーとかがあってー、美子はマリー・アントワネット風の衣装を見っけたけど、おいらに合う衣装が無く、そんで体形的に無難なパンダに化けたことがあったからさ。なんならその時の写真も残ってるよ。でも転生と仮装は違うか。お呼びでない? こりゃまた失礼しました!(古い植木等のギャグ)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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