お願い、そして決別の辞

長い間お付き合いしていただきましたが、今回思うところがあって本ブログを本日限り閉鎖することにしました。皆様のネット画面には出ているのかどうかは知りませんが、私の画面には毎回アクセス数が出ています。本日のアクセス数は122(累計595,395)です。前から申し上げている通り、もともと本ブログは私自身が生きる上で、行く手を照らす探照灯の役目を持たせてきたものですが、しかし時おりの皆様からの反応が大きな励ましであったことも事実です。しかし今回、平和菌の豆本拡散のお願いをしたところ、ひそかに恐れていた通りいっさいの反応が返ってきませんでした。むしろそんなお願いなどせず、そしてアクセス数など気にせず黙々と書いていればよかったのかも知れません。今回のような情けない、そして滑稽な現実に気付かなくても済んだわけですから。
 しかし知った以上、この先ここで書き続けることが正直しんどく、いや正直アホらしくなってきました。ブログに限らず何かを巷間に問うという行為自体には、こうした厳しい現実が突き付けられることもあると覚悟しなければならなかったのかも知れません。今回の厳しい、そして滑稽な現実は、正直自分でも意外に思うほどダメージが大きいです。しかし外出、旅行などもできず蟄居する身にとって、このブログが外界と繋がることのできる唯一の手段でしたので、つい甘えが出ました。
 長々とお話するつもりはありません。冒頭に申し上げたように、以後はアクセス数などの反応を気にせず、ひたすら自分のために書き続ける所存ですので、どうか皆さまも、こんなブログなど読まないでご自分の生活を大事になさってください。それぞれ自分の選んだ道を進みましょう、ということです。
 閉鎖といっても先ほど申し上げた通り私には他の選択肢がありませんので、このまま書き続けますが、皆様に対しては私の方からも一切の関係を断つということです。平たく言えば皆様にとって本ブログは本日限り閉鎖されたとご理解いただきたいということです。どうぞ明日からはアクセスなどしないでください。アクセス数が明日からゼロになることを心から期待しています。そして以後に出る数字は、時には当方の呼びかけに快く応じてくださる新しい読者のアクセスと考え歓迎します。
 では、沈黙の闇の中に無言のまま立ちつくす皆さま、お元気で、さようなら。
 めったに読まない聖書の次の章句が響いています。

 ♪♬ 笛吹けど踊らず(マタイ伝 11-17) ♬♬♪
 あるいはダンテ『神曲』地獄篇第三曲49の次の言葉。
 「我等また彼等のことをかたるをやめん、汝ただ見て過ぎよ」(山内丙三郎訳)

※余計な追記 なお平和菌の歌の豆本は死ぬまで作り続けますが、拡散については何とか別の手段を見つけますのでご心配なく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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お願い、そして決別の辞 への6件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    佐々木孝先生
    呑気な私ですが、文章を拝読しているうちに心臓がドックンドックンと高鳴ってきてしまいました。平和菌の豆本配布は私の生きがいになりつつある今、やたらめったらお渡しするわけにはいかないと思っています。一応、身辺調査?もどきをしながら、手づくりの豆本の意味が伝わるかな~などと考え、そして先生の新聞記事とカルペディエムの詩編をそえて拡散しています…。が、今日、先生のお気持ちに少し触れ、私自身、頭を整理する時間が必要だと感じました。そうしなければ先生にお伝えする言葉が浮かばないのです。
    せめてメールとお手紙でつながりをいただけることを切に望みつつ。佐々木あずさ拝

  2. 守口 毅 のコメント:

    佐々木兄い殿
    突然の貴ブログ閉鎖に、うなだれて意気消沈しております。
    ひたすら混迷を深める現今の日本の中にあって、モノディアロゴスは私たちの<魂の先導灯>でありました。私はまた折々にメールなりにて、コンタクトを続けさせていただきたいと切望しております。とにかく兄いのご健在は、それがそのまま私の励みなのです。  守口

  3. 中野 恵子 のコメント:

    ( 本ブログは私が生きる上で、行く手を照らす探照灯の役目)を持っていて、日々励ましを頂いています!どうかお元気で末永くお続けくださいますよう、こころから
    お願い申し上げます!!

  4. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    中野圭子様
     確か参宮橋に、と言いながら覚えていたわけではありません。急いでメール履歴で確認したわけですが、励ましのお言葉ありがとうございます。一昨日も運転免許証更新のための高齢者研修予備検査というのを受けたのですが、「さて先ほど見た絵には何が描かれましたか」という設問で、自分の記憶力大幅減退にショックを受けたところです。幸い点数だけはなんとか82点でしたが、外界との接触をほとんど断っての生活の結果か…、いやいや歳相応のボケが始まったのでしょう。
     でも出歩けなくても想像力を働かせて、いろんな場所を再訪しましょう。学生時代、二年ほど暮らした参宮橋界隈にも行ってみましょう。
     ともあれ今度落ち込んだら、皆さんのことを思い起こして頑張ります。今後ともよろしく。

  5. 中野 恵子 のコメント:

    参宮橋も変わりました。
    変わらないのは商店街を通って住宅街に入っていく急勾配の坂だけです。
    今や77歳の私に、あの上りは〔登り〕と書きたいくらい厳しいものです~~。
    レデンプトールの宿泊所も教会もすっかりきれいになりました。主堂の下には納骨堂もできて、私の安住の場も確保?できました。
    今夏の天候は本当に厳しくて、すっかり夏バテ。食欲不振で体重減少し、持ち堪えられるか、不安の日々でした。持病の坐骨神経痛も悪化し、それこそ半径100mの暮らしでした。ひたすら感謝の種を探して、(見える 聴こえる 話せる等)平安を得て9月を何とか迎えられそう所まで来ました。先生のブログにもどれほどお励ましを頂いたことか、改めて感謝申し上げます・〔峠をこえて〕等三部作は折に触れ拝読させていただいています。もし豆本が手元に有ったら持ち運びが出来、嬉しいです。
    残暑も厳しいことでしょう~~。くれぐれもご自愛くださいませ。 ごきげんよう

  6. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    そうでしたか、同い年でしたか。でもあと数日で私が一歳年上になります。解説を加えて装いも新たな豆本、もちろん明日にでも送りましょう。一つはお守り代わりに、あとの三つは(92円切手を貼った普通封筒にちょうど4冊入りますので)は宿主になってくれそうなご友人に差し上げてください。
     ともあれお互い、いい(本当の意味で良い)歳になりました。健康に気をつけて長生きしましょう、きっと日本も少しはましな国になることを信じて。

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