失われたブログ求めて

父の死後、ブログの管理をそれまで父が委託していたある人物との関係を解消して一人でするようになったが、投稿が消えたりなどのブログ荒らしの被害に遭ったことは、この二年余り一度もない。定期的な管理を行っていれば、本来まず、というより絶対にありえないことのはずであると思う。あるいは…。
すべてお見通しである。

ご覧の通り、ブログ荒らしの被害は僅少に留まった。失われたデータは、たぶん10月30日の「理由(わけ)あり」一つだけだったかも知れない。しかしその失われた一つが、今になって気になって仕方がない。これを老人性潔癖症と言うべきか、はたまた我執・老醜と言うべきか、ともかくガタが来た記憶装置を総動員して、何とか再現、つまり思い出してみたくなった。逃がした魚は大きい、と言うが、談話室での上出さんのコメントを引き出すくらいのインパクトはあったはず。以下その失われた記憶を求めての苦闘の跡である。お気の毒と思し召しなら、どうかお付き合いのほどを。

 気が付けば、先週は一つも書かなかったようだ。体調をくずしていたわけでも、何かとんでもない事件に巻き込まれていたわけでもない。ありていに言えば、雑用に追われて時間が飛ぶように過ぎていっただけの話である。その意味では、現役時代よりはるかに忙しい日々を送っている。「目が回るように忙しい」という言葉があるが、そう感じることも度々ある。雑用と言ったが、その主なものはもちろん美子の介護にまつわる雑事で、その合間あいまの本・豆本作りである。介護の具体例を言えば日に三度のオシメ交換、三度の食事の介助、就寝前の歯磨き・口腔の掃除、そして月金のヘルパーさん、月水金の訪看さんが来るときにベッドから車椅子への移動という力仕事などなどである。その力仕事のたびにいつまで体力が持つか心配になることがあるが、でも不思議なことに以前なら年に一二度は襲われていたギックリ腰は介護を始めてからピタリ止まっている。
 今や美子は指一つも動かせず、こちらの言うことを理解もしていないようだが、しかしその穏やかな眼差しや時おりの微笑みで意思表示はしないながら心のどこかですべてを理解していると思う。大昔、一時流行った「亭主元気で留守がいい」というコマーシャルの意味がどうしても分からなかった美子だから、いま幸福とは思わないにしても、決して不幸とは思っていないはずだ。とにかく今の私は、美子の介護をすることで救われている。障害者やご病人を、施設ではなく自宅で面倒を見ておられる方々は、私と同じような感懐をお持ちのはずと確信している。
 そうした雑用をこなしながら、相変らずばっぱさんの遺した「昭和の流行歌」を聞いている。胸に染み入る名曲もあれば、聞いているうちに馬鹿らしくなって、思わず茶々を入れたり野次ったりして楽しんでいる。例えば森進一の「襟裳岬」は曲調はいいのだが、リフレインで「襟裳の春は何もない春です」としつこく繰り返されると、「お前さんには何もない春かも知んないけんちょも、ここに住んでる俺らにとっちゃ、これでも楽しいこといっぱいあるでな」とブツブツ抗議などしている。
 ところで、冒頭の「事件に巻き込まれていたわけでもない」の「わけでもない」で思い出したもう一つの冗談。昨日、久しぶりにスーパーに買い物に行った。すると柿の安売りがあり、その袋のラベルに「理由(わけ)あり」と麗々しく書かれていた。いまどき「わけあり」はマイナス・イメージの言葉ではなく立派な宣伝文句になっているようだ。そうだよな、人間だって「私には欠点などないんでございますわよ」(あれっどうして女性になったの?)と言う人より、どこか影や憂いのある人の方が魅力的だもんな。
 さて皆さんも「わけあり」の顔で今日も頑張りましょう、男性は鶴田浩二、女性は…うーん、ちょっと思いつかないな。

 これでスッキリというわけにはなりませんでしたが、ちょっとだけ胸のつかえが取れましたです。でもこの馬鹿らしい作業に費やした時間をどうやって挽回しましょう?(そんなこと知るもんか! やだよこの人ヒツコクて!)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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失われたブログ求めて への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     「理由(わけ)あり」について、私の記憶も曖昧なので間違っているかも知れませんが、日にちは10月31日ではなかったかと思います。そして、内容ですが、「ヨカッタネは魔法の言葉(2014年10月24日)」に書かれてあるような美子奥様の先生のお声かけに対してのお顔の微妙なご反応のようなデリケートな描写があったように思います。あくまでも私の曖昧な記憶ですのでご参考程度にしておいてください。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    阿部さん、どうもありがとう。日にちは確かに月曜、つまり30日だったと思いますが、家内の笑顔については抜けてました。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    Sさん、ばっぱさんの月命日まで覚えていてくださって感謝しております。その月命日(二日)に貴兄のブログで紹介くださったばっぱさんの歌、ここでもみなさんにお伝えしましょう。

      国挙げて貧しき国となりはてむ
            未だ目覚めの遅きを嘆く   千代女。

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